第33話 逃げられない男①

   *   *


「この船室、ベッドも窓もありますね」

 クリミネ少尉がベッドに寝転びながら言うので、ユギ大尉は軽くうなずく。

「窓のない船倉だと真っ暗で危ないですし、かといって今日来たばかりの私たちにランプやロウソクを渡すのは不安でしょうからね」

「ああ、それで船室に……なるほど」



 深くうなずいているクリミネ少尉を尻目に、ユギ大尉は紅玉髄の簪を髪から抜き放つ。

「ですが火種は作ることができます」

「火打ち石を持っているんですか?」

 するとユギ大尉は指先で簪をクルクルともてあそぶ。



「ええ、持っていますよ。なんでこう、フォンクト中尉には全部バレているんでしょうね」

「何がですか?」

 クリミネ少尉が首を傾げると、ユギ大尉は簪から紅玉髄を外しながら答えた。



「この簪は鋼鉄製で、こちらの石は紅玉髄です。カーネリアンと言った方がわかりやすいでしょうか?」

「あ、うちの実家にカーネリアンの塊を彫った壺や彫刻があります」

 クリミネ少尉の実家が準貴族の大金持ちだ。



 ユギ大尉は紅玉髄の塊を手に取り、簪をカツカツと打ち付けた。

「石英質の玉石はどれも火打ち石として使えます。やる人はあまりいないでしょうから、髪に挿していても気づかれません」

「なるほど」



 うなずきながらクリミネ少尉はシーツをピピッと裂く。

「これ使いますか?」

「ありがとうございます。飾り帯を燃やそうかと思っていたんですが、シーツの方が燃えそうですね」

 しばらくすると船室に明かりが灯った。



「船室にカンテラが常備されていて助かりました。では少尉、これを預かっていてください」

「了解です」

 クリミネ少尉はカンテラを受け取ると、灯火管制用の金属板をスライドさせて光量を絞る。窓からの月光があるため、カンテラの光は最小限でいい。



 ユギ大尉はドアを見る。

「さて、後はどうやって外に出るかですが……」

 窓は採光と通気のための小さなもので、外には出られない。軍艦なので船体側面に大きな開口部は作れないという事情もある。



 不意にユギ大尉はニコリと笑う。

「来たようです。後は頼みましたよ、少尉」

「善処します」

 緊張した面持ちの部下を残し、ユギ大尉はドアの裏側に潜む。



 ほぼ同時にドアが開き、コップを持った水兵が入ってきた。

「ほらよ、水だ。……あれ、もう一人はどうした? あのパイオツのデカい方の……」

 クリミネ少尉がややムッとした表情で応じる。



「聞きたいのはこっちですよ。あなたたちが連れていったんでしょう?」

「えっ、聞いてないぞ?」

 するとクリミネ少尉がカンテラを指差す。



「尋問するって言って連れてったんですよ。その証拠に、カンテラに明かり点いてるでしょ?」

「本当だ。誰だ、勝手なことしやがって……さては船倉に連れてったな」

 何か思い当たる節があるのか、水兵はコップをサイドテーブルに置きながら渋い顔をする。



 クリミネ少尉がすかさず食いついた。

「船倉で何をするつもりなんです?」

「そりゃ決まってんだろ、こんな男だらけの場所にあんな美人が来たら……」



 会話を最後まで聞かず、ユギ大尉はスルリと廊下に出る。音を立てずに背後に回り込むのは得意中の得意だ。水兵はクリミネ少尉とカンテラの光に注意を向けており、気づく気配すらなかった。

 狭い廊下を猫のように歩きながら、ユギ大尉は紅玉髄の簪を抜く。試運転は上々、これを使えばいくらでも火種が生み出せるだろう。艦内には油も火薬もある。



(何もかもフォンクト中尉の思惑通りというのは、暗殺者として面白くないですね。いかに彼が切れ者とはいえ、素人の掌の上というのは)

 ちょっと唇を尖らせたユギ大尉だったが、やがてニヤリと笑う。



(では彼の想像を絶するような絶技をお披露目するとしましょう)

 ユギ大尉は音も光もない闇の中へと消えていく。

 戦列艦サラカディーンの船倉で大規模な火災が発生したのは、それから少し後のことだった。


   *   *


「サラカディーンが燃えてるぞ!」

 浜辺にいた水兵たちが叫んでいる。

 この島に一隻しかない軍艦サラカディーンは、確かに炎上していた。



 煙の匂いがこちらまで漂ってきているが、どうやら砲弾用の火薬が燃えているようだ。火薬は引火すると爆発するイメージがあるが、密閉されていない空間では花火みたいに燃えるだけだ。

 しかしユギ大尉たち、派手にやってるなあ。



 さて、俺も自分の仕事をしないとな。俺にしかできないことがある。

 俺は茂みの中でヤブ蚊を追い払いながら考えた。

「どの辺でやろうかな……」



 水兵たちは人数に応じてカンテラなどの灯火を持って移動しているので、おおまかな人の動きはわかる。

 最初のうちは二~三人で動いていたようだが、どこかで指揮系統が回復したようだ。バラバラに動いていた水兵たちが二十人ほどの集団になり、それが三つできた。



「半個小隊での運用か」

 この島にいる水兵は百~二百人程度だろうから、六十人も動員すれば他はかなり手薄になる。残りの人員は戦列艦の操船に回っているはずなので、建物の中は空っぽに近い状態だろう。



 あいつらが戦列艦に行って消火活動を始めてしまうと、ユギ大尉たちが危険になる。その前に統制を乱してしまわないと。

「よし、ここでやるか」

 俺は最後の切り札を見た。



「お休みのところ申し訳ないが、もう一働きしてもらうぞ」

 そして水兵たちの声色を真似て、大声で叫んだ。

「誰か来てくれ! 提督が死んでる!」



 そう。俺にしかできないことというのは、水兵たちの声を真似ることだ。ユギ大尉たちは女性なので、水兵たちのようなガラガラ声は出せない。

 一方、俺はここ数日の夜遊びで水兵たちの符牒やスラングまで覚えている。



 すぐに浜辺で動きがあった。

「おい、今のを聞いたか?」

「どうします!?」

「見間違いかもしれん。お前たち四人、行って見てこい」



 一番近くの隊からカンテラが二つほど離れ、こちらに向かってくる。

 すかさず俺は叫んだ。

「うわあっ! 助けてくれ! 誰か!」

 ここで発砲。



「今の銃声は何だ!?」

「総員、声の方向に警戒前進だ! 俺についてこい!」

 一番近くの隊がまとまってこちらに向かってきた。ここは藪の中だ。見つかりっこない。

 だが提督の死体は見つけてもらわないと困るので、林道の方に出しておく。



 さあ、後はずらかろう。

 俺は藪を掻き分け、水兵たちをやり過ごしてから浜辺に出る。

 背後は大騒ぎだ。



「提督が殺されてるぞ!」

「警戒しろ! 提督の遺体を運べ!」

 あの半個小隊が戻ってくる前に、浜辺を混乱に陥れないと。

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