第7話 吊るされた女②

 どんよりと曇った空と、ぼやけたような大地の狭間に、領主の小さな城館があった。もちろん地方全体の領主ではない。

 騎兵少尉のマカランが馬上で指さす。



「あれがこの一帯の集落を治めているフマーゾフ卿の城館です」

「どんな人物ですか?」

「態度が曖昧で、何を考えているのかさっぱりです。こっちは反乱の首謀者を捕らえようと協力しているのに、ダラダラと……」



 苦り切った顔をしている若い騎兵少尉に、俺は苦笑してみせる。

「そういう御仁の相手も小官たちの仕事ですよ。戦場では役に立ちませんが、駆け引きの類いは得意です」

「お願いします」



 すっかり素直な態度になったマカラン少尉は、軽く頭を下げる。育ちの良いおぼっちゃんタイプだな。善意に囲まれて育った人間の匂いがする。

 フマーゾフ卿とやらもそうだといいのだが。



「若君、行きましょう」

 先導の騎兵たちが城館の門をくぐろうとしたので、俺はマカラン少尉に言う。

「待つように命じてください」

「えっ? おい、待つんだ!」



 騎兵たちは小隊長の命令しか聞かないが、それだけに命じられれば即座に反応する。まるで馬自身が命令を聞いたかのように、ぴたりと停止した。どうやってやるんだ、あれ。



「どうなさいましたか、若君?」

「いや……」

 マカラン少尉が俺を見ているので、俺は門を指さした。



「この門、ずいぶん低く作られているだろう?」

「ん? ああ、そうですな。通りにくくてしょうがねえ」

 騎兵たちがうなずいたので、俺は教えてやる。



「こういう不自然な造りになっている建造物というのは、何かしら意図があるものだ。おおかた下馬させるためのものだろう」

「なんでまたそんなことを?」



 騎兵たちが不思議そうにしている。こいつら察しが悪いな。

「小領主というのは、とかく軽んじられるものだ。お前たちは下馬せず通行しようとしたが、帝都の宮殿正門で同じことができるか?」

「めっそうもない」



 ヒゲ面のいかつい騎兵たちが首をぶんぶん振ったので、俺は苦笑する。

「領内では領主こそが最高権力者だ。君主としての敬意を示されるべきだろう。だから来訪者を強制的に下馬させるため、わざと門を低めに作っているんだ」



 顔を見合わせる騎兵たち。

「ははあ……」

「この程度なら襲歩でも通り抜けてみせるぜ」

「俺もだ。帝国騎兵を舐めてもらっちゃ困る」

 困った連中だな……。



 俺は慎重に言葉を選ぶ。

「そう、お前たちのような精強な騎兵には全くの無意味だ。だが、これより低くすると門としての威厳が失われるからな。ここは意図を汲んで下馬するのが優秀な軍人というものだろう。そうですな、少尉?」



