第34話 逃げられない男②


 俺はさっきとは声色を変えて、再び怒鳴る。

「提督が殺された! もうおしまいだ! 逃げろ!」

 軍閥のトップであるテルゼン提督が死に、この秘密基地にある唯一の軍艦が炎上している。ソフト面とハード面、両方の大黒柱が同時に失われた形だ。相当な衝撃だろう。



 それでも水兵たちの士気が崩壊するとは限らないが、多少でも統制が乱れれば脱出の隙が作れる。

 いずれにせよ、ここに長く留まるのは危険だ。

 浜辺には篝火が焚かれているが、おかげで闇はより濃くなっている。明るい光のせいで目の暗順応が解けてしまい、みんな夜目が利かない状態だ。



 それは俺も同じなのでだいぶ苦労したが、桟橋に繋留されているボートを見つけた。付近に水兵はいない。あれをもらっていこう。

「おい、待て」

 背後から声をかけられ、俺は立ち止まる。



 今の俺は水兵たちと同じ服装をしているが、顔を見られれば「誰だコイツ?」となるのは明らかだ。

 そっと振り返ると、下士官らしい男がこちらを見ていた。腰に拳銃を吊っているな。厄介だ。

「お前、見ない顔だがどこの所属だ?」

「海軍工廠の職人です。提督に呼ばれて来ましたが、提督が死んだんじゃ……」



 帝国軍が雇っている職人たちは軍人ではなく軍属扱いだ。普通の民間人を雇っているだけなので、身元の照会に時間がかかる。特にこんな島では不可能だろう。

 案の定、下士官は渋い顔をしている。



「だからといって勝手にうろちょろするな。手が空いているのならこっちに来て手伝え」

 まずい。脱出できそうにないぞ。

 そのとき俺の横を誰かが駆けていく。



「ボートがあったぞ!」

「よし、出せ!」

 二人の水兵がボートに飛び乗ろうとしている。



 それを見た下士官が拳銃を抜いた。

「貴様らぁっ! 逃亡は許さん!」

 躊躇なく撃つ。銃声と共に水兵の片方が海に転落した。



「ケッ、うるせえ!」

 生き残った水兵は相棒を見捨てて、そのままボートを漕ぎ始めた。さすがに水兵、ボートがぐんぐん加速していく。



 下士官は慌てて弾を込め直しているが、もちろん間に合わない。

 その間に動揺が広がっていく。

「なんだ? また銃声か?」

「何が起きた?」



 すかさず俺は叫ぶ。

「脱走兵だ! ボートを奪って逃げやがった!」

 この島には百人以上の人間がいるが、全員が退避するにはボートも快速艇も足りない。戦列艦なら余裕で全員を収容できるが、その戦列艦は炎上中だ。



 ――このままだと島に取り残される。



 その恐怖が最後の一押しになった。

「逃げろ!」

「そのボートをよこせ!」

「貴様ら、持ち場を離れるな!」

「うるせえ!」



 あちこちで乱闘が始まり、パンパンと銃声が轟く。砂浜に何人か倒れるが、これは俺のせいじゃない。と思う。

 さっきの下士官はというと、別の水兵たちに袋だたきにされていた。



「威張り腐ってんじゃねえぞ、こら!」

「提督が死んだのならてめえらに遠慮する理由なんかねえ!」

「殺しちまえ!」

 俺のせいじゃない。……と思う。



 下手にボートの争奪戦に絡むと死にそうなので、俺は桟橋の片隅に座っておとなしくすることにした。

 そのうちに快速艇も強奪されたらしく、ゆっくり動き出した。

「おい、乗せてってくれ!」

「おう、いいぞ! 早く乗れ!」



 しかし桟橋に多数の水兵が群がり、「蜘蛛の糸」の亡者みたいになってくる。

「いつまで経っても出航できねえだろ!」

「これ以上は無理だ! あっちに乗れ!」

「頼む、置いてかないでくれ!」

 あっちも揉めてるな。



 もともと水兵たちは民間の船乗りで、海軍への帰属意識は薄い。交易船でも漁船でも食っていける。だから何かあればさっさと河岸を変える。

 この様子なら俺が捕まる心配はなさそうだが、ユギ大尉たちと合流できないな。



 最悪の場合、俺はここに置き去りでも構わない。任務を達成し、誰かが帰って報告してくれればそれでいい。俺も軍人の端くれである以上、覚悟はできている。

 うまくやれば無事に生き延びて自力で帰還できるかもしれないしな。



 そんなことを思いながら海面を眺めていると、何かがちゃぷりと浮き上がってきた。

 さっき撃たれた水兵かな? 救助してやろう。

 そう思って顔を近づけると、聞き慣れた声がする。



「何やってんですか、帰りますよ」

 おお、クリミネ少尉だ。

「よく泳いでこれたな」

 するとクリミネ少尉は一ガロンサイズの小さな酒樽をペチンと叩いた。



「これを抱えて泳いできました。『洗濯屋さん』のぶんもありますよ」

「それは助かる」

「急ぎましょう。入り江の岬の陰で『玩具屋さん』がボートを確保してます」



 俺はブーツを脱ぎ、上着でくるんで樽の取っ手にくくりつける。卓上に運ぶこともあるので取っ手がついてるのが偉い。

 感心しつつ樽の焼き印を見る。



「これ、中身はどうした?」

「海に捨てましたけど」

「そうだよな」



 十年物のブランデー、二ガロンか……この辺の魚たち、今夜は酒宴だな。

 俺は空樽を抱えて海に入り、飛沫を立てないように静かに泳ぎ始める。

「『玩具屋』が来ると思ってたが、君だったか」



 するとクリミネ少尉はニコッと笑った。

「『玩具屋さん』が言ったんですよ。私なら『洗濯屋さん』がどこにいても、すぐに見つけるだろうって」

「なるほど?」

 確かにすぐ見つけてくれたみたいだし、おかげで助かった。



 ちらりと振り返ると、さっきまでいた桟橋にも乗り遅れた水兵たちが集まっていた。島の周辺の海流が危険だと知っているせいか、泳ごうとする者はいない。

 そのぶん殺気立っていて、中にはボートめがけて発砲するヤツもいた。海賊みたいだ。

 さっきの下士官はというと、桟橋のたもとに崩れ落ちていて動く気配がない。



 幸い、俺たちは全く気づかれていない。炎上する戦列艦と浜辺の篝火が目くらましになっていて、波間を漂う俺たちの姿は闇に溶け込んでいるようだ。

 クリミネ少尉は嬉しそうに語りかけてくる。



「どこにいても、必ず見つけ出しますからね」

「ありがとう。頼もしいな」

 俺は戦友に礼を言ったが、見えない環が狭まっていくような違和感を拭い去れずにいた。

 なんだろう、これは……。



※次回から週1回更新になります。

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