第10話 吊るされた女⑤

 どこにもいない「ユオ・ネヴィルネル」を処刑し、無事に任務を完了した翌朝。

 集落の民家でジビエ満載の豪華な朝食を振る舞われていると、マカラン騎兵少尉がやってきた。



「おはようございます、フォンクト中尉殿」

 彼は部下を伴っておらず、一人だ。小隊長の単独行動は考えにくいから、たぶん集落の外に待たせているのだろう。



 クリミネ少尉が気を利かせて、スッと席を外す。俺は軽くうなずき、その気配りに感謝を示した。

 それからマカラン少尉に微笑みかける。



「何か御用ですか、マカラン少尉」

「昨日のことで、少し悩みがあるのです。お時間があれば聞いてもらえますか?」

「もちろんですよ。ここでは話しづらいでしょうから、雑木林でも散策しましょう」



 俺とマカランは肩を並べて、集落の里山を歩き始める。

「それで、どのようなお悩みですか?」

「それなんですが……。ところで縛り首になったあの女性はどうなりましたか?」

「検屍報告書を作成し、遺体は埋葬しました」

「そうですか」



 マカラン少尉は黙る。

 数歩歩いてから、彼はこう言った。

「これで良かったのでしょうか?」

「良いも悪いもありません。勅命ですから」

 俺は静かに答える。もちろん嘘だが、真実を漏らすのは危険すぎた。



 だがマカラン少尉はまだ納得がいかない様子だ。

「この一件で、カヴァラフ地方の領主や領民は帝室への反感を強めたでしょう。帝国全体の利益を考えた場合、良くなかった気がします」

「我々は軍人。皇帝陛下に忠誠を誓い、その命令を忠実に実行するのが職務です。個人の判断は求められた場合にのみ口にすべきですよ」



 俺は忠誠なんか全然誓っていないし、勝手なことをするが、建前ぐらいは守る。給料分の義理だ。

 するとマカラン少尉は俺を見て、つらそうな顔をした。



「小官は貴族ですので、平民のことは率直に言って嫌いです。連中は怠け者で、秩序を守らず、身勝手で、ずる賢い」

 平民も貴族のことを同じように思っているよ。

 だがそれは黙っておく。



「ですが、領主に直訴しただけの若い女性を処刑するのは、どう考えてもやり過ぎだと思うのです。彼女は殺しも盗みもしていないのでしょう?」

「そうですね。処刑の理由は帝室への反逆だけですから」

 うちの大隊が扱う案件、だいたいこれなんだよな。



 俺が動じないので、マカラン少尉は俺を睨みつけた。

「中尉殿も同じ平民出身なのに何も思わないのですか?」

 平民の感覚では「同じ」ではないのだが、貴族から見ればどこの地方の農民も等しく「同じ平民」なんだろうな。お坊ちゃんにはわからないだろう。



 俺はマカラン少尉の真剣な表情を見て、少しだけ危ない橋を渡ってみることにした。

「マカラン少尉。君は貴族として、何に忠誠を誓っている?」

「えっ? も、もちろん皇帝陛下に……」

「嘘だな。勅命に疑念を差し挟むのは、君の心の中で違う何かが輝いているからだ。それは何だ?」



 俺はマカランに向き直り、スッと近づいた。反射的に退くマカラン。

 俺はさらに近づき、彼を大木の幹まで追い詰めた。

「答えたまえ、マカラン。君が本当に忠誠を誓っているものは何だ? 俺から真実を引き出したければ、君も真実を差し出せ」



 マカランは目を白黒させていたが、悩み抜いた末にとうとう答えた。

「お、俺は……。俺は、騎士の高潔な精神に忠誠を誓っている! 丸腰の女を殺す剣など持っていない!」

「よく言った」



 俺はマカランの肩をポンと叩き、それからついでに金髪をわしわし撫でてやった。

「では君の騎士としての高潔な精神に誓え。今から聞く話は、誰にも口外しないと」

「どういうことだ? 中尉殿、あなたはいったい……」

「誓うのか、誓わないのか」



 マカランは少年のような表情で悩んでいたが、それでもやはり答える。

「誓う。誓います。我が剣に懸けて、秘密は漏らしません」

「ありがとう、マカラン。では教えよう」



 俺は周囲に誰もいないことを確かめてから、彼の耳元でささやく。

「『ユオ・ネヴィルネル』という人物は最初から存在しない。もちろん誰も処刑していない。昨日のあれは偽装だ」

「ええっ!?」

 声がでけえ。



 俺はマカランの唇に人差し指を近づけ、とりあえず黙らせる。

「あの女性は忠実な協力者だ。あのとき、首ではなく肩と腰の縄を吊って絞首刑に見せかけた。もちろん生きているが、あんな姿を晒してしまったから身元は明かせない」

