第9話 吊るされた女④

 それから数日後の夕方。

 フマーゾフ領のある集落に陸軍第二師団の下級将校が十人ほど集まっていた。というか、集まるように裏から手を回した。

「さっさと歩け!」



 俺が連行しているのは半裸の若い女性だ。ボロボロの下着姿でいろいろ見えてしまっている上に、時代劇の罪人のように厳しく縄で縛られている。

 まるでお歳暮のハムみたいな有様で、見るも無惨な姿だった。



 ただし顔には麻袋を被せているので、どんな顔かはわからない。

 そこに騎兵少尉のマカランがやってくる。

「フォンクト中尉殿! お手柄ですね!」

「ありがとう、少尉」



 俺はにっこり微笑みつつ、軍靴で女性の素足のかかとを小突いた。

「立ち止まらずに歩きなさい」

 びくんと震える女性。いい反応だな。

 マカラン少尉は若干引き気味の様子で、俺を見てくる。



「あの、これが首謀者の『ユオ・ネヴィルネル』なのですか?」

「そうなんですよ、少尉」

 俺は苦笑してみせる。



「この土地に『嫁争議』という風習があるのはご存じですか?」

「いえ……初めて聞きました」

「農家の奥方が領主夫人に集団で直訴するというものらしいのですが、その首謀者がこの者です」



 するとマカラン少尉が気の毒そうな顔をした。

「なるほど、それで女性なのか……。しかしまさか、本当に処刑するんですか?」

「勅命ですし、帝室儀礼大隊はそれが職務ですからね」

 当たり前のような顔をして答える俺。



「逮捕時にこのような姿でしたので、せめてもの情けで顔だけは隠してやりました。もう日没ですし、このまま処刑してやりましょう」

「誤認逮捕とかはありませんよね?」

 不安そうなマカラン少尉。帝国貴族にしては、かなりまともな感性を持っているな。この人は大事にしよう。



 俺はうなずき、背後からぞろぞろついてきている農民たちを振り返った。

「この者が『ユオ・ネヴィルネル』で間違いないか?」

 すると農民たちは口々に答える。



「間違いありませんぜ、旦那」

「そいつが『嫁争議』の言い出しっぺです」

「でも殺すのは勘弁してやってくださいよ」

「そうですよ、何も殺すことは……」



 俺が微笑みながら片手を挙げて制すると、彼らはぴたりと黙った。

 それから俺はマカラン少尉を見る。

「この通りです。本人も認めました。そうだな?」

 顔だけ隠して他が隠れていない女性は、観念したようにこくりとうなずく。



 俺はわざとらしい溜息をついた。

「私だって、許されることなら彼女を処刑したくはない。しかし私は皇帝陛下の首切り役人だ。一介の首切り役人が勅命を覆すなどあってはならない。違うかな、少尉?」

「いえ、命令には従うべきです……」



 しょんぼりしつつ、マカラン少尉が引っ込む。

 他の下級将校や下士官、それに護衛の兵士たちは何も言ってこないが、ヒソヒソとささやき合っているのが聞こえた。



「見ろよ、あれが殺し屋大隊のやり方だ」

「丸腰の女を殺して給料がもらえるなんて、軍人の恥さらしだぜ」

「おう、言ってやれ言ってやれ」

 いや本当、俺も同感だよ。なんでこんな部隊に配属されちゃったんだか。



 だが勅命は絶対。

 これは軍人も貴族も変わらない。誰も皇帝の意思には逆らえないのだ。だから邪魔しようという者は一人もいない。

 俺は一同に伝える。



「『ユオ・ネヴィルネル』は逮捕に際し、苦痛と恥辱のない処遇を求めた。そこは小官の権限が及ぶ範囲だ。そのため顔は晒さず、慈悲深き絞首刑とする」

 どうだ、人道的だろう?



