第35話 逃げられない男③
「大変な冒険だったな」
帝室儀礼大隊本部で、金髪の美人大隊長が苦笑している。
「テルゼン提督の抹殺に成功しただけでなく、海軍の秘密基地まで発見するとは見事だ。無事に陸軍が接収したことだし、皇帝陛下もお喜びだろう。秘密任務でなければ勲章のひとつも授与されるのだがな」
そう言う大隊長の目は、なぜかとても冷え切っていた。
「帝室はこれを契機に、海軍上層部の人事を一新するようだ。提督たちも文句は言えまい。テルゼン提督がやっていたことは大幅な越権だし、帝室には彼を抹殺する能力があることも明らかになった」
俺は一応、釘を刺しておく。
「同じことをまたやれと言われてもできませんよ」
「そうだな。だが皇帝には反抗的な将帥を抹殺する能力と意思があることを示した。提督たちは震え上がり、内心はどうあれ表面的には忠誠を誓うだろう。これでまた、皇帝の治世はしばらく続く」
俺は溜息をつくしかない。
「姑息な延命策です。根本的な解決になっていませんよ」
「まあいいじゃないか。根本的な解決など我々には不可能だ。もしそれを望むのなら」
大隊長の目が、レンズの奥でスッと細められる。
「真っ先に処刑せねばらない者がいるからな」
皇帝のこと? 冗談にしては重すぎる。
そういえば大隊長の娘さん、赤ん坊のときに刺客を差し向けられたんだよな。うちの中隊長のことだけど。
どうも何か秘密がありそうだ。
「ところでユギ大尉の経歴について、本人からお聞きしました。あれ本当ですか?」
「ああ、シャオ大朝国の」
「そうです」
「近くにある島から来た、隠密集団の末裔だという」
「それは聞いてないです」
俺が聞いたのと違う。
大隊長はフフッと笑う。
「ミナカが東方流民の末裔なのはおそらく間違いないが、細かい部分は本人にもわからないんだ。おそらく複数の流民が合流し、複雑な集団になっているのだろう」
ずいぶん欲張りな集団だな。カンフーニンジャとか出てきそうだ。あ、うちの中隊長か。
だがいずれにせよ、この世界に東洋があるのは間違いなさそうだ。ちょっと気になるな。米食えるかな。
おっと、話がそれた。
「刺客を差し向けたのは誰です?」
「なんだ、そんなことまでしゃべったのか。あいつも意外とおしゃべりだな」
大隊長は少し渋い顔をしたが、こう答える。
「あの子の父親だよ」
「偉い人なんですか?」
「偉かったな。なんせ前の皇帝だ」
……ちょっと待ってね。
「つまり娘さんは現皇帝の異母妹?」
「そういうことになるな。あのヒヒジジイ、私を無理やり孕ませた挙げ句に隠し子を殺そうとしたんだ」
先代の皇帝って確か、だいぶ前に隠居してたけど十年ほど前に急死していたはずだ。
「まさかとは思いますが……」
「おいおい、『洗濯屋』が汚れをほじくり返すような真似をしちゃいかんな。こんなことは皇帝陛下もご存じあるまい」
ニヤリと笑い、大隊長は机に腰掛ける。
「汚れは濯いだ。真っ白になった。それでいいじゃないか」
「まあ、はい」
たぶんユギ大尉に逆襲させたんだ。雇い主もまさか刺客が自分を殺しに戻ってきたなんて思わないだろうしな。
儀礼大隊が秘密警察になってきたこともヤバいが、それ以上にヤバい秘密を知ってしまった。
「聞くんじゃありませんでした」
「たぶんミナカはお前を巻き込むために秘密を打ち明けたんだろう。ずいぶん見込まれたな」
「嬉しくないです」
俺は溜息をつき、それから敬礼する。
「では小官はこれで」
「ああ。今回は大活躍だったな。五日ほど休暇を取るといい」
「いえ、洗濯なら一日あれば終わりますが」
洗濯物がだいぶ溜まってしまったので、今日は宿舎に帰って洗いまくる予定だ。天気もいいしな。
すると大隊長が苦笑する。
「お前、リーシャに借りを作ったらしいな?」
「ああ、そういえばそうでした」
テルゼン提督暗殺のとき、偽装のためにクリミネ少尉には喘ぎ声をお願いしたからな……。なんか埋め合わせしてあげないと、さすがにまずいだろう。約束もしている。
俺は苦笑した。
「ですが、それは洗濯物を干してからでいいでしょう。半日あれば十分ですよ」
「向こうがそう思っていればいいがな」
それもそうか……。
「では五日間の休暇を申請しておきます」
「ああ、こっちで処理しておくからもう行っていいぞ」
「ありがとうございます」
俺は敬礼して廊下に出る。
それを見ていたかのように、クリミネ少尉がササッと現れた。
「休暇を取得されたそうですね、フォンクト中尉殿」
「盗み聞きは良くないな、クリミネ少尉」
俺は苦笑しつつ、髪を掻き上げる。
「で、埋め合わせは何がいいんだ?」
「またどっか食べに行きたいです。お勧めはありますか?」
「チーズが好きなら、この間のレストランを経営している牧場に遊びに行くか? 熟成させずに食べる新鮮なチーズがあるそうだ。傷みやすいので帝都の直営店にも卸してないらしい」
いわゆるフレッシュチーズだ。モッツァレラとかカッテージとかが該当するが、こっちで何て呼ぶのかは知らない。
冷蔵庫のない時代なので産地周辺で消費されることが多く、帝都ではあまり縁がない食べ物だ。
案の定、クリミネ少尉が目を輝かせる。
「もしかして結構遠いですか?」
「そうだな、途中で一泊は必要になるか……」
現地でも一泊した方がたくさん食べられるだろうし、三泊四日の旅行になるな。めんどくさくなってきた。
「じゃあすぐに行きましょう。今行きましょう」
「待て待て、駅馬車の便を確認してからだ。儀礼大隊の馬を借りる訳にはいかないからな」
「ああ、それなら実家の馬車を呼ぶから大丈夫ですよ。帝都にもお屋敷がありますし」
そういやこの子、富豪のお嬢様だった。
クリミネ少尉は嬉しそうに俺の手を取る。
「私のおなかを満たしてくださいね」
この子が言うと、なんか引っかかるんだよな……。気にしすぎかな?
この旅行がまた面倒事の火種になるのだが、このときの俺はまだ何も知らずにいた。
知ってたら絶対に行かなかったと思う。
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