第4話 蠱毒の宴と食えない男④
ここから先はもう無駄な時間だ。既にグリーエン卿には毒が回り始めている。
「貴様ぁ、ないをりってりゅ……」
そう言いかけて、グリーエン卿はハッと口を押さえる。
「にゃにぃ……!?」
「ろれつが回らなくなってきましたね。そのうち歩けなくなります。最後は意識を失い、死に至るでしょう。確実に仕留めるために、致死量の十倍の量を飲ませましたから」
口から泡を吹きながら、グリーエン卿は椅子の背もたれにしがみつく。
血走った目でギョロギョロと周囲を見回し、そして彼の視線はクリミネ少尉に釘付けになった。
「な、なじぇそいつはぶじなんでゃ!?」
「当たり前でしょう。可愛い部下に毒を飲ませる上官がどこにいますか。馬鹿馬鹿しい」
俺はそう言い、帰り支度を始める。
「持ってきた食器類は忘れずにな。大隊本部から一番いいのを借りてきたんだ。返さないと俺の給料から天引きになる」
「ま、まて……」
椅子をガタガタひっくり返しながら、グリーエン卿が鬼気迫る形相で俺を睨んだ。
でももう関係ない。こいつは死人だ。
「その毒に解毒剤は存在しません。短い余生になるでしょうが、なぜ負けたのか考える楽しみができましたね」
マイネン中尉、仇は取ったぞ。
俺はドアを開け、外で待っていた兵士を呼び寄せた。こいつ、中の様子を盗み聞きしていたな。末端にグリーエン家の内通者がいるという情報は本当だったようだ。
「処刑を執行した。臨終を確認するため、軍医殿を呼んでくれ」
「ははっ!」
驚いた顔で兵士が敬礼し、すぐに階段を降りていく。
死人扱いされているグリーエン卿は怒りで顔を真っ赤にしていたが、もう体に力が入らない様子だ。
中途半端に中毒で苦しむのが一番気の毒だからな。あれなら楽に逝けるだろう。それぐらいの慈悲はある。
俺は落ち着かない様子のクリミネ少尉に声をかけた。
「心配するな、貴官は毒を口にしていない。呆けた顔をするな。任務中だぞ」
「はっ、はい! 中尉殿!」
ビシッと敬礼して、それから彼女は不安そうに俺に問う。
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
「後で説明する。そこの御仁には教えてやらん」
俺はニヤリと笑うと、グリーエン卿に背を向けた。
「地獄でマイネン中尉に会ったら、酒代のツケを払えと伝えておいてください。割り勘の約束なのに俺に全額立て替えさせた悪党なんですよ」
「きさまぁっ……!」
もう動く力がないのか、床に這いつくばっているグリーエン卿。
やがて軍医がバタバタと階段を駆け上がってきたので、俺はその場を彼に譲る。
「後はよろしくお願いします」
「は、はい」
緊張した面持ちで軍医がうなずき、グリーエン卿に肩を貸す。
「御最期をお看取りします。さあ、ベッドに」
「お、おれはふぉんとにしむのか……」
死ぬよ。俺が殺した。
だが終わった話だ。
「行くぞ、クリミネ少尉」
「はい」
俺たちはドアを閉じ、臨終が確認されるまで別室で待機することにした。
* *
グリーエン卿の死亡が確認されたのは、その日の夕方だった。意識を失ってもなかなか心臓が止まらなかったので、遅い時間になってしまった。
歓迎されていない俺たちは、死亡診断書を受け取ると早々に帰路に就く。
「本当に私、毒は食べてないんですよね?」
帰り道でもクリミネ少尉がやたらと心配しているので、俺は苦笑する。
「当然だろう。あの焼き菓子に毒なんか入っていない」
「えっ!?」
立ち止まるクリミネ少尉。
「ちょ、ちょっと待ってください中尉殿!? じゃあどうやって毒殺したんですか!?」
「わからないか? 彼があの場で口にしたものといえば、焼き菓子と紅茶だろう?」
「ああっ!?」
クリミネ少尉が目を丸くする。
「もしかして大隊備品の猛毒茶葉ですか? あの一番お手軽な?」
「もう少し小さな声がいいな、少尉。尾行はなさそうだが用心に越したことはない」
「す、すみません」
声を潜めながらクリミネ少尉が俺を追いかけてくる。
「でも中尉殿、それって反則じゃないんですか?」
「俺は焼き菓子に毒が入っているとは一言も言っていないぞ。相手に毒を飲ませるのが決闘方法だから、紅茶を警戒しなかったあいつが悪い」
策士というのは策に溺れるもので、いかにも何かありそうなクッキーの詰め合わせに夢中になってしまった。
過去の二戦で俺たち儀礼大隊を侮っていたというのもあるだろう。馬鹿正直に対等の勝負をするなんて、らしくないことをしたものだ。
親友の笑顔を思い出しながら、俺はふと立ち止まる。
「全盛期のグリーエン卿なら、この程度の小細工はたやすく見破っただろう。相当な切れ者だったらしいからな。だが老いと死への恐怖が判断を鈍らせた」
「あの……もし見破られていたら、どうなっていたんですか?」
「苦笑いして別の勝負を挑んださ。実はあとまだ二箱用意していたんだ。失敗しても自分はほぼ確実に生き残れる罠をな」
「そんなに!?」
驚いているクリミネ少尉を見て俺は苦笑する。
「準備にさんざん苦労したのに、最初の一箱で決着がついてしまった。三箱分の経費を申請した俺がバカみたいだ。大隊長に嫌味を言われるぞ」
残り二箱にはメチャクチャお金かかったからな。
クリミネ少尉が興味津々といった様子で俺に質問してくる。
「ちなみに、どういった方法で……?」
「木挽や猟師しか知らないキノコがあるんだ。大変に美味だと聞いている」
前世では和名で「ホテイシメジ」と呼ばれていたキノコだ。探してみたら、こちらの世界にも似たようなものがあった。
「このキノコは無害だが、一緒に酒を飲むと信じられないぐらい悪酔いになる。酒が本命なんだ。自分は一口だけ飲んでグリーエン卿には多めに飲ませれば、あいつの方が先にぶっ倒れる。後は簡単に始末できるな」
「人間のやることじゃないですよね。さすがは中尉殿」
それ褒めてないよね?
クリミネ少尉がさらに問い詰めてくる。
「それでもうひとつは?」
「これ以上教えると俺の評価がもっと下がりそうだから断る」
「そんなことありませんから! 私の中では中尉殿の評価は誰よりも高いですから!」
本当かなあ?
「さて、日没までに森を抜けないとな。急ごう」
「待ってくださいよ、中尉殿! 最後のひとつは何なんですか?」
「当ててみてくれ」
俺は意地悪な笑みを浮かべつつ、スタスタと歩き出した。
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