第45話 戦友の絆④

 儀礼大隊の黒い軍服を着た「ユオ・ネヴィルネル」は、微笑みながら机上の紙人形を弄ぶ。

「あなたは皇帝の手先ですが、他の人とは違いますね」

「変わり者だとはよく言われる」



 彼女は微笑むのをやめて、俺をじっと見つめた。

「我々が何をしてるのか、知りたくはありませんか?」

「知りたいとも。俺は君たちの敵だ。帝国軍人として、秩序を乱す者は放置できない」



 お前たちの仲間にはならない。

 仲間になるふりをして情報を引き出すという手もあるが、クリミネ少尉との約束がある。

 それになんとなく、この女性を騙すことへの警戒感があった。良心が咎めるというのもあるが、それ以上に何かまずいことになりそうな予感がする。



 黒衣のユオ・ネヴィルネルは軽く溜め息をついた。

「『敵』には何も教えられませんね。もっと交渉上手な方かと思っていましたが」

「誰に対しても誠実でありたいだけだよ。たとえ敵であってもな」



 そう答えると、彼女の表情がまた柔らかくなった。

「それは……とても良いことだと思います」

「ありがとう。そこで敵である君に対しても同等の誠実さを求めたいのだが、儀礼大隊の軍服はやめてくれ。君たちがそれで誰かを欺くつもりなら、俺も誠実さを諦める必要が出てくる」



 俺が言うと、ユオ・ネヴィルネルはうなずいて立ち上がった。

「おっしゃるとおりですね。では脱ぎましょう」

「いや、今である必要は……」



 俺が言うよりも早く、彼女は上着をスルリと脱いでしまう。シャツのボタンを外すと、それも躊躇なく脱ぎ捨てた。

 驚いたことに……いや平民女性なら驚くような話でもないが、彼女は肌着を身に付けていなかった。胸まで丸出しだ。



 正統帝国ではワイヤー補正ブラジャーなんてものはまだ発明されておらず、胸を覆うものといえばコルセットとキャミソールぐらいしかない。

 平民女性はコルセットなんか持ってないし、キャミソールも持ってないことが多い。



 もちろんそれを恥ずかしいと思う気持ちも希薄なので、平民出身の俺が視線を逸らすのはおかしい。あくまでも正統帝国の平民将校らしくしていないと怪しまれる。

 だから俺はトップレスの彼女を平然と……実際には内心かなり動揺しながら見つめる。

 結構ありますね。形も綺麗だし。



 だが胸よりも見なければいけないものがあった。脇腹の古傷だ。

「なるほど、手配書通りの古い刀傷か」

「はい、私が『ユオ・ネヴィルネル』です。紛れもなく、あなた方が探している女ですよ」



 俺は胸と古傷に視線を往復させながらも、平静を装って答えるしかなかった。

「君は俺が処刑したのだがな」

「そうですね。ですが『ユオ・ネヴィルネル』は何度でも蘇りますから」



 そう、「ユオ・ネヴィルネル」は個人の名前ではなく反皇帝思想そのものだ。人々の間に共有されている限り、決して殺すことができない。

 そして彼女たちはそれを理解しているし、自身の死を恐れない。



 これだけの覚悟がある人間は、おそらく目の前の彼女だけではないだろう。彼女を殺しても無駄だ。すぐにまた次の「ユオ・ネヴィルネル」がどこかに出現する。

 そう考えたとき、俺はひとつの結論を口にするしかなかった。



「では正統帝国は崩壊するな。早いか遅いかの違いでしかない」

 するとユオ・ネヴィルネルは驚いたような顔をする。

「そう思うのでしたら……」



「勘違いするな。反皇帝派に与する気はないぞ。俺は帝室儀礼大隊の将校だ。帝国の崩壊が早いか遅いかの違いでしかないとしても、できる限り遅らせる義務がある」

 脱ぎ捨てられた儀礼大隊の制服を拾うと、俺はそれを彼女の肩に掛けてやる。さすがに胸ぐらいは隠してもらわないと冷静な思考ができない。



「今日だけはこれを着ることを黙認しよう。その代わり、俺がここに戻ってくる前に立ち去れ」

「どうして……?」

「ここで君を逮捕しても処刑しても問題は解決しないどころか、逆に責任問題で味方が損害を被る。だったら今は逮捕しない。好機を待つさ」



 そんな好機が来るとも思えないんだが、立場上こう言うしかないよな。

 とりあえず何も見なかったことにするので、今のうちにどっか行ってください。こんなめんどくさいこと、中尉の安月給に見合わないぞ。



 するとユオ・ネヴィルネルはこう言った。

「あの……信じてもらえるかわかりませんが、私個人は儀礼大隊と敵対するつもりはありません。打倒しなければならないのは、あくまでも帝室です。徒に敵を増やすのは得策ではありませんから」



