第32話 危険な女⑤
テルゼン提督の水兵たちは浜辺に集まり、血相を変えていた。
「東の岩場でボートが見つかったってのは本当か!?」
「ああ、誰も乗ってなかったが繋留されてた。監視所のヤツが交代して戻る途中、たまたま寄り道して見つけたらしい」
繋留されているということは、人が乗っていたことを意味している。
「俺たちの誰かが夜釣りに使ってたってことはないよな?」
「わかんねえよ、そんなもん」
するとベテランの下士官が怒鳴りつける。
「それを確かめるのは無理ならば、今は侵入者があったと考えて動け! おいお前、提督に御報告しろ! 他の者は銃を持って非常警戒だ! カンテラを忘れるな!」
「はっ!」
ここが秘密基地であることは全員理解しているので、対応は迅速だ。
海からの侵入を警戒し、浜辺の篝火台にも次々に火が灯る。
しかし異変はここからだった。
「提督がいません!」
士官宿舎に走った水兵が慌てて戻ってきたので、下士官は怒鳴る。
「提督なら工房か士官宿舎におられるはずだ!」
「工房で何か命令した後に宿舎に戻ったらしいんですけど、玄関の立哨は出るとこを見てないっていうんです!」
「だったら宿舎のどこかにおられるはずだ! 手分けして探せ!」
下士官は叫び、それからこう続ける。
「戦列艦の艦長にも御報告しとけ! いざとなったら臨時で指揮を執っていただく!」
この島にいる将校は数名。指揮権を持っているのは提督と戦列艦の艦長の二人だ。残りは副官や参謀などで、部隊の指揮権を持っていない。
そこに別の水兵が駆け込んでくる。
「大変です! 水兵の中に裏切り者がいます! 皆が噂しています!」
「そんなはずがあるか、馬鹿者!」
下士官は怒鳴りつける。
「そんなもんは敵の流言飛語だ! 分隊での行動を徹底しろ!」
どうやら敵が潜入しているのは間違いないようだ。
ここに駐屯している水兵たちは信用できるはずだが、それでも新参者は何人もいる。全員が完全に信用できるかといわれると、下士官にも自信はなかった。
「それよりも提督はまだ見つからんのか!」
篝火の向こう側から誰かが叫んだ。
「賊が設計図が持って海に逃げたぞ! 取り戻せ!」
* *
「見事に大混乱だな」
俺たちは湾内を一望できる山の斜面に潜みながら、水兵たちの動きをじっと観察していた。
水兵たちは分隊単位で行動しているが、必ずカンテラを複数携行している。そのせいで人の動きは夜目にも鮮やかだ。
クリミネ少尉がつぶやく。
「湾内を捜索していますね」
「さっき俺が叫んでおいたからな。将校たちは砲弾の設計図のことを知っているから、必ずそちらにも人を割く」
俺は扇子を開いてパタパタ扇ぐ。俺がテルゼン提督に渡した扇子だが、テルゼン提督を始末したので扇子は俺の手に戻っている。つまり砲弾の設計図も消えたことになる。
「提督と設計図と侵入者。三つも探さないといけない水兵たちは気の毒だな。俺たちがボートを繋留した岩場も監視しないといけないし」
この島にいる水兵たちは百人以上二百人以下といったところだろうか。大半は戦列艦の乗組員だ。
大規模な捜索のために水兵たちを出動させると、戦列艦は動かせなくなる。
かといって戦列艦を空っぽにしておく訳にもいかない。外部から敵が侵入した以上、戦列艦は守りの要だ。出航して洋上で砲撃戦を行う可能性もある。
ユギ大尉が軽く溜息をつく。
「あれもこれもと欲張ったせいか、薄く広く人員を配置してしまっていますね。警戒の網の目がずいぶん粗いです」
「じゃあボートの奪還も行けますか?」
クリミネ少尉が嬉しそうに尋ねたが、ユギ大尉は首を横に振った。
「奪還に手間取った場合、岩場で包囲されてしまう危険性があります。それにボートが押収や破壊されていた場合、無駄足になりますよ」
「それもそうですね……」
そう。ボートがまだあるとは限らないので岩場に向かうのは賭けになる。
だがここまででもかなり危険な賭けを繰り返しているので、これ以上の賭けはしたくない。ここまでの賭けで稼いできたチップで何とかできるはずだ。