 騎兵たちの直属上官であるマカラン少尉に振ると、彼は少し戸惑いつつもうなずいた。

「そ、そうです。お前たち、領主殿に敬意を示せ。総員下馬だ」

「はっ!」

 命令は即座に実行され、騎兵たちは下馬して愛馬の轡を取った。



 俺はクリミネ少尉に声をかける。

「俺たちも降りよう」

「りょ、了解です」

 ぎこちない動きで馬から下りた彼女は、着地の反動で大きくよろめく。



 そっと手を差し伸べて背中を支えてから、俺はクリミネ少尉にささやく。

「やはり交渉事は我々事務屋の方が適任のようだ。頑張ろうな」

「ひゃい」

 声が裏返ってるぞ。意外と小心者なんだろうか。


   *   *


 領主はすぐには現れず、俺とクリミネ少尉、それにマカラン少尉は応接間で待たされることになる。

 クリミネ少尉が上目遣いに俺を見ながら、紅茶をおそるおそる飲んでいる。もしかして先日の毒入り紅茶を引きずっているのだろうか。



「あの、中尉殿」

「なんだ」

「さっきの門、よくご存じでしたね」

「いや」



 俺は首を横に振った。

「単なる想像だ」

「妄想では?」

 この子だいぶ失礼だな。



 俺は溜息をつきつつ、紅茶を一口飲む。白湯以外の温かい飲み物が出されているということは、表向きは歓待ということなんだろう。それなりに高価なものだ。



「異国に似たような話があってな。小領主の城下を通行する他家の軍が領主に敬意を示さず、槍を掲げたまま橋を往来していたんだ。貴官ならどうする?」

「通行中に橋を爆破します」

「貴官は工兵の仕事にもう少し敬意を払うべきだな。もちろん違う」



 俺はもう一度溜息をつく。

「橋の横に松を植えたんだ。それも大きく横に枝を張ったヤツをな」

「あ、それだと槍を倒さないと通れません」



 前世で旅行したときに「槍倒しの松」の逸話を聞いたことがある。真偽はともかく感銘を受けたので覚えていたが、もしかすると役に立ったのかもしれない。

「一本の松のおかげで領主の面目は保たれたそうだ。面白いだろう?」

「はい!」



 クリミネ少尉が珍しく楽しそうな顔をしているので、俺も嬉しい。この子、俺の前じゃほとんど笑わないんだよな。少しは打ち解けてもらえるといいんだが。

 そう思ってふと横を見ると、騎兵少尉のマカランが目をキラキラさせていた。



「中尉殿は博識なのですね」

「代わりに馬術も勇猛さも貴官には遠く及びませんよ。単に専門性の違いです」

「ありがとうございます!」

 なぜか敬礼された。



 すると応接間に、毛皮の民族衣装を着た老人が入ってくる。恰幅の良い男性で、全体的な印象としては野生のサンタクロースみたいな感じだ。彼が領主だろうか。

 マカラン少尉が立ち上がって敬礼する。

「これはフマーゾフ様」

「どうも、マカラン少尉。都から新しく将校が来たと聞いたが」



 老人に見つめられ、俺も敬礼する。小領といえどもこの地の君主だ。

 本来なら膝を突いて頭を垂れるべき相手だが、俺たち軍人は皇帝と神以外にその礼を取ってはいけないことになっている。皇帝の軍隊だからだ。



「帝室儀礼大隊第三中隊副隊長のフォンクト中尉と申します」

「ほう、中隊副隊長かね」

 儀礼大隊の場合、中尉はみんな所属中隊の副隊長なんだけどな。副隊長だらけだ。

 なんとなく偉く見えるからそうなってる。前世でも割と見るヤツだが、どうやら御利益はあったようだ。



 さて、この人は「どっち側」だろうか。俺は反乱首謀者を逃がす側だ。

 領主としては反乱を起こされて迷惑なはずだから、首謀者を処刑したい側かな。

 するとフマーゾフ卿はヒゲを撫でながら穏やかに言った。



「大隊長宛の手紙は、文字が滲んではいなかったかな? この辺りは冬の寒さでインクが凍ってしまってね」

 おや?

 俺は異変に気づいたが、当たり障りのない答えをしておく。



「いえ、小官は拝読しておりませんので」

「ふむ、そうか。しかし帝都にはさぞかし良い『インク屋』があるのだろうな。『なんとしても』凍らないインクを手に入れたいものだよ。『来年の夏』にでも行ってみようかね」



 ああ……この人は「こっち側」か。大隊長から伝えられた符牒を二つとも使っているし、「インク屋」は大隊長の通称だ。たぶん間違いないだろう。

 それになんか言いたげな顔してるし。



「良い『インク屋』なら小官も存じております。『来年の夏』でしたら予定も空いておりますし、ぜひ」

 フマーゾフ卿の顔が明るくなった。

「おお、そうかね。遠来の客人は幸をもたらしてくれるな」



 老人はうなずき、それからマカラン少尉に向き直った。

「案内ご苦労様。君たちの馬も慣れない土地で疲れているだろう。私の馬医が診察したいと言っていたよ。どうかね?」

「それは助かります。小官も立ち会いましょう」



 さりげなく人払いしたな。全く疑う様子もなく、嬉しそうにマカラン少尉が出ていく。

 さて、どんな話が待っているのだろうか。

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