 俺は制帽を目深に被り直すと、彼女に背を向けた。

「あいにくと、敵の言葉を信じるほどお人好しではないよ。君がそう考えているのなら、行動で示してくれ」



 信じてやりたいが、軍人という職業を考えるとそうもいかないだろう。騙したり騙されたりするのが戦争だ。

 就職先を間違えたかもしれない。



 俺はドアを開けて廊下に出ると、クリミネ少尉を探すことにした。

 あの様子だと本当に何もされてないはずだが、やっぱり心配だからな。


   *   *


 俺がクリミネ少尉を見つけたとき、彼女は主計科の事務室からスキップしながら出てくるところだった。

「あっ、中尉殿」

「あっ、じゃないぞ。勝手にどこに行っていた」



 俺は死ぬほど安堵したが、上官として部下の勝手な行動を戒める。あの女性が何か企んでいたら、君は死んでたかもしれないんだぞ。

 するとクリミネ少尉は何も知らない様子で、嬉しそうに伝票を見せた。



「見てください、脱脂綿だけでなく保湿軟膏までもらえました!」

「化粧水代わりに使うつもりか?」

「そうです。あ、化粧水をご存じなんですね」

 あれぐらいなら現代日本の男性も使うからね。前世で試供品を使ったぐらいだけど。



 クリミネ少尉が嬉しそうだと俺まで嬉しくなってくるが、俺はわざと険しい顔をして小さな声で言う。

「貴官が思っているよりも状況は深刻だ。同行するから、支給品を受け取ったらすぐに部屋に帰るぞ」



 倉庫に向かって歩き出した俺に、クリミネ少尉が早足でついてくる。

「どうかしたんですか?」

「例の『亡霊』が部屋に来た」

「えっ!?」



 思わず大きな声を出してしまったクリミネ少尉は、慌てて口を押さえる。廊下には兵卒や軍属がまばらに歩いていたが、俺たちは将校なのでそれ以上詮索されることはなかった。

「亡霊って、まさか……」

「本人がきっちり名乗ってくれたぞ。おまけに手配書の刀傷まであった」



 クリミネ少尉はびっくりして伝票を落としそうになり、慌てて空中でキャッチする。

「えっ、えっ? じゃあ逮捕したんですか?」

「していない。ここで逮捕したら何が起きると思う?」

「あ、あー……」



 そこらへんは彼女も察しが良いので、すぐに表情を引き締める。

「そこまでわかって姿を現したってことですか」

「そうだよ。だから帰るように言っておいたんだが、怖いから部屋に戻るときは一緒に頼む」



 丸腰の女性一人に怯えるほど俺も弱くはないが、そう言って微笑むとクリミネ少尉もちょっとだけ笑った。

「わかりました。部屋に戻ったら詳しい話を聞かせてください」

「そうだな」


   *   *


 幸い、部屋に戻ったときには誰もいなかった。

「誰もいませんね」

「いないようだな」



 大して広い部屋でもないし、家具といったらベッドとテーブルぐらいしかないので、誰かが隠れている気配はない。



 テーブルの上に置いてあった紙人形は、いつのまにか消えていた。ユオ・ネヴィルネルが持ち去ったのだろう。立てたり持ち去ったり、あいつの考えていることはよくわからない。

 クリミネ少尉はくんくんと犬のように鼻を鳴らしていたが、やがて俺を振り返る。



「私のと違う香水の匂いがしますけど、そんなに匂いの強い人だったんですか?」

「いや、言われるまで気づかなかったな」

 確かに柑橘系の爽やかな香りがする。庶民でも果皮などで匂いをつけることがあるから、珍しい話ではない。



 しかしクリミネ少尉はジト目で俺を睨んでくる。

「じゃあ服の内側の匂いですね。でも内側につけてた匂いがこんなにするってことは、ここで服を脱いでますよね?」



 えっ?

 なんですかこの流れ。

「この部屋で女性と二人きりになって、その女性が服を脱いだんですよね?」

「待て、落ち着いて話し合おう。事実だけ抜き出せばそうだが、俺の説明を聞け。聞いてくれ」



 ユオ・ネヴィルネルのせいで俺は誤解を解くために苦労することになった。

 あいつやっぱり敵だ。敵でいい。

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