 ごめんな、クリミネ少尉。この部分の秘密は絶対明かさないぞ。



 マカラン少尉は顔面蒼白になっている。

 そりゃそうだろう。勅命を反故にして処刑を偽装したのだ。バレれば自分が処刑される。

「あ、あんた……嘘だろ!? なんでそんな……」



「最初からいない人間を処刑することなど不可能だ。だがそれでは勅命は永遠に果たされない。このままだと必ず誰かが処罰される。だから俺が帳尻を合わせた」

 俺はそう答え、マカランを解放してやる。



「さて、この事実を君はどうする? 騎兵中隊長あたりに報告するか?」

「ちょっと待ってくれ、頭が追いつかない。ええと、報告したらどうなる……?」

 額に汗を浮かべているマカランに俺は教えてやる。



「俺とフマーゾフ卿は間違いなく処刑されるだろうな。一門も連座で処刑されるかもしれん。ああそうだ、うちの大隊長も危ないだろう。それともちろん、あの場にいた将校たちも取り調べを受けることになる。口裏を合わせた疑惑があるからな」

「ありえる話だな……」



 マカランはうなずいたが、ふと疑問を口にした。

「じゃあなんで、あんたはそんな重大な秘密を俺に漏らした? 何の得にもならないだろう?」

「なんだ、そんなことか」



 俺は苦笑してみせる。

「君が皇帝ではなく、君自身の正義に忠誠を誓っていたからだよ。軍人としては失格だな。つまり」

「つまり?」

「俺と同じだ」



 マカランはあっけにとられた表情をして、俺をぼんやり見つめている。なかなか面白いヤツだ。

 俺は彼に背を向けると、手をひらひら振ってみせた。

「君のことが気に入ったよ。またどこかで会えるといいな、マカラン」


   *   *


 そして俺は今、クリミネ少尉からネチネチ責められている。

「信じられません。機密を部外者に漏らすなんて」

「すまん」

「これで何かあったらどうする気ですか」

「すまん」



 とりあえず謝った俺だが、もちろん何の考えもなしにあんなことはしない。

「心配するな、少尉。彼が俺を告発したところで、証拠は何も出てこない。『ユオ・ネヴィルネル』の墓はちゃんと存在するし、その下には遺体が埋められている」



 身元不明の行き倒れの遺体だろうけどな。

 病気や殺人が多い時代なので、行商や巡礼の途中で死体になる人は多い。現代と違い、死体は身近な存在だ。

 フマーゾフ領全体でなら、そう待たずに手頃な死体が見つかるだろう。

 大事なのは処刑が執行され、それを大勢の将校が見届けたという「事実」だ。



「この集落の住民は、フマーゾフ家の元使用人とその子孫で構成されている。年貢を免除されている特別待遇の集落だから、フマーゾフ家のために秘密は全力で守る」

 他と違い、ここは領主側の集落だ。農民たちが「嫁争議」で無茶な要求をしてきたときは、正反対の要求の「嫁争議」で潰しにかかるらしい。おっかない。



「処刑の立ち会いを務めた第二師団の将校たちも、自分の立場を悪くするようなことは言わないだろう。必ず『偽装には見えませんでした』と答える」

「それで証拠が出なければ、告発は空振りってことですか。怖いですね、中尉殿は」

 怖いだろう?



 俺は心の中でフフッと悪者っぽく笑ってみせたが、クリミネ少尉がこんなことを言った。

「ところで中尉殿って、金髪なら男でもOKな感じですか?」

 はい?



「どういう……意味かな? クリミネ少尉」

「だってさっき、あの騎兵少尉の頭を撫で撫でしてたでしょう? 金髪お好きなんですよね?」

 なんでそうなる。男の友情だぞ。



「いや違……」

「大隊長殿も金髪ですし、なるほどそういうことでしたか」

 勝手に納得しているクリミネ少尉に、俺は慌てて弁明する。

「変な解釈はよせ。俺は髪の色で人を選り好みしない」



 強いて言えば、アニメキャラだと青や緑の子が好きだ。

 でもよくよく考えてみると、あれって黒髪にすると画面が重くなるからあの色にしてるんだろうな。

 ということは、俺は黒髪が好きなんだろうか?

 そう思った瞬間、それが口に出た。



「だがもし選ぶことが許されるのなら、俺は黒髪の女性が好きなのかもしれないな」

「えっ!?」

 立ち止まるクリミネ少尉。なんか小刻みに震えるぞ。脱水中の洗濯機か。



「ちゅっ、中尉殿……それはまさか!?」

「違う、誤解だ。そんな目で俺を見るな」

 こんなやり取りをしていたせいで、帰路に就くのがだいぶ遅くなった。

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