第44話 戦友の絆③
ペンデルタイン要塞に「ユオ・ネヴィルネル」の一派がいるのは確実だが、軍人か軍属である以上は正体を表さないだろう。反皇帝派だとバレたら銃殺刑になりかねない。
だが俺に何か用があるらしいから、また接触してくるかもしれない。
「なかなかユーモアのあるヤツっぽいから、何か気の利いたことをしてくるだろう」
俺は机をトントン叩き、紙人形の棒人間くんに独り紙相撲をさせながら今後の動きを考える。
クリミネ少尉は不満そうだ。
「たぶんバカにされてるだけですよ」
「そうかもしれない。水面下で勢力を拡大しつつある彼らにとっては、皇帝の飼い犬がバカに見えるだろうな」
もともと武力による占領や併合で領土を拡大してきた帝国だ。ひとつの国としてのまとまりはない。まとまりがないから反皇帝派も結集してこなかったが、今は「ユオ・ネヴィルネル」という偶像がいる。
「ただ、皇帝の飼い犬なんてバカらしいと思っている点で俺はあいつらと同じだ。そこを突破口にして、連中の情報を集めたい」
するとクリミネ少尉が露骨に不安そうな顔をした。
「それ、もしかして潜入捜査みたいなことを考えてませんか?」
「さすがにそこまでは考えてないよ」
「だったらいいんですけど、相手の懐に潜り込んでそのまま取り込まれちゃうことってよくありますからね」
成り上がりの準貴族の家系だけあって、このお嬢様は世の中のことをよくわかっている。
士官学校でも諜報戦の講義があり、俺も密偵の真似事はしないように教わった。こちらの世界でもその道のプロは恐ろしいらしい。
「そうだな。そうやって敵を味方にしていく戦略もあるぐらいだ」
「私の母方の祖父がその疑いをかけられて火炙りにされたらしいので……」
ああ、かなり具体的な事例が身近にあったんだな。
俺は相棒の不安を和らげるために笑ってみせる。
「まず相手の出方を見る。そして大隊長に逐一報告する。報告書が俺の潔白を証明してくれるはずだ。何があっても一線は越えない。それでいいか?」
「まあ……はい」
まだ心配そうだな。
この子は自分が危険な目に遭ったり屈辱的な仕打ちを受けたりしても平然としているのに、俺のことをこんなに心配してくれている。
「貴官のような相棒を持てて幸運だよ」
そう言うとクリミネ少尉はうつむき、ゴニョゴニョつぶやいた。
「一生、一緒ですから……」
一緒とは言ったけど一生とは言ってないような気がする。言ってないよな?
たぶん言ってないと思うんだが、クリミネ少尉の表情を見ているとそんなことも言い出しづらい。
この話題はなんか怖いので避けよう。
俺は日本からの転生者らしく曖昧に微笑み、面倒から逃げる。
「とりあえず今夜はここに泊まる。明日の朝にここを発つと要塞側には伝えてあるから、動きがあるとすれば今夜だろう。警戒を頼む」
「はい、中尉殿」
いつものように真顔で敬礼され、俺はホッとした。俺たちの距離感はこれぐらいがいい。
* *
その後、俺たちは要塞内にある士官食堂で夕飯にして、毒が入っていないかビクビクしながら食べた。
毒物が入っていた場合に備え、酒は飲まないことにする。薬物の代謝に影響するからだが、ただ酒の機会を逸した恨みは大きい。
平時の要塞にいて酒も飲めないというのは、なんだかムカつくな。
「中尉殿はお酒が好きなんですね」
「そんなに飲みたそうな顔をしているか?」
俺が芋と豆のスープを少しずつ口に運びながら聞くと、準貴族令嬢は完璧なテーブルマナーで食事しながら澄まし顔で答える。
「さっきから他の人のワイングラスばかり見てますよ」
しっかり観察されていた。俺は苦笑するしかない。
「俺をよく知っている者なら、酒に毒を入れれば簡単に殺せると思うだろうな。それに酔った状態では毒に弱くなる」
真面目な軍人であることをアピールしたつもりだったが、クリミネ少尉はなぜかつまらなさそうな顔をした。
「自制心が強いんですね、中尉殿って」
「そうだが?」
それの何がいけないんだよ。おい、フォークで芋を執拗につつくな。なんだかあの芋、俺に見えてきた。
しおらしくなったり不機嫌になったり、この子のことはよくわからん。
士官食堂は将校と古参の下士官しか入れないが、給仕や調理は兵卒や軍属が行っている。セキュリティ的にはやや不安がある。
「さっさと食べて部屋に戻ろう。シャツの洗濯ぐらいはしたかったが、今回は諦める」
「そういえば中尉殿って本当に清潔ですよね。ぜんぜん匂いしませんし」
身だしなみとして正しいと思うのだが、クリミネ少尉はまだ不満そうな顔をしている。清潔の何が悪いんだ?
クリミネ少尉は芋と豆のスープを平らげ、最後まで取っておいた豚肉を大事そうに食べると立ち上がった。
「私も清潔にしてきますので、先に部屋に戻っていていいですか?」
「単独行動は危険だぞ」
俺がそう言うと、クリミネ少尉は嫌そうな顔をした。
「まさか女性に言わせる気ですか?」
「あっ……。すまない、もちろん許可する。します。どうぞ」
正統帝国には女性士官がほとんどいないので、要塞にも女子トイレはない。となると生理用品の交換ができるのは自室ぐらいだ。俺がいるとできない。
こういうときに察せたらいいんだが、どうしてもワンテンポ遅れてしまう。自分の限界を感じる。
俺は柱時計で時刻を確かめてから、クリミネ少尉に声をかけた。
「ここで紅茶を二杯飲んでから戻る。他にも必要なことがあれば済ませておいてくれ」
「ありがとうございます、中尉殿」
俺が落ち込んでいるのがちょっと面白かったのか、クリミネ少尉は少しだけ微笑んでくれた。
* *
そして俺は士官食堂の薄くて不味い紅茶を二杯飲み、喉がイガイガしてきたところで席を立った。安物の出涸らしみたいな茶葉が軍隊の味だ。やはり軍隊は酒に限る。
さて、さすがにクリミネ少尉の身支度も終わっているだろう。
与えられた部屋の前まで戻ってきたが、念のためにドアをノックする。
返事がない。鍵はクリミネ少尉に渡しているから俺では開けられないが、ドアノブを軽く握ってみると施錠されていないことがわかった。
俺はサーベルの鞘を左手で握りながら、普段通りの声で言う。
「入るぞ?」
ドアを開けた瞬間、身を伏せつつ抜刀する。
これで何事もなかったら笑い話だが、そんなことは安全を確認してから考えればいいことだ。
部屋の中には女性が一人いた。
だがクリミネ少尉ではない。儀礼大隊の黒い軍服を着ているが別人だ。
「フォンクト中尉殿、ですね?」
「その声には聞き覚えがあるな」
俺たちが尾行されたとき、雑踏で俺に声をかけてきた謎の人物だ。
俺は部屋の中に他に誰もいないことを確認し、サーベルを鞘に納めた。
「クリミネ少尉はどこだ」
「脱脂綿を支給するという口実で連れ出しました。そちらは本当なので、すぐに戻ってくると思います。危害は加えていません」
それを信じるかどうか迷ったが、俺はとりあえず牽制だけしておく。
「ずいぶん大胆だな。逮捕される気になったか?」
すると彼女は机上の紙人形を手に取りながら、フフッと微笑む。
「今ここで逮捕しますか?」
「ここで『ユオ・ネヴィルネル』を逮捕すれば大問題になる。得策ではないな」
儀礼大隊の制服を来た部外者が要塞内部に入り込んだとなれば、内通者の捜査や司令官の責任問題に発展する。間違いなく誰かの首が飛ぶだろう。比喩ではなく物理的にだ。
そうしない限り、収まりがつかなくなる。
今の皇帝がそういう人物だからだ。
「命と引き換えに大問題を起こして我々にダメージを与えたいというのなら、逮捕してもいいが」
「それでも構いません。私は死にますが、この要塞にも儀礼大隊にもかなりの痛手を与えられるでしょうから」
全く動じることのない態度だ。覚悟を決めた人間の目をしている。
ここでこの女性を逮捕するのはリスクが大きいが、見逃して会話したとなるとそれはそれでまずいことになる。
「逮捕するのは簡単だが、俺に用があって来たのだろう?」
「はい。あなたに少し興味がありまして」
にこっと微笑む女性。
そうきたか……。
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