第15話 忍び寄るもの②

 帝都外縁のゴチャゴチャした大通りにある「キャラバイン・ミウ・テューデュル」は、老舗チーズ屋の二階にある有名レストランだ。

 階下のチーズ屋の人気商品や売れ残りを、安くて美味しいチーズ料理にしてくれる。

 庶民的なお店だが、貴族や聖職者も足繁く通う名店として知られている。



 なおこの店名、帝国語だとなんだか格好いい響きだが、日本語に直すと「クソデカおっぱいチューチュー」ぐらいの意味なので全く格好よくない。

 もちろん牛のだと思うが、なんでこんな名前つけた。

 正統帝国の人たちの考えることって、俺にはよくわからない。



「ふーん……」

 クリミネ少尉が胸の辺りを撫でながらしかめっ面をしているので、俺は軽く溜息をつく。

「店名は気にしないように。さあ入ろう」

「はい、中尉殿」

 執拗に胸の辺りを撫でながら、クリミネ少尉はこくりとうなずいた。



 ちなみに俺は胸は薄い方が好きなので、誤解しないでほしい。どちらかといえば筋肉や骨格が描くしなやかなラインが好きなのだ。

 それはそれとして豊かな胸にも大変興味はあるが、こんなこと女性部下に話すことではないので黙っておく。



「いらっしゃいませ、近衛の旦那。お二人ですかい?」

 皿を下げている最中のウェイターが振り返ったので、俺はうなずく。

「個室は空いてるかな? 『昨日から赤い雌牛の機嫌がいい』んだ」



 髭面のゴツいウェイターの目が、一瞬だけ冷静なものになった。

「お名前をお聞きしても?」

「フォンクトだ。ゲーエンバッハの部下だと言えば通じる」

 ウェイターは小さくうなずいた。

「わかりました。ちょいとお待ちを」



 クリミネ少尉は何が起きたのかよくわからないらしく、俺とウェイターの顔を見比べながら目をパチパチさせていた。

「えっ……何ですかそれ?」

「『赤い雌牛』はここのオーナーのことで、昨日とか機嫌とかは符牒だ」

「すご……」



 俺だって大隊長に教えてもらった合言葉をそのまま使ってるだけなんで、何がなんだかわかってない部分がある。オーナーとも直接の面識はないしな。

 いったん引っ込んだウェイターは、すぐに戻ってきた。



「お待たせしました、フォンクト様。ちょうど個室が空いてましたんで、お使いくだせえ。『静かな部屋』ですんで」

 防諜に配慮した部屋だな。気が利いてる。



「ありがとう」

 俺はにっこり笑って、ウェイターに銅貨を一枚握らせる。

 それからクリミネ少尉を振り返った。

「行こう、少尉」


   *   *


 そして俺は今、とても困っていた。

「確かに個室ではあるが……」

 通されたのは厨房横の廊下を抜けた先にある、どん詰まりの小部屋。窓はひとつしかなく、ちょっと薄暗い。



 テーブルと椅子があるのは当然として、どうしてベッドがあるのだろうか。

「中尉殿……」

 クリミネ少尉が俺をまじまじと見つめてきたので、俺は慌てる。



「俺も初めて来る部屋だ。従業員の休憩室かな」

 もともとそんなに大きな建物ではないので、個室もそんなにないはずだ。ここはおそらく、密談や密会に使われる部屋なんだろう。防諜を考えると大変都合が良い。

 俺が気まずいという点では大変都合が悪いが。



 さっきのウェイターではなくウェイトレスが来たので、適当に注文をする。ついでにメモを渡して下がってもらう。

 いや、そんなに俺をまじまじと見ないでくれ。違うから。

 くそっ、俺はいつもこうだ。何をやってもうまくいかない。



 俺は制帽を脱ぐと、クリミネ少尉に笑いかける。

「ここに入れば、尾行はいったん完全に切ることができる。さっき中隊長に暗号文のメモを送ったから、尾行をどうにかするために何か手配してくれるだろう」



 中隊長のユギ大尉は、こういうときに部下の安全を最優先してくれる。ただし本人が武闘派なので、最前線に飛び出してきてしまうのが部下たちの悩みの種だった。

 頼りになるのは間違いないんだが、そのせいでよく大隊長に叱られるんだよな……。



 しばらくすると料理が運ばれてくるが、目を惹くのはバカでかいチーズの塊だ。貯蔵用の円盤型のチーズを半分に切ったものだろう。

 チーズの断面には窪みがあり、シェフがそこに茹でたてパスタを放り込む。



「うわうわうわ」

 クリミネ少尉が声を上げると、シェフは得意げな表情でパスタを器用に絡めていく。パスタの熱でチーズが溶けて、みるみるうちにチーズパスタができていった。



 粗熱が取れたところでシェフはパスタを小皿に取り分け、くるりと巻いて綺麗に盛り付ける。

「当店自慢の三年物の熟成チーズ『金の雌牛』です。熱々を召し上がれ。下の店でも売ってます」

 さりげなく販促された。



 他の給仕たちがカットチーズの盛り合わせやチーズフォンデュの小鍋やらをテーブルに並べると、あっという間に去っていく。

「では、ごゆるりと」

 なんだか微妙に含みのある笑みを残して、最後にシェフが一礼した。

 違うっての。



「えーと……」

 クリミネ少尉があっけに取られているので、俺は前世の知識を思い出しながら説明した。

「こっちの鍋は、溶けたチーズにパンや野菜を絡めて食べる料理だ。まだチーズが溶けきっていないから、先にパスタを食べてろということなんだろうな」



「なるほど」

 フォークを構えるクリミネ少尉。

「では、正統なる神の恩寵に感謝して……」

 国教の聖句を前半分で省略して、彼女はいそいそとチーズパスタを食べ始めた。



「うわっ、これ美味しいですよ!? 中尉殿も早く早く」

 いや君、尾行を撒くためにここにいるのを忘れてないか?

 俺は思わず苦笑してしまったが、あんまり野暮なことを言うのも気が引けたので食べ始める。



「確かに美味いな。チーズだけでこんなに奥行きのある味が出せるなんて」

「はい、チーズはいろいろ食べてきましたけど、これは熟成が丁寧で美味しいです。それに作り方も食べ方も面白くて」

 準貴族のお嬢様も納得の味のようだ。ちょっと安心した。



 ただし、前世の日本ならこれぐらいの料理は珍しくない。チーズに放り込んで作るパスタにせよ、チーズフォンデュにせよ、同じようなものを食べたことがある。

 だがこちらの世界では地方ごとに食文化が固定されているので、各地方の美食が気軽に味わえるのは帝都など主要都市の富裕層だけだ。



 出張で行った早春のカヴァラフ地方では、豆と黒パンぐらいしか食べ物がなかった。集落でジビエを振る舞われたのは精一杯のもてなしだったのだと思う。

 領主たちの主食も、ナッツやドライフルーツ入りではあるがやっぱり黒パンだった。

 この帝国では、全体の一%にも満たない都市部の富裕層だけが、食事を娯楽にする特権を有している。



 そんなことを考えているとせっかくの料理もなんだか罪悪感でいっぱいになってしまうが、食べないと損なので食べておく。

「中尉殿、こっちの鍋もそろそろいけそうです。パンを浸すんでしたね?」

「ああ。そっちの蒸し野菜も試してみるといいよ」



 俺が生まれ故郷を捨てて軍隊に入ったのも、士官ならまともな飯にありつけると聞いたからだ。農村部の平民が無一文から出世するには軍人か聖職者の二択しかないが、どうせなら美味い飯が食いたかった。



 だがそれはそれとして、今のうちにクリミネ少尉に話しておかないといけないな。

「少尉」

「ふぁんふぇふは?」

「すまん、頬張りながらでいいので聞いてくれ。質問されても答える必要はない」



 口元からチーズを垂らしているクリミネ少尉に詫びつつ、俺は切り出す。

「少し考えてほしいのだが、貴官は……いや、俺たちは親皇帝派か? それとも反皇帝派なのだろうか?」

「ほんほほ」

「いや答えなくていいから。考えるだけでいいんだ」

 なかなか話が進まないな……。

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