クリミネ少尉が挙手する。
「敵の目が湾内に向けられている間に、建物に放火するのはどうでしょうか? 今度は陸側に人が集まって、ボートを奪いやすくなると思います」
『パン屋』のコードネームに相応しく、火を使った作戦を提案してきたか。
俺はクリミネ少尉に笑いかけた。
「良い案だが、どうせならもっと派手に燃やしたくないか?」
「はい?」
* *
南方艦隊所属の戦列艦「サラカディーン」。
南洋の怪物の名を冠するこの艦は、もともとは武装商船だった。そのため交易船としての機能を備えており、快速で輸送量も多い。反面、火砲に対する防御力は犠牲になっている。
テルゼン提督が有する禁薬の密輸船でもあった。
サラカディーンの艦長は今、困り果てていた。
「提督の伝令というから会ってみれば、異国の小娘じゃないか。あれ、連れてこられたのは二人だったのか?」
艦長はサラカディーンから動いていないので、今夜の詳細を知らない。
そんなことはお構いなしに、シャオ風のドレスをまとった美女が流暢なシャオ語で何かをまくしたてている。
「ウーシェンマ? ハンユン、チーリャン。マオファンリーウェイ!」
「おい、こいつはなんて言ってるんだ? 確かお前、シャオ人の奴隷だったんだろ?」
傍らにいるのは帝国人っぽい小娘だ。
しかし小娘は首を横に振る。
「わかりません。この子は訛りが強すぎて」
「シャオ語にも訛りなんてあるのか」
「そりゃありますよ」
真顔で答える小娘。保護を求めて来ているはずなのに、どこか偉そうだ。どうにもやりづらい。
艦長はあごひげを撫でつつ溜息をつく。
「まあいい、それで提督はどこにおられる? 姿が見えないと大騒ぎになってるぞ」
小娘は困ったような顔をする。
「提督から急に軍艦に行けと言われただけなので、事情が全然わかりません。その後、提督とは別行動です」
「それもそうか。今日来たばかりのお前たちに大事な伝言をする訳はないな。所在を教えるはずがないし……」
何も情報を得られなかったことで艦長は逆に納得し、軽くうなずいた。
「まあいいだろう。艦に乗せるのは構わんが、武器は持ってないな? 乗組員以外は武装禁止だ」
「見ての通りです」
「うん、まあ……そうだな」
シャオ風のドレスは体のラインを強調するつくりで、どこかに武器を隠し持っているようには見えない。小娘の方もジャケットを着ておらずブラウスだけで、ボトムはズボンだ。
「そっちの娘、ブーツとポケットだけ改めさせろ。後はまあ……いいか」
艦長は簡単な身体検査で済ませることにした。提督の女にべたべた触れて、後で叱責されるのが怖かったのだ。
「この女たちを船倉……はまずいか、空いてる船室に案内しろ。一応、鍵はかけておけ」
すると小娘が懇願する。
「すみません、水を一杯もらえませんか?」
「わかったわかった、後で運ばせる」
手を振って追い払い、後は水兵に任せる。
その間にも、外では動きがあったようだ。ボートが何艘も湾内に出て、松明やカンテラで水面を照らしている。何かを捜索しているらしい。
「おい、あいつらを艦に近づけさせるな。明かりが水面に反射するせいで、眩しくて何にも見えん」
すると伝令が駆け込んでくる。
「侵入者が湾内に逃げたという情報があり、本艦にも協力要請が出ています」
「要請? ということは提督ではなく参謀か副官あたりか?」
「はい、参謀殿が指揮を代行しておられます」
提督の幕僚である参謀や副官たちに指揮権はない。だが提督が潜伏中というのなら、ここは協力しておかないとまずいだろう。何もしなかったと報告されると解任されるかもしれない。
「仕方ない、艦を湾の入り口に出して封鎖してやる。だが何かあったらお前が責任を取れよと伝えておけ。おい、近場にいる乗組員を呼び戻せ! 最低限の人数がそろったら抜錨だ!」
二人の女性客を乗せたまま、戦列艦サラカディーンは帆を膨らませてゆっくりと動き始めた。
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