第5話 インクの沼の魔女

 帝室儀礼大隊本部に帰還した俺は、グリーエン卿の処刑を完了したことを報告する。

「報告は以上です」

「よろしい」



 うなずいたのはまだ三十そこそこに見える若い女性だ。

 階級は少佐。帝室儀礼大隊の大隊長だ。我ら首切り役人たちの女ボスである。眼鏡の似合う美女でもあった。なお一女の母でもある。



 フィリア・ゲーエンバッハと名乗っているが、これは偽名だ。恨まれやすい職務柄、俺たちの多くは偽名で軍籍登録している。

 通称は「インク屋」。儀礼大隊で唯一の佐官である彼女は、各種書類に佐官権限を付与するのが主な仕事だ。



 大隊長は俺を見て、呆れたような笑みを浮かべた。

「しかしお前、本当にあの方法で毒殺したのか?」

「はい。菓子に毒が入っているなどとは一言も言っていませんから、決闘内容に虚偽はありません。あの決闘はあくまでも『相手に毒を食べさせた方の勝ち』です」

「そうは言うがな……」



 大隊長は頬杖を突く。

「お前、もしグリーエン卿が『この菓子に毒が入っているのかね?』と確認してきたらどうするつもりだったのだ?」

「そのときは正直に違うと答え、次の毒入り菓子で勝負をするつもりでした」



 ホテイシメジとカラバル豆に類するものがこちらの世界にもあって助かった。

 三箱目に使う予定だったカラバル豆は産地が遠く、良質なものを入手するためにかなり苦労した。これは大事に取っておこう。



 美貌の大隊長は、雑な仕草で頭を掻く。

「やることに隙がないな。最初からお前に命じていれば良かったかもしれん」

「すみません、しばらく留守にしていまして」

「いいさ、そちらの任務を命じたのも私だ。お前のような型破りな軍人は、何かと重宝するんだ」



 フフッと笑う大隊長。

「普通の将校なら、帝国屈指の大貴族との決闘で小細工などしないだろう。職業軍人としての矜持があるし、仕掛けがバレたときは遺族や支持者からどんな報復を受けるかわからないからな」



 まあそうだろうな。知ったことではないが。

 俺は溜息をつく。

「報復は困りますね。騙したことは間違いありませんが、虚偽は伝えていませんし帝国決闘法の条文にも違反していません。決闘に使う道具をきちんと改めなかった彼の落ち度です」



 そもそも死罪人が執行人と決闘するのがおかしいんだ。決闘で処刑するならアステカ式でいいだろ。あれなら執行人が負けることは絶対にないから安心して殺せる。皇帝のアホめ。



「検屍解剖したところで、胃のドロドロの内容物から毒薬が検出されるだけです。それが焼き菓子に含まれていたものか、紅茶に含まれていたものかはわからないでしょう」

 ぱっさぱさの焼き菓子を十二個も食べれば喉も渇くよな。



 あのとき「なんで対戦相手の小娘には飲み物がないんだ?」と気づけば、グリーエン卿は死なずに済んだかもしれない。自分は特別待遇なのが当たり前だと思う傲慢さが、観察力を鈍らせたのだ。

 でも一回戦で決着がつかなければ二回戦が始まるだけなので、そこはどっちでもいいだろう。



 俺は腹立たしい思いで言う。

「あんなつまらん男のために飲み友達を失ったかと思うと忸怩たる思いです」

「マイネンは深酒で欠勤したことが五回もあったからな。待てよ、なんでお前は欠勤してないんだ?」



 不思議そうな顔をして見上げてくる上官に、俺は澄ました顔で答える。

「深酒しませんので」

「ふふ、なるほどな。大変よろしい」

 豊かな金髪を垂らして微笑んだ大隊長は、窓の外を眺める。



「マイネン中尉は表向き、工兵隊所属ということになっていた。死因は坑道内の瘴気による中毒死。遺族の希望で葬儀は行わず、遺体は陸軍の共同墓地に埋葬した」

 マイネン中尉には妻も子もいない。いたら決闘なんかさせてない。

 実家とも疎遠だと言っていたし、遺体の引き取り手がいなかったんだろう。



 大隊長は寂しそうに言う。

「マイネンは工兵ならどんな死因でもつじつまが合うと笑っていたが、そんなものを気にする遺族がいなかったのは悲しいな」



 俺が前世で死んだとき、誰か悲しんでくれたんだろうか。自信がない。

 だから俺は、いつも自分に言い聞かせていることを口にした。

「いえ。自分が死んだとき、悲しむ人は少ない方がいいでしょう。あいつとはよく、そんな話をしていましたよ」



 ――確かに誰も悲しませないってのはいいことだ。お前は頭いいな。



 友人の笑顔が一瞬、脳裏をよぎって闇に消えた。

 死が終わりでないことを俺は知っている。

 お前はどこかに転生できたのかな。できてるといいな。

 大隊長は俺を見上げて微笑む。



「お前は慈悲深い性格なのに、死についてだけはどこか突き放したような部分があるな。まるで地獄など一度見てきたと言わんばかりだ」

「不信心者ですので」

 大隊長は妙に鋭いので困る。

 俺は異世界からの転生者だと誰にも明かしていない。



 国教の聖典にも載ってない異世界など存在してはいけないし、そこから霊魂がやってくるなどあるはずがない。それがこの世界の「常識」だ。

 俺は平穏な常識人でありたいと思っているので、余計なことは言わずに穏やかな生活をしている。



 大隊長は微笑みつつ、新たな書類を机上に置いた。

「では次の仕事だ。北部のカヴァラフ地方で発生した農民反乱の首謀者ユオ・ネヴィルネルを捜し出し、略式裁判の後に処刑せよ」

「捜し出すんですか?」



 我々は処刑部隊であり、捜索は専門外だ。

 そんなことは大隊長も理解しているから、つまり何か事情があるんだろう。

 余談だが、俺に回ってくるのはこんな仕事ばかりだ。



 すると大隊長は楽しくて仕方がないといった様子で、こう続ける。

「首謀者を捜索中の陸軍第二師団に協力せよとの勅命でな。なんとしても捕らえて処刑せねばならん。『なんとしても』な」

「ああ、『なんとしても』ですか……」

 大隊長とはもう数年の付き合いなので、言いたいことがわかってしまった。



 要するに彼女は命令とは裏腹に、「そいつを逃がせ」と言っているのだ。理由はわからない。知る必要もないだろう。

 誰だか知らないが、殺されずに済むのならその方がいい。俺も気楽だ。

 大隊長は続けて俺に命じる。



「とはいえ、助っ人がお前だけでは格好がつくまい。引き続きクリミネ少尉を付けてやる」

「お言葉ですが、あのお嬢様で大丈夫ですか?」

 すると大隊長はにっこり笑った。

「おそらく大丈夫ではないだろうが、お前が大丈夫にしてくれると信じているよ。そうだな、『来年の夏』ぐらいまでには頼む」

 子守りまでさせるつもりか。もうやだこの大隊長。

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