第55話 小夜啼鳥の声②

「結局まだ、埋め合わせの埋め合わせをしてもらってないんですけどー」

 ぶーすか文句を垂れている部下に、俺は情けなく謝罪する。

「すまん」



 無茶な命令を実行させた埋め合わせとして、絶品フレッシュチーズを食べに行くツアーを提案した俺だったが、自分の都合で中止させてしまった。

 さらにクリミネ少尉が用意した実家の馬車と騎兵まで徴発してしまった。



 これだけでも最低なのに、埋め合わせの埋め合わせを約束しておきながら数ヶ月経ってしまっている。もはや言い逃れの余地もない。

 階級は俺の方が上だが、同じ職場で働く先輩後輩だ。人間として詫びるしかない。



「まことに申し訳ない。あれ以来、休暇の申請が通らないんだ。情勢が緊迫している今、中隊の将校が二人も不在になるのは困ると、ユギ中隊長が難色を示していてな……」

 処刑執行以外の任務が増えすぎたせいで、何でも屋の第三中隊はハチャメチャに忙しくなっている。俺が中隊長だったらやっぱり許可しないだろう。



 するとクリミネ少尉は前髪をくりくりいじりながら、ぽつりとつぶやく。

「まあそれはね……私が」

「貴官がどうかしたか?」

「いえ、何でもありません」

 サッと背筋を伸ばし、真顔で応じるクリミネ少尉。なんだなんだ。



 彼女は俺に顔を近づけ、念を押すように言う。

「決して何でもありません」

「うん」

「何でもありませんので」

 やたらと念を押すな……。どうして視線をそらすんですか。怪しいぞ、こいつ。



 もしかして休暇の申請を通さないように中隊長に頼み込んでいたとか?

 いやでも、クリミネ少尉は埋め合わせの休暇を楽しみにしていたはずで……。えっ、どういうこと?

 もしかして俺と一緒に旅行に行くの、やっぱり嫌だった?



 そりゃそうだよな。考えてみれば男性上司と二人っきりでプライベートな旅行なんて、普通にありえないだろ。しっかりしろ俺。

 でもそうなると、ここまでの流れっていったい……?



