第38話 亡霊街道③
儀礼大隊第二中隊の検問所は、簡単な柵で仕切られた即席のものだった。野営用の簡易テントが設けられ、見覚えのある下士官たちが検問を行っている。
おっと、最近配属された戦列歩兵たちもいるな。廃兵の再雇用だ。ここにいるのは十人ちょっとだから、交戦を想定した人数ではないだろう。
これならそう厄介なことにはならないだろうが、将校の姿が見えない。第二中隊にも少尉や中尉が数名いるし、中隊長と副隊長は大尉だ。
さすがにここにいるのが下士官だけってことはないはずだが、将校は誰が来てるんだろう?
「おや、フォンクト君じゃないかあ」
変な方向から声をかけられ、俺は横を見る。
茂みの中から小柄な女性がガサガサと出てきた。やたらと顔色が悪い。
ウェーブのかかった長い黒髪は自由自在に跳ねまくっており、それが不思議と似合っている。黒い軍服は着ているが、階級章は軍属の中尉相当官だ。さらに外科医の腕章をつけている。
俺は歩みよりながら軽く敬礼した。
「ビュホー軍医殿、こんなところで何をしているんです?」
「やあ」
ひょろんと手を挙げてみせた彼女は、第二中隊所属のナニア・ビュホー軍医だ。
痩せて顔色も悪いので病人より不健康そうに見えるが、この人が相手するのは死体なので問題ないらしい。主な仕事は死刑囚の死亡診断書を書くことだ。
「何って、そりゃ排尿だよ君。言わせないでほしいなあ」
「そっちじゃなくてですね」
「ああ、大きい方を期待したのかな? なんか悪いね」
「だからそっちじゃないんです」
ビュホー軍医は第二中隊所属だがかなりの変人で、俺たち第三中隊とは仲がいい。
俺の表の顔は「ロキソン・ボルターレン」という内科の軍医だが、軍医の業務や規則などを教えてくれたのはビュホー軍医だ。「内科にしときなよ。外科より待遇がいいし、手術しなくていいからねえ」とアドバイスしてくれたのも彼女なので、個人的に恩がある。
ビュホー軍医はなんだか嬉しそうだ。
「こんなところで君と出会えるなんて、僕ぁ幸せだなあ」
僕っ子なんだよな、この人。見た目も子供みたいだけど噂では三十代らしいし、とにかくよくわからない。
ビュホー軍医はそれから表情を引き締めて、軽く咳払いをする。
「しかし君、たるんどるぞ。僕の排尿のことよりも、ここでの任務について質問すべきじゃないかなあ」
「だからさっきからずっと、それを聞いてるんです」
この人と会話してると疲れるんだよ。悪気が全くないのは知っている。
案の定、ビュホー軍医はハッと赤面した。
「あっ、そうだったのか!? いや、これはすまない。君はムッツリスケベだから、てっきり女性の排泄行為に関心があるのかと」
どうも俺のことをいろいろ誤解している気がする。
「軍医殿は小官をなんだと思ってるんですか」
「僕たち女性士官を惑わす色魔かな?」
「怒りますよ」
中尉相当官とはいえ、この人は軍属だ。実際の偉さは下士官よりちょっと上ぐらいだろう。俺が敬語を使うのは、この人が軍医としての師匠にあたるからだ。
俺が怖い顔をしてみせたので、ビュホー軍医は妙に馴れ馴れしい笑顔になる。
「ま、まあまあ、そう怖い顔をしないでくれよ。あっ、今はね、指名手配中の政治犯を捜索中なんだ」
「それはまた大変ですね」
うちの大隊、とうとう秘密警察としての活動を始めたからな。政治犯も捕まえなきゃいけなくなったんだろう。
「でも軍医殿は指揮権持ってないですよね?」
「そうなんだけど、将校だけじゃ手が足りなくなって僕まで駆り出されたんだよ。いくらなんでも無茶だよね」
俺もそう思う。この人は軍人としては素人だから、兵卒に隊列変更を命じることもできないぞ。
「てことは、ここには将校がいないんですか?」
「そういうことだねえ」
疲れたように溜め息をつくビュホー軍医。ちょっと気の毒になってきた。
そこにクリミネ少尉もやってくる。
「中尉殿、どうかしたんですか?」
「ああ、第二中隊が政治犯の捜索中らしいんだが、ここの検問所にはビュホー軍医殿しかおられないそうだ」
クリミネ少尉はそれを聞いて、気の毒そうな顔をした。
「それは大変でしょう、軍医殿」
