第17話 忍び寄るもの④

「では私たちは先に出ますね」

「中隊長殿、お気をつけて」

 ユギ大尉がデコット伍長と共に近衛将校の白い軍服で店の外に出ていく。



 俺とクリミネ少尉は準貴族の……つまり金持ちの夫婦という出で立ちで、少し時間を置いてから店を出た。二人で肩を並べ、石畳の道をのんびり歩いていく。

 正統帝国は服飾的には十九世紀の水準に達しているので、富裕層ともなるとかなり良い服を着ている。



 なお工業や医学の水準は十八世紀に達しているかも怪しいので、富裕層でも生活は不便だし、そこらじゅう不衛生だし、病気であっさり死ぬ。俺はやっぱり現代日本の方がいい。

 それはともかく。



「少尉、尾行者らしいヤツはいるか? 俺が見つけたときは、茶色いジャケットを着た白髪の老人だった」

「むしろ該当者が多すぎて困っているんですが」

「だよなあ」



 この世界の庶民は服をあまり洗えないので、汚れが目立たない色を好んで着る傾向がある。染料も色鮮やかなものは高い。だから庶民はだいたい茶色か灰色になる。

 というか、着ているうちにだんだん茶色か灰色になる。



「中隊長たちを尾行しているヤツがいれば、たぶんそいつなんだが……」

 するとクリミネ少尉が小声で言った。

「あの老人、行き先が同じです」

 ああ、あの人か。確かにユギ大尉たちをずっと追っているように見える。



 だが俺は首を横に振った。

「彼のジャケットの肘をよく見ろ」

「ひじ?」



「擦り切れて光沢が出ている部分と、肘の位置が完全に一致している。あれは彼が実際に何年も着ている服だ。変装じゃない」

 そういう馴染んだ服を用意してきた周到な尾行者かもしれないが、そういうヤツはバレるような尾行なんかしないだろう。



 クリミネ少尉が感心している。

「さすが『洗濯屋』と呼ばれるだけのことはありますね」

「好きで洗濯してる訳じゃないんだがな」



 さすがに肌着は毎日換えないと気持ち悪いから、非番の日は数日分の肌着を洗って干すことになる。

 これだけはどんなに不審がられてもやめるつもりはない。俺の尊厳に関わる問題だ。



 俺は視線だけ動かして周囲をざっと見て、不審な人物がいないことを確認する。

「雑踏に紛れられると、さすがにもうわからんな。適当なところで尾行者探しは断念して、マイネン中尉の墓参りに行こう」

「了解しました」



 クリミネ少尉はうなずきつつ、ドレスの胸元を引っ張り上げた。

「どうした?」

「いえ、ちょっとぶかぶかで」

「ああ」



 俺は軽くうなずく。

「中隊長はああ見えて体格がいいからな。貴官には少し大きいかもしれ」

 キッと睨まれたので俺は即座に口を閉ざす。

 えっ、なに!?



 クリミネ少尉が世界中の不機嫌を集めて作ったような顔をしている。

「どうせ私はうすっぺらのぺったんこです」

「え? あ、いや……そうではなくてな、中隊長は見た目より筋肉質だから少し余裕を持たせているんだ」



 しどろもどろに説明すると、驚いたような顔になるクリミネ少尉。

「えっ⁉……し、失礼しました!」

「いや、こちらこそすまない」



 気まずい沈黙。軍務と関係ない気苦労が多い。

 結局、ユギ大尉たちを尾行している者は見つからず、俺たちは逆尾行を断念することにした。



「中隊長たちが大隊本部に戻るコースに入ったな。どうやら終わりのようだ。クリミネ少尉、その格好で陸軍共同墓地まで歩けるか?」

「ブーツなので問題ありませんが、胸がずり落ちそうです」

「余ってる布をベルトで押さえてなんとかしてくれ」



 俺たちが歩き出したとき、雑踏の中から若い女性の声がした。

「『ユオ・ネヴィルネル』を殺したのはお前だな?」

 ぎょっとしたが、俺は振り返らない。変装中だからだ。

 もちろんクリミネ少尉も完全に無視していたが、唇が微かに震えていた。



 内心で焦りを感じつつ、十歩ほど歩いてから仕立屋の窓ガラスでそっと背後を確認する。声の主は既にいないようだ。

 こんな場所でキョロキョロできないし、向こうもそれはわかっているから声をかけたのだろう。ムカつくヤツだ。



「行こう」

「は、はい」

 どうやら俺たちは、少しばかり危険な領域に足を踏み入れてしまったらしい。


   *   *


「少しどころではないな」

 翌日、俺とクリミネ少尉は大隊長室に呼び出された。

「お前たちはかなりの危険に足を踏み入れてしまったようだ」



 金髪眼鏡の大隊長は溜息をつき、それから俺たちをじっと見つめる。

「すまない。私がお前たちに危険な任務ばかりを割り振ったせいだ。取り急ぎ、手を尽くして調べてみた」



 そう言って大隊長は分厚い書類の束を積み上げる。

「『ユオ・ネヴィルネル』について調べてみた。三十年ほど前に実在した人物だ」

「なんですって!?」

 俺がカヴァラフ地方で処刑した(ことになっている)人物が、実在しているというのはちょっとまずいぞ。



 しかし大隊長は苦笑する。

「心配するな、既に死亡している。皇帝を暗殺しようとして処刑された稀代の悪女だ」

 なんだかいわくありげな人物だな。



 大隊長は書類を手にすると、書かれている情報を読み上げる。

「ユオ・ネヴィルネルは、南部の小領主ネヴィルネル家の四女だった。皇妃の侍女として仕えていたが、皇帝の暗殺を企てたとして処刑されたそうだ」



 クリミネ少尉が興味津々といった様子で問う。

「本当に暗殺しようとしたんでしょうか?」

 大隊長は目を伏せ、首を横に振った。



「わからないな。ネヴィルネル家を失脚させる陰謀だったのかもしれない。一門は全て逮捕され、幼子にいたるまで処刑された」

 俺は内心で大きく溜息をつく。一番苦手なタイプの話だ。こういうときは無関係の子供まで殺すから気分が悪い。



「事件は内々に処理されたようで、記録もほとんど残っていない。覚えているのはネヴィルネル領の年寄り連中や、古参の帝室関係者ぐらいだろう」

 そして大隊長はチラリと俺を見る。



「今になって、どこかの誰かが書類の上で『ユオ・ネヴィルネル』を復活させた。だがそれは帝室儀礼大隊の精鋭、フォンクト中尉によって処刑されてしまったという訳だ」

 ああ……。俺、もしかして誰かの陰謀を潰しちゃったのかな。



 大隊長は俺をじっと見る。

「この件がどこまで皇帝の耳に入っているかはわからないが、謀反人が蘇ったということならあの処刑命令にも納得がいく」



 待てよ、それってつまり……。

 俺が背筋にヒヤリと冷たいものを感じたとき、大隊長がニコッと笑う。



「もっともお前が逮捕したのが若い娘だったので、この件は『このユオ・ネヴィルネルは同姓同名の別人』で落着している。帝国全体で見ればそれほど珍しい名前でもないしな」

 予想以上に危ない橋を渡っていたらしい。何かがひとつ間違っていたらアウトだった。



 俺は額を拭いつつ、ふと疑問を口にする。

「そうなると、昨日の尾行は警告だったのでしょうか」

「かもしれないな。わざわざお前にそんなことを言ったからには、今すぐ殺すという訳でもなさそうだ。ああ、そうそう」



 大隊長はついでのように付け加える。

「お前が処刑したグリーエン卿だが、ネヴィルネル家討伐の勅令が下るより早く艦隊を派遣し、一門の逃亡や反抗を防いだことで皇帝の側近に抜擢されている。事前に準備していたかのような対応の早さだったそうだ」



 そっちでも絡んでくるのかよ。思った以上に深みにはまり込んでる気がする。

 知らないうちに俺の経歴に政治的な色がつきすぎた。急いで「洗濯」しないと厄介なことになりそうだが、俺にはどうすることもできない。



 大隊長は頭を掻き、それから椅子に体を投げ出す。

「うちの大隊に下りてくる命令のうち、私が怪しいと思ったものは全て第三中隊に回している。第三中隊で一番使えるお前は、そのせいで陰謀の渦中に身を置くことになってしまったな」



「いや本当ですよ。どうしてくれるんですか」

「私だって後から気づいたんだから仕方ないだろう。最初からわかっていれば、もう少し任務を分散させていた」

 拗ねたような顔をする大隊長。



「だいたいお前が悪いんだぞ。何をやらせても平然と処理してしまうから」

「それを小官のせいにしないでください」



 俺が文句を言うと、クリミネ少尉も加勢してくれる。

「そうですよ、中尉殿は何も悪くありません。悪いのは大隊長殿です」

 二人がかりで非難されて、大隊長はふてくされる。



「うるさいなー、私だって責任は感じているから、こいつが殺されないように手を回しておく。そう心配するな」

「お願いしますよ。今地獄に行っても親しいヤツがマイネンぐらいしかいません」



 地獄ならまだいいが、また異世界転生しちゃうと困る。言語も文化も違う異世界で人生をやり直すのは地味に面倒くさい。

 二度目の人生も既にかなり面倒くさいことになってるしな……。

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