第16話 忍び寄るもの③
* *
俺がまだ少尉の階級章を付けていた頃の話だ。
「なあ、フォンクト少尉」
いつも通り、大隊長が気だるげに声をかけてきた。
「お前は親皇帝派か、それとも反皇帝派なのか?」
俺は書類を整理する手を止めて、やや緊張しながら振り返る。
「それって、どっちか選ばないとダメなヤツですか?」
「質問を許可した覚えはないのだがな」
そう言いつつも、大隊長は明らかに面白がっている様子だった。
この感じなら続けて発言しても大丈夫そうだな。
「帝室儀礼大隊に反皇帝派の将校などいるはずがありません」
「なるほど、では親皇帝派という解釈で良いか?」
にまにま笑っている大隊長がなんだか可愛かったので、俺は笑いながら首を横に振る。
「皇帝陛下に忠誠を誓う模範的な軍人なら、もっと明確に返答していますよ」
「となると、お前はどちらでもないことになるが……」
とぼけた表情をしている大隊長。
だが眼鏡の奥の瞳は、まるで獲物を見つけた鷲のようだ。
俺は書類をトントンと揃えながら溜息をつく。
「小官は皇帝陛下の治世が長く続くことを心から願っていますが、そのためには皇帝陛下の勅命全てには付き合いきれないとも考えています。やはり独裁では限界がある」
「不敬だな。銃殺モノだぞ」
金髪の美女が脅迫してきたが、もちろん本気ではない。だがその気になれば俺を銃殺することもできる人物だ。怖いなあ。
俺は書類の束を大隊長に差し出しながら、真顔で答えた。
「小官はあくまでも自分自身のために、祖国の平和と繁栄を願っています。親皇帝にも反皇帝にも興味はありません」
「生意気なことを言うヤツめ」
大隊長はフッと笑ってから、俺の差し出した処刑執行の報告書を受け取る。
それに素早く目を通してから、彼女は言った。
「いいだろう。お前は明日から中尉だ。中隊副隊長にしてやる」
「それ中尉になると勝手についてくるヤツですよね」
「少しは喜べ、次の昇進は十年以上先だぞ」
まあそうだろうな。大尉で打ち止めだし。
大隊長は満足げな顔をして、机に腰をかける。
「お前は本当にいい士官になったな。期待しているぞ」
「精勤いたします。ところで大隊長殿」
「なんだ?」
甘い微笑みを浮かべて顔を近づけてきた大隊長に、俺は我慢できずにこう言う。
「人の机に尻を載せないでください」
「あーはいはい、わかりましたよ」
美貌の大隊長は、ぷうっとふくれた。
* *
「というようなことがあってだな」
俺はクリミネ少尉に説明してから、チーズフォンデュの鍋にパンを突っ込む。
「貴官も数年以内に大隊長から同じ質問を受けるだろう。マイネンも同時期に同じ質問をされたと言っていたからな。略式だが面接だと思った方がいい」
クリミネ少尉は俺の後輩だし、今は相棒として組んでいる。
この子も勅命なんか屁とも思っていないタイプなので、たぶん大隊長の腹心として中尉に昇進するだろう。
俺は声を抑えながら話す。
「俺たち帝室儀礼大隊は皇帝直属の部隊だが、大隊長の思惑は少しズレた場所にあるようだ。だから先日のような任務もあるし、そのせいでどこかの勢力から監視されている可能性もある。今も尾行を受けているしな」
ただ問題は、俺たちの立ち位置がはっきりしないことだ。
「表向き、俺たちは勅命さえあれば誰でも殺す。だが親皇帝派だったグリーエン卿の粛正は忠実に実行する一方で、『ユオ・ネヴィルネル』の件では反皇帝派のフマーゾフ卿を助けている。内実を知る者がいれば、そこに思想性を見いだすかもしれない」
パンでチーズを絡め取って、俺はフォークの先でくるりと回す。
「帝室儀礼大隊は皇帝の猟犬なのか、それとも獅子身中の虫なのか。立場が曖昧な存在は危険視される。この帝国の天秤がどちらに傾くにせよ、我々を取り巻く危険は増すだろう」
なんか今日の俺……かっこいいな! 凄腕のベテラン将校って感じが出てるぞ。
前世の俺にも教えてやりたい。人生やり直したらこんなことできるんだなあ。
これならクリミネ少尉も俺を尊敬するのではないかと少し期待したのだが、彼女の反応は予想外の方向から来た。
