第50話 亡霊狩り④
* *
反皇帝派の煽動者であるユオは今、窮地に陥っていた。
「貴官は帝室儀礼大隊のリーシャ・クリミネ少尉で間違いないな?」
「はい」
眼の前にいるのは第三師団の歩兵中尉だ。傍らには副官らしき少尉がいて、背後には護衛の下士官と戦列歩兵が総勢十人ほど。
しかしいずれも彼女の支援者ではない。帝室に忠誠を誓う「普通」の将兵たちだ。
(こんな場所で巡回しているなんて聞いてない!)
ユオの直接の上役はそれなりの地位にあるはずだが、第三師団の全権を掌握している訳ではない。それに個々の将校の自発的な行動まではさすがに把握できないだろう。
「ふーむ」
中隊長らしい中尉はヒゲを撫でながら、値踏みするような目でユオを見つめる。
「儀礼大隊のことはよく知らんが、将校の単独行動というのは珍しいな。おまけに女ときた」
「そうですね」
余計なことを言えばすぐにバレてしまう。ユオは軍隊のことがよくわからない。
ただ身分を偽ることには長けている。怪しまれたときは「何を疑われているのかわからない」という態度で堂々としているのがいい。
「事情を御説明したいのですが、任務中なので何も申し上げられません」
「まあそうか」
納得してくれたようなので安堵するユオ。
しかし第三師団の中尉はこう続ける。
「ちょうど儀礼大隊の将校が近くにいると聞いているので、問い合わせてみる。悪いがこの場に留まってもらう」
(それは困ります!)
抗議したかったが、こういうときにゴネるとますます疑われることをユオは経験から知っていた。
だから素直にうなずく。
「わかりました。その方が話が早いですね」
「すまんな。こちらもこれが任務でね。なに、時間は取らせんよ」
口調は穏やかだったが、中尉の目は笑っていなかった。明らかに警戒されている。
(巡察中の将校とばったり出会ったときに、動揺が顔に出てしまったかもしれない)
運悪く街道筋の食堂で食事中だったので逃げ出すこともできず、そのまま囲まれてしまった。
そして今に至る。
頭の中で必死に思考を巡らせていると、中隊副官らしい少尉が声をかけてきた。
「ところでクリミネ少尉殿、馬はどちらに?」
「徒歩です」
「徒歩? 何か理由でも?」
「申し訳ありません、それも任務と関係していまして」
(この返しはまずい……)
はぐらかしたが、さっきから実のある情報を何ひとつ提供していない。こういう会話は不信感を増すだけだ。自分でもそれはわかる。
案の定、中隊副官は納得していない表情だ。
「そうか……。お役目、御苦労だな」
「ありがとうございます」
質問を投げかけられるたびに、言葉を発するたびに、偽装の膜が少しずつ剥がれ落ちていくのを感じる。
(時間を稼いではいるけど、このままではもたない。いずれ拘束される)
それともうひとつ、気になることがあった。
兵卒たちがこちらを見る目があまり好意的ではない。あれは上官を見る目ではなく、若い娘を見る目だ。
(まずい……品定めされている)
過去に何度も危うい目に遭ってきたユオは、この場を切り抜けるための最後の方法を覚悟した。
だがそのとき、食堂のドアが勢いよく開いた。
「帝室儀礼大隊だ。ここに我が大隊の士官がいると聞いた。邪魔させてもらうぞ」
そう言いながら入ってきたのは、昨夜密かに会ったあの男だ。
(フォンクト中尉!?)
