第56話 小夜啼鳥の声③
こうして俺はクリミネ少尉を伴い、またしても外回りに出されることになった。
「軍医と軍楽隊員の道中って不自然じゃないですか?」
「仕方ないだろう。軍籍から経歴まで完全に偽造してある『顔』なんて、俺たちはひとつずつしか持ってないんだから」
大隊長や中隊長は複数の「顔」を持っているようだが、俺たち下っぱはそこまでコストをかけられない。
士官学校の成績に至るまで完璧に作り込まれた「顔」は、作るのも維持するのも簡単ではない。第一中隊の事務官たちを増員しない限りは不可能だ。
書類一枚の薄っぺらい「顔」なら偽造も簡単だが、組織的な調査の前には無力だ。さすがにそれでは心許ない。
とはいえ、確かに不自然な組み合わせだよな。
「一番自然なのは恋人同士を装うことだな。いや、兄妹という手もあっ……」
「恋人同士ですね、了解しました」
今なんか凄い勢いで割り込んでこなかったか?
「では私、スーエ・ヴァギルスはロキソン・ボルターレンの婚約者ということにしましょう」
「別に婚約まではしなくてもいいぞ」
「でもせっかくですから」
何がどうせっかくなんだ。
半ば勢いに押し切られる形になり、俺はクリミネ少尉の婚約者として帝国南部への旅を続けることになってしまった。
そして始まるクリミネ少尉の怒涛の婚約者トーク。
「ねえロキソン、結婚したら子どもは何人ほしい? たくさん授かれるように頑張ってね」
「あなたほどの名医なら、父もきっと気に入ると思うの。だから心配しないで」
「夜の診察が楽しみ」
ちょくちょくセクハラを挟んでくるのでクリミネ少尉の評価がどんどん下がるんだが、嫌われるよりはマシなので俺は耐える。耐え忍べ、結婚は忍耐だ。いや結婚はしない。
こういう偽装は徹底しないとダメなので、怪しまれないように宿も同室だ。
俺は床で寝ることにする。
「床はダメですよ、中尉殿。二人で寝た形跡がないとベッドメイク係に怪しまれます。どこに敵の目が光っているかわからないんですから」
「それはそうだが、ベッドがひとつしかない部屋だぞ」
「だから同じベッドで寝ればいいじゃないですか」
毛布をめくって手招きしてくるクリミネ少尉。
未婚の女性部下と同じベッドで寝られる訳がないだろ。現代日本のコンプライアンスを舐めるな。
と思ったが、押し問答に負けて同衾することになる。
「ねえ中尉殿、シーツが濡れてないと怪しまれますよね?」
「濡らすな」
やたらとくっついてくるクリミネ少尉はとても良い匂いがしたし、温かくて柔らかかった。
彼女にくっつかれるとびっくりするぐらい安眠できたが、起床したときになぜかいつも俺の着衣が乱れているのが気になった。
「おはよう、少尉」
「おっはよーございます! 中尉殿!」
「俺が寝ている間に何かしなかったか?」
「ナニモシテナイデスヨ?」
「俺の目を見ろ、少尉」
貞操の危機を感じる。
だがクリミネ少尉とくっついて眠るのは本当に心穏やかな時間で、俺は厳しい軍務を忘れることができた。なので多少の危機には目をつぶることにする。
そして道中、クリミネ少尉はずっと御機嫌だった。
ただ、捜査の方は御機嫌とはいかなかった。
「やっぱり反皇帝派の勢力が強くなっている気がしますね」
「貴官もそう思うか」
何度目かのチェックインの後、俺たちはそんな会話をする。どこで盗み聞きされているかわからないから、ベッドでくっつきながらのヒソヒソ声だ。
「大隊から紹介された情報屋が二人、行方不明になっている。さっき会った情報屋も信用はできないな。あの様子だと反皇帝派に俺たちの情報を売るかもしれない」
「こっちの素性は伏せておいて正解でしたね。あぁんっ!」
「急に大きな声で喘ぐな、怖いだろ」
するとクリミネ少尉はもぞもぞ動きながらこう言い返してくる。
「盗聴対策ですよ。ほら、中尉殿も喘いでください。激しい情交を装うんです」
「いや必要な……」
「あんあんあんあん」
また来た。俺を脅迫している。
だがクリミネ少尉の言う通りではあった。俺たちが既にマークされている場合、宿での会話は最優先で盗聴されるだろう。プライベートな空間では偽装の必要がないからだ。
今の俺たちはスパイと同じ。非情に徹しなくては生き延びられない。
「わかった。ただし苦情は受け付けないぞ」
「わぁ……!」
警告してるのに目をキラキラさせてるクリミネ少尉が怖い。
俺は彼女の上に覆いかぶさると、ベッドをギシギシ揺らした。
「これなら喘がなくていいだろ?」
「中尉殿の根性ナシ」
「苦情は受け付けないと言ったはずだ」
このミーティング、いろんな意味で疲れるから早めに終わらせよう。クリミネ少尉の耳元で俺はささやく。
「帝都から離れるほど、帝室の支配力が弱まっているのを感じる」
「はっ、はい! 感じます!」
「こちら側の連絡網が生きているうちに、大隊本部に一報入れておいた方がいいかもしれない」
「うんっ! はやくっ、はやく入れてっ!」
……なんだろう、人生で最悪のセクハラを受けている気がする。
えーと、クリミネ少尉はふざけているのかな?
俺は顔を上げて彼女の表情を見たが、目が虚ろでヤバい。表情が蕩けきっている。
これどういう状況?
「れんらくもうしんじゃう……はやくいっぽういれてぇ……」
よかった、ちゃんと話が通じてた。でも脚で俺を挟むな。あと腰を振るな。怖いよ、助けてコンプライアンス。
言っておくけど、転生した今の俺は健康そのものの二十代男子だからな? このままだと間違いが起きちゃうだろ。
まずいぞ、クリミネ少尉が異常に可愛く見えてきた。正常な判断力を失いかけている。
敵地で正常な判断力を失うことは死に直結する。俺は理性を総動員して、なるべく落ち着いた態度でクリミネ少尉に告げた。
「では暗号文で報告書を作成するので、ちょっと放してくれ」
「む〜っ……」
しばらく睨まれた後、俺は耳たぶをカプリと噛まれる。
不機嫌そうだがどこか甘ったるい声が、俺の耳元でささやかれた。
「こんなこと、本当に好きな人とじゃなかったら絶対に許してませんよ?」
俺の理性がモッツァレラ彗星に乗ってどこかに飛び去っていく。
そのため、報告書の完成は翌朝になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます