第14話 忍び寄るもの①
俺は大隊本部にある自分の執務室に戻る。
これでも将校なので自分専用のオフィスを与えられている。とても狭いが、軍隊では個室があるだけでも破格の待遇だ。
俺は棚から白の軍服を取り出した。
「あいつのために着替えるなんて、これが最初で最後だろうな……」
殉職したマイネン中尉は表向き、工兵将校ということになっていた。儀礼大隊の黒い軍服で墓参りをすると目立ってしまう。
儀礼大隊は近衛連隊に組み込まれており、近衛連隊の将校は平時に白い軍服を着ている。
つまり俺たちが白い軍服を着ても別に規定違反ではないので、素性を隠したいときは白い軍服に着替えるのが手っ取り早い。
ただこれ、洗濯が大変なんだよな。
そこにドアをノックする音が聞こえた。
「誰か」
軍の慣習に倣って返事をすると、ドアの向こうからクリミネ少尉の声がする。
「リーシャ・クリミネ少尉でありまぁす」
「どうぞ」
微妙に緊張感のない声してたな……。
入室してきたクリミネ少尉も白の軍服だ。良家のお嬢様のせいか、白もよく似合っている。ユギ大尉が着ると死装束みたいになる。不思議なものだ。
俺は上着のボタンを留めながら苦笑してみせる。
「すまん、見苦しいところを見せたな」
「いえ」
ガン見されてる。怖い。この子、なんか鼻息荒くないか?
「将校たるもの、兵卒にはこんな姿を見せてはいけないのだが、貴官は将校だから別にいいよな?」
「はい、大変結構です」
会話が噛み合ってない予感がする。すごく不安だ。
「中尉殿、ホック留めましょうか?」
「自分でやるからいい」
「あっ、襟章がズレてますよ」
「ズレてないよ」
なんで執拗に俺の喉元狙ってくるの。肉食獣か。
妙に落ち着かない気分で着替えを済ませると、俺は姿見で身だしなみをチェックする。
将校がだらしない格好をしていると兵士からの信用を失う。そうなると戦場ではお互いに命取りだ。
とはいえ、うちには兵卒なんか一人もいないのだが。
「中尉殿、よくお似合いですよ」
「貴官も世辞を言うんだな」
「いえ、言いません」
真顔で否定された。やはり会話が噛み合わない。疲れてるのかな俺。
気を取り直しつつ、俺はクリミネ少尉に尋ねる。
「ところで俺に何か用かな?」
「はい、中尉殿がマイネン中尉の墓参をなさると聞いたので、私も同行しようかと」
「ああ、それがいいな。一緒に行こう」
大隊長からも命じられていたので、ちょうどよかった。
俺たちは大隊本部の建物を出る。近くにある近衛連隊本部を横目に眺めながら、帝都の大通りに出た。
クリミネ少尉はいつも通り真顔だったが、どことなく御機嫌のようだ。鼻歌を歌っている。
「なんにもないカヴァラフ地方を見た後だと、やっぱり帝都は繁栄しているなあと思いますね」
「そうだな」
帝国で最も賑やかなこの辺りでも、前世の日本だと地方都市の駅前ぐらいだ。そもそも人口密度が違うので仕方ないが、俺はこちらの世界に来て「都会」を見たことがない。
俺のそんな反応が面白いのか、クリミネ少尉はまた絡んでくる。
「もしかして雑踏はお嫌いですか?」
「この程度なら問題ないよ」
「この程度?」
あ、いかん。ここが帝国で一番ゴチャゴチャしてる場所なんだった。変な人だと思われてしまう。
俺は慌てて取り繕う。
「士官学校時代の食堂の混雑を思えば、どうということはないだろ?」
「それもそうですね」
コクコクとうなずいているクリミネ少尉。よかった、お嬢様で。
「ん?」
俺はそのとき、妙な違和感に気づいた。
クリミネ少尉にもそれを伝えておく。
「尾行されているな。あまり上手じゃないが」
「えっ!?」
そこでキョロキョロせずに平静を保っているのはさすがだが、クリミネ少尉は不安そうだ。
「尾行ですか」
「振り返る訳にはいかないから確認できないが、ずいぶん早足で散策している老人がいるぞ。軍人の早歩きについてきてるんだからな」
軍人を尾行するなら、もう少し違う変装をした方が良かったんじゃないかと思う。歩度でバレバレだ。
とはいえクリミネ少尉は気づいていなかったから、俺も前世だったら気づいていなかったかもしれない。今世の士官学校ではそれなりに鍛えられた。
「中尉殿、それって何者なんでしょうか」
「わからないが、今の俺たちは近衛将校の白い軍服だ。この偽装を看破しているとすれば、大隊本部から出てくるのを待ち伏せしていた可能性もある。少し危険だな」
儀礼大隊の黒い軍服は珍しいし、この軍服に恨みのある者は多い。だが近衛将校はどちらかといえば一目置かれる存在だ。
いやまあ、反皇帝派からすれば鬱陶しい存在なんだろうが。
「だが近衛将校の動向を探っている反皇帝派かもしれないし、今はまだなんとも言えないだろう」
「それもそうですね」
町中でいきなり襲ってきたりはしないだろうが、これはこれで困った状況だ。
「尾行者の素性が不明のまま陸軍共同墓地に行くと、儀礼大隊とマイネン中尉の実名とが紐付けられる可能性があるな」
マイネン中尉の墓碑銘には実名が記されている。儀礼大隊本部から出てきた近衛将校たちが工兵将校の墓に参るところを見られると、後々面倒なことになるかもしれない。
めんどくさいけど、ここは尾行を何とかした方が良さそうだ。
「クリミネ少尉。貴官の好きな食べ物を教えてくれ」
「ええと、チーズが好きです」
「お、それならちょうどいいな。この近くにチーズ屋がやってるレストランがあるから、そこで昼飯にしよう。チーズ屋もレストランも牧場の直営店なんだ」
まだ昼食には少し早い時間だけど、陸軍共同墓地への往復を考えるとどのみち腹ごしらえは必要だ。結構歩かないといけないからな。
クリミネ少尉はスキップしそうな勢いでついてくる。
「そんなレストランがあるんですか?」
「大隊長に連れて行ってもらったことがある」
「あ、そうですか……」
急にしゅんとなるクリミネ少尉。なんなの君。
「変な誤解はするなよ。大隊長のお子さんを警護する任務があって、私服で家族連れに偽装しただけだ」
「私服で家族連れ!」
そこ反応するところかな。年下の異性の部下ってどう接したらいいのかわからん。
俺はクリミネ少尉を元気づけるため、無い知恵を振り絞る。
「そこのオーナーは大隊長と知り合いなんだ。事情を話して個室を借りるから、尾行を気にせずに楽しんでくれ」
「えーじゃあ楽しみます」
その表情、拗ねてるのか嬉しいのかどっちなんだよ。この子扱いづらい。
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