「中尉殿? あれ、中尉殿? 難しい顔をなさって、どうしたんですか? 中尉殿?」

 俺の脳内に宇宙が広がり、モッツァレラチーズが糸を引きながら彗星のように飛んでいく。

 それを脳内で呆然と見送った後、俺は結論づけた。



 ――わからん。



 やっぱり女性の心って一ミリもわからん。

 人と人がわかりあえるなんて幻想だ。わかりあえないから言葉を尽くすのだ。

 俺はギュッと拳を握りしめる。



「すまない、クリミネ少尉。俺が至らないせいで貴官には迷惑をかけてばかりだ」

「えっ!? いえ、そんなことないですよ!? どうしちゃったんですか、急に」

「いいんだ、無理をするな」



 俺はなるべく優しい声で微笑みかける。前世のコンプライアンス研修、もっとしっかり受けておけば良かった。

 それはそれとしてクリミネ少尉が耳まで赤くなっている。



「そっ……そんな顔してもダメです。許しません。許しませんが……」

 こっちを見たり視線をそらしたり忙しいクリミネ少尉。

 何度か深呼吸をして最後にコホンと咳払いをした後、クリミネ少尉は再び文句を垂れ始める。



「埋め合わせの埋め合わせがこれだけ遅延している以上、かなりの利子をつけて頂かないと」

 もしかして「利子」を要求するために休暇の申請を妨害していたのか? 悪徳金融みたいなやり口だ。さっきの俺の反省と決意を返せ。



「そう言われてもだな」

 俺が渋った瞬間、真顔のクリミネ少尉が鼻にかかった甘い声を出す。

「あんあんあんあん」

「おいやめろ、撃ち方やめ」



 まさかこれからもずっと脅迫され続けるのか。あんな命令しなきゃよかった。

 きっと俺はこのまま利息だけ払わされて、永遠に元本の返済ができないんだ。

 俺は執務机に肘をつき、苦り切った顔で彼女に問う。



「要求を聞こう」

「今度の任務では南部に行きますが、少し足を伸ばして私の実家に顔を出していきたいんです」

 任務中に勝手なことしちゃダメだろ。



 俺は当然のように不許可にしようと思ったが、クリミネ少尉がさっきの表情になったので慌てて止めた。

「待て、早まるな」

「あん……」

 やっぱりやるつもりだったか。クソッ、敵の火力が強すぎる。



 俺はしばらく頭の中で多方面から検討し、それから静かにうなずいた。脳内宇宙でモッツァレラ彗星が遠くに飛び去っていく。

「任務の期間と範囲は指定されていないので、貴官の実家がある地域も捜査範囲に含めるよう計画書を変更しよう。時間のあるときに行ってきていいぞ」



 しかしクリミネ少尉は首を横に振った。

「いえ、中尉殿も御一緒に」

「なんでだ」

「あんあんあんあん」

 警告無しで射撃してきやがった。容赦なさすぎるだろ。



 俺は片手でそれを制し、心の中で白旗を掲げる。

「わかった、わかったから。ただし我々の所属は秘密だ。俺は表の顔、つまり中尉相当官の内科軍医、ロキソン・ボルターレンとして顔を出す。いいな?」

「はい、軍医なら喜ばれると思います」

 誰に?



 クリミネ少尉はコクリとうなずき、それから俺に背を向けると「よっしゃ」とつぶやきながらガッツポーズを取った。

 よくわかりませんが、先輩は君のことがとても怖いです。



「機嫌が直ったのなら、さっさと出立するぞ。最近は安全に通行できる街道が限られていて、それも刻々と変化している」

「表向きは何も起きてないんですけどね」



 クリミネ少尉が苦笑し、俺は溜息をついた。

「水面下でバチバチにやり合ってるらしいからな。互いの密偵や協力者を処刑するなど、かなりの人死が出ている。俺たちも気をつけないと暗殺されるぞ」



 勅命を振りかざして処刑しまくってきた大隊だ。ありとあらゆる反皇帝派から恨みを買いまくっている。

「貴官も表の顔を使うように。そういえば表の顔は何だ?」



 すると彼女はフフッと微笑んで敬礼した。

「近衛師団儀仗楽隊所属、スーエ・ヴァギルス少尉相当官であります」

 しばし無言の俺。

 まあ良家のお嬢様なら楽器のひとつぐらいは嗜みがあるか。いやでも、こいつの場合はだいぶ怪しいぞ。



「楽器を演奏できるのか?」

「舞踊と歌唱も一通りは」

 くるりと回ってみせるクリミネ少尉。確かに様になっている。

 声もいいしな。ロクなことしゃべらないが。



「女性の軍属なら音楽家は珍しくない。だがアマチュアの演奏力ではごまかしがきかないぞ。大丈夫か?」

「担当楽器がボリュニグラフォンなので大丈夫です」

「なんだそれ」



「壁に埋め込んである固定式の大きな楽器ですよ。神殿とかで見たことありませんか?」

「ああ、あの怪物みたいなヤツか」

 こっちの世界にしか存在しない、巨大な管楽器だ。原理的にはパイプオルガンに近いが、鍵盤ではなく足踏みペダルで演奏する。



 パイプ一本がひとつの音階を担当するのでペダルの数も膨大なものになり、普通は数人で演奏するらしい。

 葬礼用や祝賀用など目的に合わせて建物ごと設計されるので、同じものがひとつとして存在しないのも特徴だ。



「あれなら普段自分が使ってるもの以外はうまく演奏できないのが当たり前ですから、『試しに演奏してみろ』と言われても困りません。外回りの仕事に最適な『顔』ですよ」

 普段は何にも考えていないように見えるが、ちゃんと考えてるんだよな。



「あれは確か、自由な上体で身体表現もやる楽器だろう」

「そのための歌唱と舞踊ですよ。あと自宅にも二台ありましたので、実際に演奏したこともありますし」

 パイプオルガンみたいな楽器を複数所有してる自宅ってどんなのだ。



 それからクリミネ少尉はちょっと得意げに笑う。

「あと横笛なら十年ぐらい習っていますので、それをサブの楽器ということにして持ち歩きます。まだ練習中という設定で」

「それなら言い逃れの余地もあるか」



 プロとアマチュアの間には大きな差があるはずだが、それでなんとかごまかそう。

 ちょっと感心してうなずくと、クリミネ少尉がペロリと舌なめずりをして意味ありげに笑う。

「中尉殿の横笛も吹いて差し上げましょうか?」

 最低の下ネタが飛び出してきた。楽器への愛があったら絶対言わないだろ。



「本職らしくない発言は偽装がバレるから感心しないな。あと普通にセクハラだからやめろ」

「セク……なんです?」

 帝国語には「性的な嫌がらせ」に該当する表現がまだないんだよな。



 俺は手をヒラヒラ振って、このややこしい相棒を追い払う。

「忘れてくれ。それよりも出立の準備をしよう。表の身分を偽装するために必要な道具を調達してくれ。練習用の楽譜や、楽器の手入れ道具も忘れずに」



「はぁい、了解しましたぁ」

 なんだかとても不機嫌そうな様子で、クリミネ少尉は敬礼した。

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