第6話 吊るされた女①

 大隊所有の乗用馬を歩ませつつ、馬上のクリミネ少尉がつぶやく。

「中尉殿、寒いです。とても」

「カヴァラフ地方は耕作の北限に近いからな。冬は畑も溜め池も凍りつくそうだ」



 俺はそう答え、コートの前を閉じる。

「春で良かったな。だが今年の麦作が本格的に始まる前に農民反乱の首謀者を捕らえよとの勅命だ」

「無理だと思いますが」



 クリミネ少尉が地図を広げて溜息をついている。

「カヴァラフ地方全体だと村や集落は何千もありますし、私たちが向かうフマーゾフ領だけでも集落が二十以上あります。農民たちが匿う気になればいくらでもできるでしょう」

「そう、不可能だ」



 俺は泥だらけの道を歩き出しながら、クリミネ少尉に苦笑してみせる。

「だが勅命は不可能を可能にする」

「無理ですって」

「わかっている。重要なのは『命令は実行された』という事実だ」



 俺の言葉に、クリミネ少尉は怪訝そうな顔をした。

「あの、まさかですが」

「俺たちはユオの処刑執行を監督し、死亡を確認する。遺体は故郷に埋めてやったと報告する。それだけだよ」



 任務の意味を察したクリミネ少尉は、今度は呆れた顔になった。

「やらずぼったくりじゃないですか」

「カヴァラフ地方全体だと村や集落は何千もあるし、匿う気になればいくらでもできるからな」

「それ私が言ったヤツです」



 そう、彼女の言い分は正しい。

 無理だからやったことにしておく。後から本人がひょっこり出てきても、偽者ということにしてしまえばいい。それが可能な理由もある。



「さて、楽しいおしゃべりはここまでだ。仕事の話に入ろう」

「今していたのは仕事の話ですよ」

 俺はニヤリと笑い、大隊長からの極秘メモを取り出す。

「本当の仕事の方だ」


   *   *


「これはこれはえー……帝国儀仗大隊でしたかな?」

「帝室儀礼大隊ですよ、マカラン少尉」

 俺は騎兵少尉の階級章を付けた若造に微笑みかける。サラサラの金髪で見た目はアイドルみたいだ。たぶん貴族将校のお坊ちゃんだろう。



 こういう人物には愛想良くしておくのが処世術だ。階級は俺の方が上だが、向こうは貴族だし騎兵科だ。偉さが違う。

 田舎貴族のお坊ちゃんらしい騎兵少尉は、それでも俺に敬礼してくれた。規則だからな。



「処刑専門部隊の御協力を仰げるとは光栄であります」

「はい、処刑ならお任せください。誰の首でも落としますよ」

 ニコニコ笑って答礼する。



 俺の後ろではたぶんクリミネ少尉が洗われた猫みたいな顔をしているはずだが、確認する必要はないので放っておく。

 喪服みたいな黒い軍服の俺とクリミネ少尉は、民家を借り上げた騎兵小隊詰所では異様に浮いている。まるで敵地だ。



 椅子に腰掛けて休憩中の騎兵たちが、あまり好意的でない会話をヒソヒソしている。

「アレが有名な首斬り部隊か……」

「なあに、戦場に立ったこともない臆病者さ。あっちの少尉なんか小娘だぜ」

「胸は薄っぺらいが顔はいいな。声かけてみようかな」

「よせよせ、死臭が移るぜ」



 騎兵たちは女性にモテるから、すぐこういう会話が出てくる。確かに格好いいよな。俺も好きだ。

 俺はクリミネ少尉がセクハラされないように、少し釘を刺しておくことにした。



「先日は決闘で貴族を殺せと命じられて渋々やりましたが、今回はただの農民ですから普通に銃殺でよろしいのでしょうな」

 小隊長を務める若い少尉は、一瞬驚いた顔をする。

 だがすぐに吐き捨てるように答えた。



「それはあんたらの仕事だ。俺たちの知ったことじゃない」

「マカラン少尉、上官には敬語を」

「わかってますよ!」

 ヤケクソ気味に敬礼する少尉。すぐに昇進して彼の方が上官になるだろうが、今この瞬間は俺が上官だ。こう言っておく。



「ではこの場で最上位の小官が、捜索の方針を決めます。もちろん、異論があれば申し出てください。小隊の指揮官は貴官ですので」

「わかりました。さっさと終わらせて帰りたい」



 この騎兵少尉、二十そこそこかな。本来ならまだ士官学校に在籍している年齢だが、貴族は簡単に少尉になれる。配下の騎兵たちは実家の私兵だろう。前世で言えば武家の郎党というヤツだ。

 下手に敵を作らないように気をつけつつ、俺は微笑む。



「ご安心を。任務が長引きそうなら儀礼大隊に増派を要請して、貴隊の任務を引き継ぎます」

「そ、それは……助かります」

 お、少し態度が軟化したか? やっぱり若者は素直でいいなあ。俺も今世じゃまだ二十代だけど。



 騎兵少尉は壁にもたれかかりながらぶつくさ言っている。

「ここの農民どもは、我々に敵意を剥き出しにしてきます。あいつらは道に細い孔を開けて、馬が骨折するように細工をしていました」

 プレーリードッグでもいるのかな。故意かどうかは判断を保留しておこう。



「では代わりに小官が骨折してあげましょう。馬と違い、人間の脚ならすぐ治ります」

「ご存じなのですか?」

「馬は脚を骨折すると、衰弱して死んでしまいますからな。軍馬は馬の中でもとりわけ高価ですし、命が大切なのは人も馬も同じです」

 自分の体重で内臓がやられちゃうとか、なんか聞いた記憶がある。前世で。



 馬への配慮を示したことで、若い騎兵少尉はさらに心を開いてきたようだった。

「助かります。ここの領主が協力してくれるそうですので、そちらにも挨拶しておかれるとよろしいかと」

「ありがとう、マカラン少尉」

 にっこり笑っておく。



 騎兵少尉は部下たちに命じる。

「フォンクト中尉殿を領主の城館に御案内するぞ。皆、失礼のないようにな」

「はい、若君」

 やっぱりこの騎兵たち、この貴族の郎党っぽいな。



 騎兵たちは俺を少し胡散臭そうに見るが、騎兵たちの階級は一般の兵卒。俺は将校だ。

 軍隊の規律に従い、彼らは俺に敬礼する。

「御案内いたします」

「ありがとう。諸君の鍛え抜かれた軍馬と違い、俺たちのは可愛い乗用馬だ。お手柔らかに頼む」

「ははは! 承知いたしました!」

 どうやら騎兵たちにも受け入れられたようだ。よかったよかった。



 ふと振り返ると、クリミネ少尉が俺をまじまじと見つめている。

「もしかして中尉殿は詐欺師か何かで?」

「かもな」

 俺は手をヒラヒラ振って歩き出した。

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