第36話 亡霊街道①

 休暇を取った俺とクリミネ少尉は、帝都を馬車で出発して街道を西へと進んでいた。

「実家の馬車というからどういうのが来るのか不安だったが、これは豪華すぎないか?」

 俺は走る宮殿みたいな内装に戸惑いを覚えつつ、革張りのシートにもたれかかる。



 しかしクリミネ少尉は慣れた様子だ。

「外側は質素にしていますから、たぶん大丈夫だと思いますよ」

「質素かな……?」



 四頭立ての黒塗りの高級馬車のどこらへんが質素なのか、前世からの由緒正しい庶民としては理解に苦しむ。御者と助手が乗り込み、エスコートの軽騎兵が二騎も同伴していた。



 軍馬も含めて六頭もの馬を動員しており、前世の感覚で言えばプライベートジェットに護衛戦闘機二機をつけているような感じだ。

 ちょっと大袈裟な気もするが、それぐらいの金がかかる。馬というのは高価な家畜で、訓練されたものはとんでもない値段がつく。維持費も高い。



 でもあの軽騎兵たち、ときどき俺をじろじろ見てくるのは何なんだ。警戒されてる?

 クリミネ少尉が溜め息をつく。

「小さい馬車と御者一人でいいって言ったんですけど、これより小さい馬車はございませんと第四執事に言われました」



 第四? その様子だと執事たちの上に執事長とか家令もいる感じだよな? 一代限りの準貴族で、その規模の使用人を抱えている家はかなり限られる。

 その中にクリミネなんて家名はないから、彼女も俺同様に偽名なのは確実だ。



「貴官の私物を借りることになり、申し訳ないと思っているよ」

「いいんですよ、私が休暇で私物を使うだけなんですから」

「それにしてもだな」

 居心地悪いわぁ。庶民には肩身が狭すぎる。



 居心地が悪いので、俺は軍人の習性でブリーフィングを始める。乗り物での移動中は仮眠かブリーフィングと相場が決まっている。

「今回の目的地は『キャラバイン・ミウ・テューデュル』の本拠地、ゼカウ高原の牧場だ。ここは保養地としても有名で、牧場の隣に宿泊施設とレストランが併設されている」



「あのお店、すごく美味しかったですよね。……店名は気に入りませんけど」

 帝国語で「クソデカおっぱいチューチュー」だからな。女性であるクリミネ少尉には不快だろう。

 そう思いつつ、クリミネ少尉のすとんとした胸を一瞬見る。



「むっ」

 すごい顔で睨まれた。いえあの、これはもう男として不可抗力なんです。許して。

 俺は気づかないふりをして、トランクから封筒を引っ張り出す。



「牧場のオーナーは大隊長の知り合いだから、紹介状を書いてもらった。今から宿の予約を取ったんじゃ休暇が終わってしまうからな」

「ダメだったらどうします?」

「牧場の近くには宿場町と農村がある。あとなぜか『支店』もある……」



 儀礼大隊が保有するセーフハウスだ。本来なら主要都市にしかないのだが、例外的にここにもある。牧場主と大隊長の繋がりが関係しているのかもしれないな。



 士官学校で野外行動演習は何度もやらされたので、いざとなれば野宿してもいい。

 さすがに休暇でやりたいとは思わないが。

 そもそも御者や騎兵たちが気の毒だ。



 クリミネ少尉は地図をじろじろ凝視しながら、俺にも疑惑の眼差しを投げ掛けてくる。

「本当にそこに美味しいチーズがあるんですか?」

「帝都の直営店はどのチーズも絶品だったろ? ここのチーズは間違いないよ」

 俺は窓の外を流れる景色を眺めつつ、こう答える。



「だが前にも言ったように、流通に乗せられないチーズがある。熟成させるチーズとは違い、鮮度が命のチーズだ。こればかりは帝都の金持ちでも手に入らない」

 なんせ冷蔵庫がないからな。運んでくる途中で傷んでしまったら元も子もない。



 チーズ大好きクリミネ少尉は、口の端からじゅるりとヨダレを垂らしている。

「それも美味しいんですか?」

「昔、全然違う場所で食べたことがある。水牛のフレッシュチーズだったと思うが、あれは癖がなくていくらでも食べられたな。貴官なら気に入ると思うよ」



 モッツァレラチーズのピザトーストが好きで、休日の朝によく作っていた。十枚切りのパンを二枚使って、チーズとケチャップを挟むのが俺のこだわりだ。これを電子レンジでチンする。

 ただ、それはホットサンドと呼ぶのではないかという気もする。知らんけど。



 こちらの世界には電子レンジも冷蔵庫もないので、疲れたサラリーマンの手抜き朝食すら食べられない。異世界転生なんてするもんじゃないよ。

 せめて魔法とかが充実してる世界がよかった。こっちの世界、魔法もなんにもないからな。



「あの、中尉殿? なにかお気に障るようなことを言ってしまいましたか?」

 クリミネ少尉がおそるおそるといった感じで俺を見てきた。

 この子、俺のことを嫌っているのだと思っていたが、そうでもないらしい。それに以前と違い、他人の気持ちに配慮するようになっている。成長したな。



 俺は先輩として嬉しくなり、にこっと笑った。

「そんなことある訳ないだろう? 貴官を見ていると心が癒されることばかりだ」

 半分お世辞です。

 半分は本心だ。一緒にいるとなんだか安心する。



 しかしクリミネ少尉は耳まで真っ赤になり、地図の間に顔を埋めてしまった。

「きょう、きょきょ、恐縮です」

「相棒だったマイネン中尉の殉職で俺は途方に暮れてたんだが、新たに貴官と組めて幸運だった。マイネンのヤツには悪いが、貴官と組んだ方が任務が円滑だ」



 これは本心だ。

「クリミネ少尉、貴官はどんな窮地でも冷静沈着に良い仕事をする。俺のどんな要求にも応えてくれるしな」

「いきなり喘げと言われたときにはどうしようかと思いましたが」

「すまない」



 その埋め合わせの為にこうしてフレッシュチーズを食わせようとしているんだが、もしかしてこれ一生擦られるネタになるんだろうか。この子、執念深そうだもんな。

 やってしまったかもしれない。



 クリミネ少尉が地図で口許を隠しながら、こそこそ質問してくる。

「今度、また喘ぎ声を聞かせて差し上げましょうか?」

「何の為に?」

「何のって……」



 しばしの沈黙。

 クリミネ少尉は不機嫌そうに腕組みすると、シートにもたれかかった。

「こうして美味しいものを食べる為にですぅー!」

 なんで拗ねてんの。ダメだ、若い女性の気持ちが何にもわからない。

 前世分も入れると五十年は軽く生きている計算になるので、俺はもうすっかりおじさんだ。



「俺の脛を蹴るな、クリミネ少尉。上官への暴力は軍法会議だぞ」

「今は休暇中ですし、中尉殿はこれぐらいされた方がいいと思います」

「だから悪かったって」

 あのとき喘がせたの、そんなに怒ってるんだ……。大きな借りを作ってしまった気がする。



 話が全然進まないが、馬車は軽快にカラカラと車輪を回して街道の石畳を走っていく。

 だがその歩みが急に止まった。

「馬車が停まったな」

「そうですね……。あの、どうかしましたか?」



 クリミネ少尉が問いかけると、エスコートの騎兵の片方が答えた。

「お嬢様、軍の検問のようです。前方に長い列ができております」

「軍ですか。ええと、軍旗とか見えます?」

「帝室儀礼大隊の軍旗を確認しました」



 うちじゃん。第三中隊は動いてないし、第一中隊は内勤専門だから、ここにいるとしたら第二中隊か。

 せっかくの休暇中なのに仕事の予感がしてきたぞ……。

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