「ありがとう、君はいい子だなあ」
ビュホー軍医は嬉しそうに笑うが、クリミネ少尉は俺に向き直った。
「どうします、もう行きますか?」
「ちょっとちょっと、ここで僕を見捨てるつもりかい? 君たちは正規の将校じゃないかあ
」
「でもこれは第二中隊の任務ですから」
「外科の僕に内科の薬を調合させる子が、よくそんなこと言えるね!? 生理痛の薬なんか僕ぁ皆目わからんのだよ」
小柄なクリミネ少尉に小柄なビュホー軍医がしがみつくと、なんだか子供同士のやり取りみたいで妙にかわいい。
それはそれとして困ったな。
軍の指揮系統や任務の取り扱いとしてはクリミネ少尉の言う通りだ。よその中隊の任務に勝手に参加することは許されない。
一方、軍属が兵卒を指揮しているのも内規違反なので、ここでトラブルが起きると第二中隊長が処罰を受けることになる。場合によっては大隊長も立場が悪くなるだろう。
俺は少し考え、一番穏当そうな解決策を導き出す。
「後付けで中隊長命令を出してもらうか」
「どういうことですか?」
ビュホー軍医を腰に張り付かせたままクリミネ少尉が尋ねてきたので、俺は簡潔に答える。
「第二中隊から第三中隊に将校の派遣要請があったということにしてもらい、いったん俺がここの指揮を執る。その後、下士官たちに現状維持を命令して俺はこの場を離れればいい」
書類上の責任者を俺にしておけば、何かあっても責任を取るのは俺だ。ビュホー軍医や各中隊の隊長は処罰されないだろう。
なのに、ビュホー軍医が呆れた顔をしている。
「どんだけお人好しなんだ、君は」
「本当ですよ。それ、中尉殿が損するだけじゃないですか」
クリミネ少尉まで。
俺は苦笑してみせた。
「儀礼大隊の戦友として、できる範囲で協力したいだけだ」
「だからそれがお人好しだっていうんですよ。もう、私との約束はどうなるんですか?」
「すまない」
どうせ予約を取っている訳でもないし、改めて出直せばいいだろう。休暇はまた取れる。
するとビュホー軍医が「おや?」という顔をした。
「そういえば君たち、なんでこんなところにいるのかね?」
この人なら正直に話しても構わないかな。
「休暇中に遠出してみたんですが、たまたま検問を見かけたんですよ」
「ほほう、クリミネ君と休暇かあ。いいねえ、あまじょっぱいねえ」
「それを言うなら『甘酸っぱい』ですよね?」
ビュホー軍医はニヨニヨしていたが、やがて力強くうなずいた。
「じゃあ悪いけど、少しだけこの場を預かってもらおうかな。すぐに大隊本部に伝令を出すからね」
「了解しました。ではこの場の指揮権をお預かりします」
俺が敬礼すると、ビュホー軍医も敬礼した。
「ありがとう、恩に着るよ」
クリミネ少尉も敬礼し、ふと気づいたように言う。
「あ、馬車は近場で待機してもらいますね。ちょっと言ってきます」
彼女が走り去るのを俺とビュホー軍医は見送ったが、軍医はふと思い出したように口を開いた。
「そうそう、大事なことを伝えておこう」
「なんですか?」
するとビュホー軍医はものすごく得意気な顔をした。
「僕はクリミネ君をちょくちょく触診しているけど、彼女はおそらく子宮が感じるタイプだよ。なんせ上から軽く押すだけでも艶かしい声を出すからねえ。うまくやりたまえよ?」
「患者の個人情報を他人に漏らすのは慎んでください」
前世じゃ考えられない話だが、こちらの世界には個人情報を保護するという概念がない。
特にビュホー軍医は死体ばっかり相手にしているので、ここらへんが極めて適当だった。死体は文句を言わないからだ。
俺は呆れつつ制帽を整える。
「小官は検問の陣頭指揮を執ります。軍医殿はおとなしく書類でも書いててください」
「ありがとう、そうするよ」
さて、休暇返上で仕事するか。
「それで政治犯というのは何者なんです?」
今後の段取りを考えながら俺が質問すると、ビュホー軍医はのんびりと答えた。
「ユオ・ネヴィルネルとかいう女性だよ。知ってるかい?」
……ええ、とても。
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