反皇帝派から「毒使い」「亡霊殺し」「帝室の猟犬」「死神」などと呼ばれて警戒されている人物。儀礼大隊で最も危険な男。
だが一方で、周囲からの人物評価は温厚で清潔そのものだという。
だからこそ、ユオは危険を冒して会った。見極めたかったからだ。
その危険人物の背後には若い女性将校がいる。あれが「本物」のクリミネ少尉だろう。その後ろに武装した兵士と下士官が続いている。
(終わった……)
本物と鉢合わせしてしまった以上、偽装はもう不可能だ。退路も完全に断たれており、味方はいない。
(せめて最後は堂々と幕引きをして、次の「ユオ・ネヴィルネル」の手助けをしなくては)
醜態を晒したら自分が今まで築いてきたものが崩れてしまう。反皇帝派の活動家として、それらしい最期を遂げたい。
とっさに自害を考え、隠し持ったナイフに手を伸ばす。
だがフォンクト中尉の顔を見た瞬間に、その覚悟が消え失せてしまった。
こちらを見る彼が笑っていたからだ。
「あの……」
「クリミネ少尉、こんなところにいたのか。探したぞ」
本物のクリミネ少尉を後ろに従えたまま、フォンクト中尉が苦笑してみせる。意味ありげなウィンクまでしてきた。
「え? あっ? も、申し訳ありません」
何がどうなっているのか全くわからないまま、それでもユオは立ち上がって敬礼する。フォンクト中尉の背後にいる「本物」が、ものすごい仏頂面をしていた。不満そうだ。
(私だって訳がわからないんですよ!?)
申し開きをしたいが、今はそれどころではない。
フォンクト中尉は巡察部隊の中尉に向き直る。
「うちのクリミネ少尉が迷惑をかけたようで申し訳ない。おいそっちの兵卒ども、残念だがそういうことだ。バカな真似はするなよ」
フォンクト中尉が兵士たちを睨むと、彼らはガッカリしたように視線をそらした。何を期待していたのかは明白だ。
巡察部隊の中尉が皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「おやおや、ようやく迷子のお迎えかね。栄えある帝国軍とは思えんな」
「全くだ、これだから若い娘は困る」
フォンクト中尉は苦笑したが、口元に笑みを浮かべたまま言い返す。
「だが貴婦人の処刑に立ち会うときには、厳つい野郎よりもこういう女性将校が喜ばれる。遺族からも変な疑いをかけられずに済む。世の中には女とみればすぐに手を出そうとする恥知らずな男が多いからな」
口と違ってフォンクト中尉の目は笑っていなかった。
「で、うちの少尉が何かやらかしたか?」
「いや、お困りのようだったので少しばかり話相手をしていただけさ。感謝してほしいね」
同じ中尉ではあるが、巡察部隊の中尉は中隊長格だ。部下の数も多い。強気に出てくる。
しかしフォンクト中尉は溜息をついた。
「そりゃどうも、御協力感謝するよ。ところで今、俺たちは反皇帝派の内通者を探している。怪しい連中は階級を問わずに拘束して構わんとさ。大事な職務を放りだして職権濫用している将校なんかは怪しいな」
「そうだな、気をつけた方がいい。そういう連中は味方でも平気で撃つだろうよ」
巡察部隊の中尉はそう言って威圧的に笑ったが、次の瞬間には部下たちを怒鳴りつけた。
「貴様らぁっ! 今は政治犯の捜索任務中だ! たるんだ真似をしておったら、懲罰部隊に叩き込むぞ!」
「ははっ!」
兵士全員が直立不動で敬礼したのをジロリと睨んでから、その中尉はフォンクト中尉に向き直る。
「大事な子猫には鈴でもつけておくんだな」
「そうしよう」
好意的ではない視線を交わして、巡察部隊の中尉は軍靴を鳴らして歩きだす。
「ついてこい! 巡察を再開する!」
「きゅ、休憩終わり! 総員、二列縦隊! 進め!」
下士官が慌てて号令をかけると、全員がぞろぞろと食堂から出ていった。
(助かった……のかな?)
訳もわからずぼんやりしていると、フォンクト中尉が声をかけてくる。
「危ないところだったな。だがこれは約束違反だ。少しばかりお説教をさせてもらうぞ」
彼の背後で本物のクリミネ少尉が頬をふくらませている。
それを見てから、ユオはうなだれた。
「……はい」
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