第60話 反逆令嬢は止まらない②

   *   *


 ふかふかのベッドで気持ちよく寝転がった俺は、テーブルの上の皿をぼんやり眺めていた。

「美味かったな……」

 差し入れられた夕食は最高だった。特にラム肉のソテーになんか旨いソースがかけてあるヤツが良かった。何のソースかわからなかったけど、奥行きのある旨味だった。



「リーシャはいいなあ」

 冷蔵庫のない世界では加工されていない肉は貴重だ。捕虜に食わせる飯がこんなに贅沢でいいのだろうか。

 これなら一週間ぐらい拘束されたい。



 ただ残念なことに酒は出なかった。リキュールぐらいなら少しあっても良いと思う。

 そういえば往診鞄にはブランデーの小瓶を入れていたな。気付け薬なので医薬品だ。消毒にも使う。往診鞄はクリミネ少尉に預けたままなので、結局飲めない。



 看守役の衛士にワインをもらえないか交渉してみようかと思ったとき、コンコンとドアがノックされて衛士たちが入ってきた。

「なんだ?」

「あんた、医者っぽいこともできるんだよな?」



 年配の衛士が確認するように訊ねてくる。帝国軍の将校に似た意匠がそこかしこについているので、たぶん衛士たちの長だろう。

 俺はベッドから体を起こし、うなずいてみせる。



「内科の正規教育なら途中までは受けている」

「おお、そいつは良かった。悪いんだが、内密で衛士を三人ほど診察してくれないか。酒で悪酔いしたみたいなんだが、ちょっと様子がおかしいんだ」



 捕虜に頼むことじゃないよね?

「俺が言うのもなんだが、診ていいのか?」

「俺たちみたいな下級使用人はなかなか医者に診てもらえなくてな。特に勤務中に飲んで不覚を取ったとなると、さすがに若様には言えん」



「捕虜に診察をさせるのはいいのか?」

「若様からはあんたを客人として遇するように言われている。部屋の外には出せないが、別に捕虜じゃないさ」



 衛士たちはなんだかのんびりした連中のようだ。

 軍人も俺たちみたいな後方勤務はあまり軍人っぽくないが、こいつらからも似た雰囲気を感じる。周りにいるのは味方ばかりだから、最前線の兵士とは何もかもが違うのだろう。



「わかった、ガバデリの実家の使用人なら俺も無碍にはできん。だが往診は無理だよな?」

「ああ。さすがにここからは出せんので、患者の方を担架で運ばせてる」

「じゃあそこの床に並べてくれ」



 おそらくクリミネ少尉がホテイシメジを使ったんだろう。前世のホテイシメジはよく知らないが、こちらの世界のホテイシメジは地域によって毒性がかなり違う。ジギタリスもそうだが、生薬は成分含有量にバラつきが大きい。



 とびきり強烈なヤツを選んでおいたから、酒を少し飲んだだけでもひっくり返るはずだ。

「こっちだ、そっと運べ」

「図体がデカいから運ぶのが大変だぜ」



 わいのわいの言いながら衛士たちが入ってきて、俺の前に患者を並べる。三人とも苦しそうだ。

「き、気持ち悪ぃ……寒い……目が回る……」

「吐き気があるのに……吐けねえんだ……」

「助けてくれ……」



 俺は軍医っぽいやり方で患者を励ます。

「よく耐えたな。俺がなんとかしてやるから、もう少しだけ頑張れ」

 窮屈そうな制服を緩めて楽にさせる。……おや?



「それで、どうなんだ?」

 衛士長らしいさっきの男が心配そうに聞いてきたので、俺は患者を凝視したまま片手で制する。

「まあ待て、まずは診断だ。主訴は寒気と目眩、それに嘔吐感か。発汗もあるようだな」



 原因はわかっているので、医者を演じるのも楽だ。脈を取り、手帳にペンを走らせながら、ふむふむとうなずいてみたりする。

「診断のために確認しておくが、本当に単なる飲み過ぎではないんだな?」



 衛士長らしい人物に聞くと、彼はうなずいた。

「三人でワインを半分ほど開けただけでこのザマなんだ。普段は一人で一瓶空けても平気な顔をしてる連中なんだが」

「一人あたりだとグラス一杯ほどか。確かに変だな」



 アルコール耐性がほとんどない人なら泥酔してしまう酒量だが、前世の日本人と比べると帝国人はおおむね酒に強い。俺もそうだ。お酒がいっぱい飲めて嬉しい。

 おっといかん、それよりも診察だ。



「ワインの現物はあるか?」

「ここに」

 さすがに衛士だけあって抜かりがないな。サッと出てきた。へえ、八年物か……。美味しそうだな。



「うーむ」

 難しい顔をしてワインを眺める俺。瓶の底の澱をじっと見つめたりする。

「酒が原因なら、飲めば同じ症状が出るはずだ」

 難しい顔のままコップに注ぎ、ぐびぐび飲む。わぁ美味しい。これだよこれ。夕食のときにこれを出せよ。



「おっ、おい!?」

 衛士たちが慌てるが、俺は構わずにワインを飲む。

「諸君は勤務中だろう? 俺は違う。だから毒見をするのは俺の仕事だ」



 衛士たちの中から、ぼそっと「飲んだくれのヤブ医者……」というつぶやきが聞こえてきたが、完全に無視する。

 いっぺんやってみたかったんだよ、飲んだくれのヤブ医者。



「さて、症状が出てくる前にワイン以外の可能性を潰しておこう。他に口にしたものはないか?」

 衛士長らしきさっきの男が足元の部下に訊く。

「あー……なんだっけ? つまみとかはあったのか?」

「ひ、ひもの……きのこの……」



 はい正解。よくやったぞクリミネ少尉。

「現物は?」

「ない……ぜんぶ、たべ……」

 美味いもんな、あれ。



 ブルブル震えている患者は、それでも情報を伝えようとしてくる。

「ガバ……ガバ……」

 やめろ、吹き出しそうになっただろ。



「デリ……おじょ……じょう」

 笑いそうになるのを必死にこらえる。主にクリミネ少尉の名誉のためだ。

 別の衛士が苦しげにうめく。



「お嬢様も食べてたが、なんともなかった……」

「では違うか。いや、一応確認しておいた方がいいかもしれんな。ここに連れてきてくれないか?」

 あわよくば合流して情報交換をと思ったが、さすがに衛士たちが首を横に振る。



「そりゃ無理だ。俺たちには連れ出す権限がない。それにお嬢様はお前の一味だろ」

「それもそうだな。まあ何かあれば侍医が診てくれるだろう。では乾物の可能性はいったん無視するぞ」

 極めて論理的に誤診完成した。飲んだくれのヤブ医者になったぞ。



「今のところ、ワインを飲んだ俺に症状は出ていない。となるとこれは別の原因を疑う必要が出てきた」

「別の原因?」

 衛士たちが顔を見合わせるので、俺はもっともらしい顔でうなずく。



「人から人に移って広がっていく、『看病人殺し』などと呼ばれる病気だ」

 帝国語にはまだ「感染症」という単語がないので、医学書に書いてあった記述で代用する。

「病人の近くで付き添っている者にも症状が出る。風邪もその類だが、死に至る病気も多い」



 ライノウィルスとかノロウィルスみたいなのは、こっちの世界にもいるらしい。同じものかどうかは俺にもわからない。

「この手の病気の場合、患者がどんどん増えていくと手がつけられなくなる。いったん隔離と経過観察だ。自室に戻して安静にさせた方がいい。見たところ、容態は安定しているようだからな」



 ホテイシメジを調達してくれたユギ中隊長が「これじゃどうやっても死なないんですよねえ」と残念そうに言っていたぐらいなので、ほっとけば治るだろう。

 グリーエン卿の処刑のときも、これは次善の策としたぐらいだ。



 一方、自分たちにも被害が及ぶかもしれないと言われた衛士たちは、とたんに慌て始める。

「おい急げ、急げ」

「わかっちゃいるが、ここは四階なんだよ。階段からこいつらを落とす訳にもいかんだろ」



 バタバタと慌ただしく出ていく衛士たち。

「すまんな、えーとフォンクトさんだっけ? 恩に着るよ」

「気にするな、どうせ暇だったんだ」



 すると衛士長が申し訳なさそうに告げてきた。

「このことは若様には内密に頼む」

「頼み事が多いぞ」

「借りはいつか返すから」

「その『いつか』が来ればいいんだがな」



 俺は軽く手を挙げ、苦笑してみせた。

 ドアにはガチャリと鍵がかけられる。これでまた快適監禁生活だ。

 だがどうやらクリミネ少尉が動き出したようだし、俺もそろそろ動くか。



 俺はポケットから紙人形を取り出す。患者の懐に挟まれていたものだ。

「可愛いことしやがって」

 紙人形を開いてメモを確認した俺は、ワインの残りを飲み干すと上着を羽織った。

 頼もしくなったもんだな、我が相棒よ。

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