 俺は一同を見回したが、予想通りドン引きしていた。それが普通の感性だ。軍の将校たちが割とまともなことに少し安心する。



「ではさっさと執行しよう。誰かやりたい者は?」

 みんな無言だ。

 いや、ぼそりと声がする。



「……てめえがやれよ」

 その言葉を待っていました。悪いな、言わせたみたいで。

「誰もいないか。では私がやろう」

 すっかり観念したように無抵抗の女性を近くの大木まで引っ張っていく。



「さすがに肌は隠してやらんとな」

 夕闇が迫る中、太いロープで手早く括り、ついでに用意しておいたマントを肩に掛けてやった。

「後はロープを枝に掛けて、このように」



 ぐいっと引っ張ると、薄暮の中で女性が宙に浮いた。つま先が地面から離れる。

「おお、もがくなあ」

 宙に浮いた瞬間、女性は脚をばたつかせて苦しげにもがいた。



 ちらりと周囲を見ると、将兵たちの視線は彼女に釘付けだ。

 この時代、罪人の処刑は娯楽としての意味合いもある。さすがに公言する者はあまりいないが、処刑見物が好きな者は多いそうだ。



 激しくもがくせいで、彼女の体は振り子のように揺れる。だがロープはびくともしない。

 やがてその無駄なあがきが急に弱まり、全身から力がフッと消失する。

 そのうちに女性の素足が濡れて、ぽたぽたと透明な液体が滴り落ちてきた。夕冷えのする地面から湯気が立ち上る。



 縛り首見物に慣れた人にとっては、お決まりの結末だろう。俺自身、何度もそういう場面に立ち会ってきた。

 俺はなるべく平静を保ち、やれやれといった感じで声を作る。



「終わったかな。確実に息の根を止めるため、朝までここに吊しておく。警備に参加したい将校がいれば残ってくれ」

 だが将兵たちは冷たい視線を向けてくるだけだ。



「行こう。つきあってられん」

「ああ、これでようやく帝都に帰れるな」

「殺し屋大隊のクソ野郎が……」

「構うな、反吐が出そうだ」

「それより早く帰らんと野宿になるぞ」



 だがその冷たい視線の中で、マカラン少尉だけが俺に近づいてきた。

「フォンクト中尉殿。任務として、小官自身で罪人の死亡を確認したいのですが」

 俺はうなずいたが、彼に近づくと真剣な口調でささやいた。



「農民どもの目を見てください。死体に妙なことをすると反乱が再燃しかねません」

 ぎくりとした表情でマカラン少尉は周囲を見回す。群衆は無言だが、誰も笑っていなかった。当たり前だろう。



 そこですかさず俺は微笑んでみせる。

「ここは小官が嫌われ者を引き受けます。少尉は身の安全を最優先に」

「わ、わかりました。どうか御無事で」

 マカラン少尉は敬礼し、農民たちの視線を気にしながら引き返していった。



 将校たちは夕闇から逃げるように立ち去り、後には農民たちだけが残った。

「全員、丘の向こうに消えました。もう誰もいませんよ」

 見張りの農民が報告した瞬間、俺は全力で木に駆け寄る。ゆらゆら揺れている体に声をかけた。



「おい無事か!? 返事をしてくれ!」

 返事がない。まさか……。

 と思ったら、くぐもった声が聞こえてきた。



「くるふぃれふ」

「だよな! すぐ下ろす!」

 サーベルを抜きざまに渾身の一刀でロープを断ち切り、ふわっと落ちてきた身体を受け止める。お姫様だっこになった。



 すかさず農民の女性たちが集まってくる。

「あっちの納屋に着替えとお湯を用意してますからね!」

「ありがとうね、軍人のお嬢さん!」

「ああ、こんなに可哀想な姿になっちゃって……」

「こら、男どもは来るんじゃないよ!」



 俺が麻袋を外すと、そこには黒髪おかっぱの可愛らしい同僚の顔があった。

 ああ、クリミネ少尉だ。よかった。生きてる。

 いや、死んでないのが当たり前なんだが。



 首を括っているロープは、吊したロープとはつながっていない。マントで隠したのは肌ではなく、ロープの結び目の方だ。

 彼女を持ち上げたロープは、肩や胸を縛っているロープに結ばれている。ハーネスのように荷重を分散しているので、苦しいだろうが窒息死はしない。



 ただし長時間そのままだとクラッシュ症候群の恐れがあるので、見届け役の将校たちを急いで追い払う必要があった。

 そこであんな芝居を打った訳だ。



 本来なら俺が死刑囚役をやるべきなのだが、この場にいないとさすがに疑われるだろう。それに「ユオ」は女性名だ。

 死刑囚役はフマーゾフ卿が役者を手配してくれることになっていた。といっても秘密を守れる人物を探すのには時間がかかる。



 事情を聞いたクリミネ少尉が「やります。絶対にやります。私にやらせなくて誰にやらせるつもりですか」と乗り気だったので、恐る恐るお願いした。

 でも、こんなこと二度とやらせないぞ。無事で本当によかった……。



「ケガはしていないか、クリミネ少尉!?」

「どうでしょうね」

 なんでそこで含みを持たせるの。もしかして怒ってる?

 彼女は抱っこで運ばれながら、俺にこう言う。



「完璧を期すために失禁までしたので、とても恥ずかしかったです」

「ごめんな!? というか、そこまでやれとは言ってないだろう!? 本当に死んだかと思ったんだぞ!」

 正直俺も度肝を抜かれたし、あれでかなり怖くなった。



 するとクリミネ少尉は笑顔になる。

「心配はしてくれたんですね?」

「当たり前だバカ!」

 なんでそんなこと確認するんだよ。



 いや、それよりも大事な部下を労わないと。大変な任務を達成してくれたんだから。

「とにかくありがとう、クリミネ少尉。今回の任務が無事に成功すれば、それはひとえに貴官のおかげだ。本当によく頑張ってくれた。俺は君を尊敬するよ」



 お歳暮のハムみたいな有様で運ばれているクリミネ少尉は、ぼそっと言う。

「いえ、これぐらいでしたら……というか結構楽しかったので、またやりたいです」

 なんで? さっきから「なんで」が多い。俺、もしかして混乱してる?



 だがそれでも、俺は上官として重々しく首を横に振る。

「ダメだ。貴官のあんな姿を他人に見せたくない」

「うふふ」



 申し出を却下されたというのに、少尉はなぜかとても嬉しそうだった。

 いや本当になんで?

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