第37話 亡霊街道②
まさかこんな場所で第二中隊が検問なんかしているとは予想外だったが、儀礼大隊は機密性の高い任務が多いのでこういうことはよくある。
さて、どうしたものか。
「休暇中によその中隊にはあんまり会いたくないな」
「引き返す……には、ちょっと馬車が大きすぎますよね」
「四頭立てだからな」
ぐるっと旋回する場所が必要だが、街道の左右は荒れ地だ。元々は森だったんだろうが、伐採され尽くしている。
こういう場所で無理な機動をさせるとスタックしかねない。前世で遊んだゲームの数々から嫌な思い出が甦る。
クリミネ少尉が俺をチラ見する。
「このまま行っちゃいます?」
「まあ別に後ろめたいことをしている訳じゃないからな……」
とはいえ、クリミネ少尉と俺が二人で旅行に行っていると知られるとあらぬ誤解を招きそうではある。
特に俺は彼女の上官でもあるので、他の女性将校から女の敵と思われないか心配だ。階級差を利用して彼女を無理矢理連れ出したと思われたら居心地が悪いどころの話ではない。
「ちょっと様子を見てくる」
馬車から降りて外の様子を見てみると、ざっと三十人ほどの列ができていた。行商人や巡礼者、後はこの街道を普段から使っている近隣の住民といったところか。
検問の手際はそう悪くないので、数分で順番が来るだろう。
いや本当、どうしようかな……。休暇中だから検問だけ受けて素通りしてしまうこともできるんだが、後で絶対に大隊内で噂になる。
うちの大隊は一般の戦闘用の大隊と違い、人数が少ない。小さな村みたいなものだから、職場で噂になると居心地が悪いだろう。
もちろん俺ではなく、クリミネ少尉がだ。
「よし」
各方面に配慮した末、俺はどうするか決めた。馬車に戻り、落ち着かない様子のクリミネ少尉に伝える。
「休暇中ではあるが、第二中隊の任務を少し手伝おうと思う」
「えっ!?」
めちゃくちゃ意外そうな声を出された。あと不満そうだ。無理もないか。
俺はなるべく丁寧に説明する。
「俺と貴官が旅行に来ていることを知られると、第二中隊の連中が誤解するかもしれない」
「どんな誤解ですか」
「いやその……」
簡単に言えば「俺とクリミネ少尉が付き合っているという誤解」なんだが、それを口に出すのはなぜか躊躇してしまった。俺の中の何かが「それに触れるな」と警告を発している。
演習や任務でこの手の直感は無視できないことを知っている俺は、全く別の理由を口にした。
「自分たちがこんな場所まで駆り出されているのに、第三中隊の士官が二人も休暇を取っていると知ったら、あいつらは良く思わないだろう」
「あー……第二中隊の人たちって、お堅いですからね」
納得してもらえた? じゃあそういうことにするよ?
さすがに休暇中なので、今の俺たちは軍服を着ていない。俺は安物のスーツだし、クリミネ少尉はいかにもお嬢様な感じのブラウスとスカートだ。
だが非常招集に備えて詰襟の黒い軍服は持参しており、何かあれば数分で着替えることができる。
「では任務中と言い張るために、いったん着替えとくか」
「そうですね」
クリミネ少尉が馬車のカーテンを閉め、勢いよく脱ぎ始めた。
「待て待て待て待て」
しかしクリミネ少尉はブラウスのボタンを外して脱ぎ捨て、スカートもストンと脱ぎ捨てる。
「中尉殿、前に私の裸を見てますよね?」
「え? ああ、いやだがあれは任務で」
ユオ・ネヴィルネルの影武者として絞首刑にしたとき、確かに下着姿にはなってもらった。
しかしあれは任務だったからで、今は休暇中だ。事情が違う。
するとクリミネ少尉がクスッと笑った。
「急がないと検問の順番が来ちゃいますよ」
「それはそうだが」
この子が笑うところは滅多に見ないのだが、何が面白かったんだろうか。わからん。最近の若い子はぜんぜんわからん。
もう仕方がないので、俺も覚悟を決めてジャケットを脱ぐ。ベストを脱ぎ、ネクタイをほどき、そして……ん?
「貴官は着替えないのか?」
「いえ、上官である中尉殿のお召し替えが先だと思いまして。ほらここ狭いですから」
殊勝な心がけだな。本当に?
なんかガン見されてるんだけど。クリミネ少尉の口許がニヨニヨしている。なんだあれ。
視線を感じつつも、俺はネクタイをほどいた。カッターシャツは制服と同じものを着ているので、これ以上脱ぐ必要はない。
ちらりとクリミネ少尉を見ると、彼女は下着姿のまま露骨にガッカリしていた。
「ガードが固い」
「何か言ったか?」
「いえ、なんでもありません。ズボンは穿き替えますよね?」
「まあな」
ズボンを脱ぐとトランクスに似た無地の短パン姿になる。これが下着だ。
「じろじろ見ないでくれ」
「見てないですよ」
「いや、見てるだろ」
俺が苦情を言うと、クリミネ少尉は少し考えてからこう答える。
「じゃあ私のも見ていいですから」
「前に見たからいい」
「なんですと」
「いや、興味がないとは言わないが、早く着替える方が重要じゃないか?」
俺の言葉に納得したのか、クリミネ少尉は着替え始めた。
「そか、興味はあるんだ……」
なんかブツブツ言ってる。怖い。
マイネン中尉よ、お前がうっかり殉職するから俺は大変な目に遭ってるんだぞ。反省しろ。
本来なら将校の身支度はもっと気合いを入れる必要があるのだが、姿見もないし時間もない。ブーツや革手袋も引っ張り出し、大急ぎで着替えを終わらせる。
「中尉殿、ベルトの位置が」
「いや自分で直すからいい。いいと言っている。おい触るな」
なんか手付きがいやらしいんだよ、君は。セクハラされてる気分だ。
「それよりも貴官の方こそ、襟章がズレてるぞ」
「今ちょっと手が塞がっていまして」
「その手を放せと言っているんだ。もういい、襟章は俺が直してやる」
姿見がないから俺が直した方が早い。
指が触れた瞬間、クリミネ少尉が悩ましげな表情で身もだえした。
「あぁんっ……」
「今日は喘がなくていいぞ」
「喘ぎたくて喘いでる訳ではありません」
じゃあ何なんだよ。睨むな。
姪っ子の保育園の支度を手伝ったことがあるが、それより時間がかかってるな。
馬車の窓が軽くノックされ、騎兵の声が聞こえてくる。
「お嬢様、お戯れはほどほどに。そろそろ検問です」
「戯れじゃないんですよ! これに命懸けてるんですよ!」
声がデカすぎる。この子の感情のスイッチ、どこにあるのか全くわからなくて怖い。
それでもどうにかこうにか着替えを済ませて、俺たちは馬車から降りた。サーベルとマスケット拳銃で武装し、儀礼大隊の将校としてビシッと決める。
「行こうか」
「はい、中尉殿」
クリミネ少尉はうなずき、御者に声をかける。
「送迎の馬車ということにして、そのまま検問を通過してください。必要なら家の名前を出しても大丈夫です。ただし私のことは内密に」
「承知いたしました、お嬢様」
本当にどこのお嬢様なんだろうな、この子。
俺は少し気になったが、お互い偽名で仕事をしているので詮索は無用だ。
石畳に軍靴を響かせながら、俺たちは歩き出した。
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