第24話 偽りの微笑みで④
「シャオの旦那、俺もそろそろおいとまするぜ!」
女の子の肩を抱いた水兵が敬礼する。
ほんの一時間ほどの酒宴だったが、彼らの心をつかむことに成功したようだ。
糖蜜酒の特級をガバガバ飲ませて、女の子たちに好かれるように話を振ってやったんだから、少しは感謝してもらわないと割に合わない。疲れた。
俺はニコリと笑って軽く手を挙げる。
「ええ、良い夜を」
この酒場は吹き抜けになっていて、二階部分はホテルのように個室が並んでいる。気に入った女の子を連れて入れる仕組みだ。もちろん別途料金が必要になる。
ふと気がつくと、酒場の女の子たちは全員いなくなっている。数がぴったりで助かった。
「とりあえず今夜はこれぐらいかな。支払いを済ませて帰ろう」
するとクリミネ少尉が俺をジットリとした目で見つめてきた。
「帰るんですか」
「水兵たちはしばらく戻ってこないぞ。だいぶ酔ってたし、朝まで寝てるんじゃないか?」
彼らを懐柔するにしても、今夜はこれぐらいが潮時だろう。
クリミネ少尉は不機嫌そうだ。
「本当に人の心に入り込むのが得意なんですね」
「そうしないと生きていけない半生だったからな……」
前世も含めて、周囲の顔色をうかがいながら生きてきた。
周囲に誰もいないことを確認して、俺は小さな声でそっと続ける。
「俺の故郷は貧しい村で、俺の両親は小作人だった。地主さんは良い人だったが、地主の息子がクソ野郎でな。あいつが後を継いだら暮らしにくくなると思って、俺は故郷を出たんだ」
あと現代人の俺には、辺境での生活が合わなかったというのもある。特にトイレとかが非常にキツかった。
士官学校もキツかったが、ベッドで寝られる生活を手に入れたので多少マシになった。
今は将校としての待遇があるので、かなりマシになっている。ただ、クーラーがないのだけは未だに慣れない。
クリミネ少尉は珍しく申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、私ったら……」
「気にするな。生きていれば誰だって辛いことはある。君もそうだろう?」
準貴族のお嬢様が処刑部隊で将校なんかやってるんだ。何か事情があることぐらいはわかる。
俺はグラスに残っていたワインを飲み干すと、クリミネ少尉に笑ってみせた。
「不幸自慢なんかしても意味がない。媚びへつらう人生で得た力だが、今夜は役に立った。きっと今後も役立つだろう。だったらそう悪い話じゃないよ」
「『旦那様』……」
クリミネ少尉が何か言いたげな表情をしているが、これ以上居心地の悪い思いをさせても気の毒だろう。
俺は立ち上がると、店員を呼んだ。
「帰ります。支払いをしたいのですが」
分厚い伝票を持って店員がサッとやってきたので、俺は請求額に少し上乗せして支払う。
「上の階の水兵たちが帰るときに、これで軽食でも包んでやってください。『シャオユンターサのウォン』の奢りだと」
「は、はい。必ず」
「ありがとう。これは手間賃ですよ」
俺はにっこり微笑み、彼にも銀貨を握らせた。
* *
こんな何の面白みもない夜遊びを繰り返すこと数日。
「あの、『旦那様』? そろそろ軍資金がなくなりそうですよ」
「バカみたいに散財したからな……」
俺の月給ぐらいの額を毎晩使っているので、さすがに持参した金がなくなりかけている。
こんなにお金を使って楽しくないなんて信じられないが、どうやら俺はこういう遊びには全く向いていないらしい。
「さて、どうしたものか」
ここは港町だから銀行もあるが、現代の銀行ほど便利ではないし顧客情報も管理されていない。大きな金を動かすと口座を辿られて正体がバレる危険性があった。
「いったん帰るのも手ですよ、『旦那様』。『支店』に帰ればお金も引き出せますし」
帝室儀礼大隊は帝都にしか拠点がないが、それだと困るので地方の中核都市には簡素なセーフハウスを設けている。出張処刑の拠点となる隠れ家だ。
あいにくゼラーン湾周辺にはセーフハウスがないので、いったん撤収することになる。
「仕方ない。明朝いったん戻るか。だがせっかく来たからには、今夜は少し勝負に出てみよう」
店内を見回すと、俺たちをじっと見ている連中がそれなりにいた。
その中に、海軍将校の制服を着ている連中がいる。下士官や水兵を従えて酒を飲んでいたが、遊んでいる感じではない。
「あれだな」
俺は立ち上がると、そのテーブルへと足を向けた。
「こんばんは」
「お前だな、ここんとこ毎晩あちこちで豪遊してる変なシャオ人ってのは」
大尉の階級章をつけた中年将校が俺をじろじろ見てくるので、俺は恭しく一礼してみせた。
「はい。シャオユンターサ、つまりシャオ大朝国より参りました交易商のウォンと申します。主の目が届かないのをいいことに遊んでおりました」
サングラスをずらし、にこりと笑う。
海軍大尉は渋い顔だ。
「うちの水兵どもがずいぶん奢ってもらったようだが、何を企んでる?」
「ははは、確かにシャオ商人が何の下心もなしに酒を奢るなどとは思わないでしょうね」
ゼラーン湾に来る外国人は交易商が多い。良く言えば交渉上手で、悪く言えば狡猾だ。
だから警戒される。
俺は知らん顔をして酒瓶を取り出した。
「私の心をお知りになりたければ、酔わせてしまえばしゃべり出しますよ」
俺が出した瓶のラベルをちらりと見て、大尉は鼻を鳴らす。
「まあいいだろう。ただし妙な真似をすれば、お前の放蕩も今夜で終わりになるぞ」
いや、どのみちもうお金がないんです。
俺は内心で苦笑しつつ、ブランデーの瓶とグラスを置いた。
「将校殿のお言葉、肝に銘じましょう。ささ、まずは乾杯から」
「ふん……。おい、こいつは『火竜印』の三十年物だな?」
「ええ、そうです。さすがにお目が高い」
三十年熟成の最高級品なので、クリミネ少尉が生まれる前から樽で寝ていた酒だ。当然、ものすごくお高い。海軍大尉程度では手が出ない贅沢品だ。
グラスにとくとくと注がれていくブランデーに、将校や下士官たちの視線は釘付けだ。
「おお、なんて色してやがるんだ……」
「香りがすげえ」
「大尉殿、俺たちもお相伴に与れるんでしょうね!?」
「知らんよ、そいつに聞け」
俺はグラスを片手に微笑む。
「もちろん、この場にいる全員で乾杯しましょう。航路を守る英雄たち、栄光の帝国海軍に乾杯」
「……おう」
顔を見合わせ、なんとなくぎこちない手つきで乾杯する海軍の軍人たち。
そして警戒心剥き出しだった中年大尉が、俺の肩を叩きながら「よーし、そんなら俺に任せとけ! テルゼン提督に会わせてやる!」と豪語したのは、しばらく後のことだった。
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