「大隊長、やっぱり抜け駆けする気だったんじゃ……」
「何の話をしているんだ」
俺の話、ちゃんと聞いてた? せっかく格好良くキメたのに全く意味がなかった。
クリミネ少尉は真剣な顔をして「先手必勝か……」とかつぶやいていたが、やがて顔を上げて俺を見つめた。
「つまり中尉殿は、御自身の身辺が危険だと承知しておられるんですよね?」
「え? ああうん、そうだな」
急に話がつながったのか? いやどうだろう、ちょっとわからない。
俺はそんなに賢い訳ではないので、予想外の方向から会話が飛んでくるととっさに対応できない。悲しいが転生しても凡人は凡人だ。
軽く咳払いをしてその場を取り繕いつつ、俺は答える。
「俺たち儀礼大隊はどちらの勢力からも敵視される可能性がある。そして両勢力とも一枚岩ではない。どこから弾が飛んでくるかわからん情勢だ」
フマーゾフ卿のようなカヴァラフ地方の領主たちは反皇帝派が多いが、他の反皇帝派勢力と結託はしていないだろう。
そして親皇帝派は権力の中枢にいる者が多いが、彼らは彼らで足の引っ張り合いをしている。
情勢は混沌としていて、どちらかに与しても安泰とは言えない。
話が少しややこしくなってしまったので、俺は笑ってみせる。
「そういう情勢だからこそ、大隊内部では仲良くやりたいものだな。前回の任務で貴官が見せてくれた覚悟は見事だった。頼らせてもらうよ」
「はい、中尉殿。信頼に報いるよう努力します」
めちゃくちゃ機敏な動作でヒュパッと敬礼された。君、そんな綺麗な敬礼できるの? 普段からやろうよ。
ところどころ会話が噛み合ってない感じはしたが、綺麗にまとまったのでとりあえずホッとする。
「さて、では外の尾行者をどう料理するか考えることにしようか」
「そうですね、切り返して逆尾行で捕まえられたらいいんですけど」
お、ちゃんと基礎は習ってきてるんだな。準貴族のお嬢様だから適当かと思っていたが、士官教育は大丈夫そうだ。これは助かる。
「確かにそうだな。中隊長からの支援次第では可能だろう。ただ、尾行者の素性次第では逮捕すると後が面倒な場合もある。敢えて見逃したり、尾行を貼り付けたまま大隊本部に帰還することも視野に入れておいてくれ」
「了解しました」
ちょうどそのとき、ドアがノックされる。
「『洗濯屋さん』と『パン屋さん』は、こちらですか?」
「どうぞ、『玩具屋』」
中隊長のユギ大尉の声がして、つば広の帽子にドレス姿の女性が入ってきた。
やっぱり本人が来ちゃったよ。
俺たちは即座に起立して敬礼したが、ユギ大尉はニコニコ顔だ。
「尾行されている可能性を考慮して途中で二回、衣装を着替えてきました。おかげで遅くなりましたが」
そう言って室内を見回すユギ大尉。枕がふたつあるベッドをじ〜っと見ている。
「……もうちょっと遅く来た方が良かったでしょうか?」
「いえ」
余計な気遣いがつらい。
「あと、外にデコット伍長を待たせています」
「ああ、小官そっくりの」
背格好が似ているので、職場でときどき俺に間違われる不幸な伍長だ。寡黙で実直だが文書偽造の専門家という曲者でもある。
「私たちは準貴族の夫婦に偽装してきましたので、この格好で外に出てください。代わりに私たちがあなたたちに成りすまして尾行を受けます」
「では逆尾行を仕掛けますか?」
するとユギ大尉は困ったような顔をした。
「一応そのつもりですが、相手が何者かわからないので慎重に行動するようにとの大隊長の命令です」
「尾行に見せかけた罠かもしれませんしね」
尾行を仕掛けた側がただの素人ならそれでいいが、そうではなかった場合が厄介だ。素人を捨て駒に使って何か企んでいる可能性もある。
俺は中隊長を安心させるために笑ってみせた。
「いつも通り、給料分しか働きませんから安心してください」
「うーん……ははは」
なんで苦笑いされてんの。
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