第18話 忍び寄るもの⑤

 それからしばらく、俺は内勤の仕事を命じられて帝室儀礼大隊本部で書類と格闘していた。もともとデスクワークの下士官としてここで働いていたので、どれもこれも慣れた仕事だ。前世もこんなもんだったし。



 パソコンもメールもないのは若干しんどいが、そのせいで期日がユルいのは助かる。緊急の書類でさえ期日が翌々日だったりする。

 全部手書きなのが面倒だが、ひとつひとつの案件がスローペースなのはいい。



「中尉殿、楽しそうですね」

 俺の執務室に遊びに来たクリミネ少尉がそんなことを言うので、俺は座ったまま背伸びをした。

「処刑部隊なのに誰も殺さなくていいからな。おまけに給料は同じだ。最高だろ?」



 ごく普通の受け答えをしたつもりだったが、クリミネ少尉が首を傾げる。

「書類仕事するぐらいだったら、誰かを処刑した方が楽じゃないですか?」

「怖いことを言うな」

 これは彼女が悪いのではなく、人命の軽いこの世界が悪いのだと思う。処刑見物が娯楽だもんな。



 クリミネ少尉が机上を覗き込んでくる。

「何の書類を書いていたんですか?」

「どこかの誰かがよくわからん理由で処刑されたという報告書だ。帝室に提出するために書式を整えてる」



 暇なときは帝都の治安維持に駆り出されて泥棒の絞首刑を執行したりもするので、大隊全体で見ると毎日のように誰かを殺している。

 強盗は初犯で死刑、スリや空き巣も再犯なら死刑にできる法律だから死刑執行がやたらと多いのだが、それでも全く犯罪が減らないのはある意味で凄い。

 それだけ貧困が蔓延しているということだろう。



「たまには第二中隊と合同で銃殺刑とかやりませんか?」

 そんな職場の合同バレーボールみたいな感覚で人を殺さないでほしい。

 だがこれも射撃訓練を兼ねるので帝室からは奨励されており、クリミネ少尉は何にも悪くない。



「銃を撃つだけなら好きなんだが、銃身の掃除と制服の洗濯がな」

「黒い制服ですし、火薬の汚れなんか誰も気にしませんよ。中尉殿は綺麗好きですね」

 黒色火薬の主原料は硝石、つまり硝酸カリウムだけど、あれって衣服に悪影響ないのかな? 硫黄や木炭も入ってるし、気になるから洗濯しちゃう。



 俺はペンを置いてクリミネ少尉を見上げる。

「ところで、『ユオ・ネヴィルネル』の件で何かわかったことはあるか?」

「フマーゾフ卿には大隊長が問い合わせてくれたんですけど、誰がその名前を使ったのかはわからないそうです。北部ではネヴィルネル家の存在すら知られていないそうで」

「だよなあ」



 テレビどころか新聞すら存在しない世界なので、同じ帝国で暮らしていても地方が違えば完全に別の世界だ。お互いのことを何も知らない。

 俺は机上の報告書を指先で叩く。



「帝室に上げられる報告書がどこかですり替わったのかもしれないな。ここにある報告書なら俺でも書き換えられるし、俺が書いた報告書を貴官がすり替えることも可能だ」

「ついでに提出しておきますよって預かっちゃえばいいですからね」

「そういうことだな。わからんことだらけだ」



 今回の件は、黒幕が親皇帝派なのか反皇帝派なのかもわからない。複数の陰謀が絡み合っていたり、誤解や混乱が事態を複雑化させている可能性もある。

 手持ちの情報だけでも推測はできるが、その危険性は士官学校でも教わった。



「机上演習と違って、実際の戦場には見ることのできない不確実性の部分がある。戦場の外もだいたいそうだ。見えている部分だけで判断すると、見えていない部分で足をすくわれる」

「あ、それ習いました。なんでしたっけ?」

「『戦場の霧』だよ、クリミネ少尉。グスペンターフ将軍の『作戦概論』だ」



 全く同じ言葉が前世にもあったので、士官学校の講義中にちょっと感銘を受けたのを覚えている。

 前世で「戦場の霧」を言い出したのは……あれ、誰だ?



 モルトケじゃなさそうだし、ジョミニはそんなこと言わない。あんまり詳しくないから、他にそれっぽい人物の名前が出てこない。霧がかかったみたいだ。

 考えても仕方がないので、俺は今世の知識だけ覚えておくことにする。



「俺たち下っ端は、陰謀に巻き込まれても何もわからない。わからないことを受け入れ、わからないまま行動することに慣れるんだ」

「わからないけどわかりました」

「うん」



 俺もなんだかわかるのかわからないのかわからなくなってきた。

 椅子から立ち上がった俺は、窓の外を眺める。



「人は未知を恐れ、既知に変えようとする。だが未知を既知だと思い込むことを最も恐れるべきだ」

「それは聞いたことがありません。誰の言葉ですか?」



 俺は指先でトントンと胸を叩く。

「俺だよ」

「なんだ」

 相変わらず失礼だな……。



 俺が死をあまり恐れないのも、俺にとって死は未知ではないからだ。なんせ一度経験している。

 転生するなら死は終わりではないし、死んだまま終われるならそれも悪くない。めんどくさいからな、人生。



「要するに俺や貴官のような下っ端があれこれ考えても仕方がないという話だ。そのうち大隊長が何か考えてくれるだろう」

「私たちが知らないことをいろいろ知っていますからね」



 正統帝国の佐官は様々な機密に触れることができる軍幹部で、俺たち尉官とは全く違う存在だ。

 儀礼大隊に限らず、大半の帝国将校は大尉で退役を命じられる。少佐に昇進できるのは一割ほどだ。



 なんせ少尉や中尉に預ける小隊は無数にあるが、少佐が隊長を務める大隊はその小隊が九~十六個ほど集まってできている。だから少佐はそんなに必要ない。

 帝室儀礼大隊が形だけでも「大隊」と名乗っているのも、佐官の配置には大隊規模が必要になるからだ。



 それだけにゲーエンバッハ少佐、つまり大隊長は特別な存在であり、俺たちも深い信頼を寄せている。大隊長の命令なら皇帝だってぶっ殺してみせるという将校は多いはずだ。同僚のマイネン中尉もそうだった。



「だから俺は大隊長が命じてくれるまで、ここで書類をいじくり回して給料を貰う」

「志が低い……」

「職務に忠実な軍人に向かって失礼だな」

 この子、すぐに俺の悪口を言うから油断ができない。



 そのときドアがノックされ、中隊所属の下士官の声が聞こえてくる。

「フォンクト中尉殿、御在室ですか?」

「ああ、構わんから入ってくれ」



 下士官は敬礼し、俺とクリミネ少尉を見る。

「ああ、ちょうどよかった。大隊長からお二人に、ただちに大隊長室に来るようにとの御命令です」

「わかった、ありがとう」

 なんだろうな?

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