第52話 亡霊狩り⑥

   *   *


 ユオ・ネヴィルネルは豪華な内装の馬車に揺られて、街道を北上していた。前後には銃で武装した胸甲騎兵が警護している。そこらの追い剥ぎではちょっと手が出せない警戒態勢だ。

 去り際にあの中尉は言った。



『この馬車なら逃亡は簡単だろう。詳しくは言えないが、検問所で足止めをくらうことはないはずだ。適当なところで降ろしてもらうといい』



(詳しく言わなくてもわかりますよ。あの少尉の実家の馬車なんでしょう?)

 ユオは心の中で溜息をつく。

 リーシャ・クリミネ少尉についてはあまり調べていなかったが、どうやら準貴族らしい。一介の少尉が準貴族の地位を買っているのなら、実家は平民でありながら相当な資産家ということになる。



(戻ったら詳しく調べることにしましょう。クリミネなんて姓の準貴族は知りませんから、偽装していますね)

 考えることがひとつ増えてしまったが、それよりも先に考えるべきことがあった。



(どこで降ろしてもらうのがいいか……)

 降りた地点は儀礼大隊に報告されるだろう。隠れ家や拠点の周辺を捜索されると厄介だ。かといって、あまりにも離れていると道中が危険になる。



 それと別の悩みもあった。

(下手な場所で降りると、味方にこの馬車を目撃されてしまう。皇帝派と内通していると思われたら破滅です)



 歴代の「ユオ・ネヴィルネル」の中には粛清された者もいると聞く。裏切り者への処遇は苛烈だろう。間違いなく殺される。

(困った……)



 ゴトゴト揺られながら悩むユオは、ふと気づく。

(まさか、こうなるように仕組まれていたのでは?)

 フォンクト中尉はどこからどう見てもお人好しの好青年だったが、彼は悪名高い帝室儀礼大隊でも屈指の危険人物だ。



(いったいいつから罠に嵌められていたのだろう? 最初に会ったとき? それとももっと以前から……?)

 次第に疑心暗鬼になっていくユオ。



 気づいてみれば、ほぼ完璧な形で罠に嵌められていた。履行不可能な約束をさせつつ、窮地を救って負い目につけ込む形で主導権を握る。

 その結果、ユオは皇帝派の「匂い」を撒き散らしながら帰還することになった。

(やられましたね……)



 罠に嵌められたことには気づいたのに、怒りや恨みの感情はどこにもない。今でもフォンクト中尉には感謝の念しか湧いてこない。

 それがユオには逆に恐ろしかった。



「ほんとに怖い人……」

 そう呟いたユオの口元には、なぜか微かな笑みが浮かんでいた。


   *   *


「ああー……うちの馬車なのに……中尉殿とのクリーミィ休暇が……」

 クリミネ少尉が情けない声で馬車に手を振っている。クリーミィ休暇って何? ああそうか、フレッシュチーズ食べに行く約束だったもんな。

 ちょっと申し訳ない気分になってきたので、俺は彼女に声をかける。



「すまない。だがこれで彼女は無事にカヴァラフ地方まで脱出できるだろう。休暇は改めて申請する」

「優しいんですね、中尉殿って」

 言葉とは裏腹にふくれっ面で下から睨んでくるクリミネ少尉。



 俺は苦笑しつつ溜息をついた。

「優しい訳がないだろう。俺は彼女を罠に嵌めたんだから」

「どういうことです?」



 不思議そうな顔をしたクリミネ少尉に、俺は教えてやる。

「ユオは帝室儀礼大隊の将校から私的な支援を受けて、おそろしく高価な馬車と騎兵で包囲網を突破した。貴官が彼女の上官なら、無事で良かったと喜べるか?」



 俺の言葉にクリミネ少尉が目をまんまるにする。

「まさかそこまで考えて、私に実家の馬車を呼ばせたんですか?」

「当たり前だろう。俺たちは軍人だぞ」

 俺ってそんなお人好しに見えるのかな。かなりの悪人だと思うんだが。



「よかった……本妻の実家の馬車を妾に使わせるタイプじゃなかったんですね」

 どこから指摘していいのかわからない戯言を吐かないでほしい。疲れる。

 と思ったら、クリミネ少尉はフフッと笑った。



「冗談ですよ。中尉殿のことだから何かお考えがあるんだろうと思っていました」

「貴官に意図を説明できなくてすまない。ユオに気づかれると拒絶される可能性があったんだ」

 むしろユオに気づかれなかったのは意外だった。それだけ余裕がなかったんだろう。



 馬車が見えなくなったところで、俺は馬にまたがる。

「これでユオは後戻りできなくなった。反皇帝派に楔を打ち込めるといいな」

 反皇帝思想の象徴である「ユオ・ネヴィルネル」を逆に利用させてもらう。



「もし彼女が裏切り者として粛清されれば、次の『ユオ・ネヴィルネル』が出てくる。だが帝都で彼女が増やした反皇帝派が、次のユオを認めるかどうかは別だ。俺は無理だと踏んでいる」

「どうしてですか? よっこいしょっと」



 クリミネ少尉も自分の馬に乗って尋ねてきたので、俺は答える。

「直接会ってみてわかったが、彼女の交渉術は組織力を背景とする取引ではなく、彼女個人の人望が原動力だ。彼女が死ねば人脈は消える」



 彼女が俺との約束を破ったとき、不思議と怒りは感じなかった。彼女個人が持つカリスマ性だろう。

「派閥内で彼女の立場が悪くなれば、おそらく何か起きるはずだ。むざむざ粛清されるような人間には見えなかったからな」



 正直に言うと、おっぱ……違います、曰くつきの古傷を見せられたりして俺自身もかなり情を動かされている。だからここまでして彼女を助けた。

 彼女はいつだって捨て身だ。だから人の心をつかむ。姿を見せずに彼女に指図している連中とは違う。



 という私情半分打算半分みたいな感じで動いてしまったのだが、私情の部分は隠しておかないとまずいな。

 そこでクリミネ少尉がヌルリと顔を上げた。



「ところで中尉殿、ユオが去り際になんか耳元で囁いてませんでしたか? 不義密通の約束ですか?」

「俺は独身だ」

 一応訂正しておいてから、俺は答える。



「『次は小夜啼鳥が飛んだときに』と言われた」

「やっぱり不義密通の約束じゃないですか!」

「俺は独身だ」

 死亡後も彼女いない歴がどんどん加算されてる転生者の身にもなってくれ。



 クリミネ少尉は俺の困惑をよそに、顎に指を添えて考える仕草をする。

「小夜啼鳥……あのピチュピチュ可愛い鳴き声の小鳥ですよね?」

「ピチュピチュ可愛い鳴き声の小鳥だな」



 帝国語ではルチュルヴィーアと呼ばれるその小鳥が、本当に小夜啼鳥なのかは俺も知らない。鳴き声と姿がよく似ているだけかもしれない。

 それはともかく。



「何かの符牒ですかね? それとも古典文学の一節?」

「あいにくと文学的素養はないので皆目わからん」

 日本の古典なら多少知ってるんだけどな。



「だが何か思わせぶりな言葉であることは確かだ。大隊長に報告した方が良さそうだな。監視態勢の強化も具申したい。帰るぞ」



 そう言ったのだが、クリミネ少尉がじっと俺を見ている。なんですか。

「スケコマシの大悪党……」

「上官侮辱罪はやめろ」



 俺は帰途、背中に冷たい視線を浴び続けることになった。

 俺が何をしたっていうんだ。

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