第25話 番狂わせの夜①
* *
ゼラーン湾の軍港にある海軍南方艦隊司令部は、儀礼大隊の本部よりだいぶ立派だった。
俺はやたらと豪華な応接室のソファで、髭面のいかついおっさんと対面している。
そのおっさんはというと、猜疑心丸出しの眼で俺を見ていた。
「お前か、シャオから来たとかいう商人は」
こいつが抹殺対象のテルゼン提督か。聞いていた通りの風貌だ。
特に大柄という訳でも、筋骨隆々という訳でもない。よく鍛えてはいるが、ごく普通の中年男だ。
だが不思議と威圧感があり、ちょっと怖い雰囲気があった。
おそらくは彼の度胸と自信がそうさせるのだろう。
あとついでに、俺が武装した兵士に取り囲まれているというのもある。
海賊と見間違えそうな連中が俺のソファを取り囲んでおり、鉈みたいなナイフやマスケット拳銃をベルトに差して突っ立っていた。
たぶんこいつら、人を殺すことに一切の躊躇がないタイプだ。良い兵士といえる。
一対一でも勝てるかどうか若干不安があるのに、この人数が相手じゃ勝ち目がない。しかも俺は丸腰だ。
じたばたしても仕方ないので、俺はソファに体を預けて無防備な姿を晒す。
「はい。ウォンと申します。姓はウォン、名はクトゥ。シャオユンターサ南東のリャン州出身の交易商です」
この設定はユギ大尉が考えてくれたものだ。「フォンクト中尉は絶対にリャンがいいです! 柔らかくて涼しげな雰囲気が凄くそれっぽいですから!」と力説してくれたけど、あの人ってもしかしてシャオ出身なんだろうか。
テルゼン提督は俺をじろじろ見ているが、俺はニコッと微笑んでからテーブルの上の湯飲みをじっと見る。
なんで湯飲み?
普通に考えると、これはシャオ人なのかどうか試されているんだろうな。
シャオの茶の作法なんか全くわからないが、東洋風にしてれば大丈夫だろう。ユギ大尉も太鼓判を押してくれてたし。
「良い器ですな」
俺は湯飲みを手に取り、茶道の所作を真似て器を回す。もちろん横方向にだ。縦に回したらウケるかもしれないが、火傷したくない。
そして湯飲みを見て、こう言う。
「紅梅に鴬とは実に風雅。もう少し早く馳せ参じていれば、早春の頃にこれを拝めたのですが、我が身の不徳を恥じ入るばかりですよ」
今はもう初夏にさしかかっている。いささか季節外れの器だが、それを直接指摘するのは無粋だろう。
だが全く指摘しないと「お前、これに違和感を覚えないのか?」と言われる可能性もある。
だから気づいていることはやんわりと伝えておく。お茶を飲むのも命懸けだ。
中身は紅茶か、それに近い発酵茶だ。茶はシャオからの交易品らしい。
帝国南部なら茶の栽培も可能なはずだが、シャオが茶の木の持ち出しを厳しく規制している。禁を破れば死罪だそうだ。
「良い香りです。私の知らない銘柄ですが……」
知ったかぶりはせず、素直に知らないと伝える。
「滋味が染み渡りますな。旨い」
にっこり笑ってみせる。本当は味なんかわからん。周りに海賊みたいな連中が突っ立ってるから仕方ない。
テルゼン提督らしきおっさんは、俺を見て小さくうなずく。
「ふん。シャオ人で間違いないようだな。そいつはドワジャ産だ。お前らが知ってる訳がない」
お茶で人を試すような真似はよくないと思うぞ。俺の中の利休がお怒りだ。
まあいい。とりあえず身元の証明はできたようだ。
「正統帝国海軍の南方艦隊司令、テルゼン提督ですね。御高名は遙かシャオユンターサ……つまりシャオ大朝国まで轟いております」
お世辞を言われるのには慣れているのか、テルゼン提督は表情を変えない。
「俺に会いたいというからには、何か面白い話を持ってきたんだろうな?」
さもなきゃ殺すといわんばかりの態度だ。やっぱり軍人というよりは海賊の首領みたいだな。
「はい。とても面白いお話を二つほど」
俺はパンパンと手を叩く。
「一つ目を持ってきなさい」
俺の背後で無表情のまま小刻みに震えていたクリミネ少尉が、シャオ風の礼をして後ろにずり下がっていく。
それを横目で見ながら、俺はテルゼン提督に言う。
「提督の新しい事業として、このようなものはいかがかと」
「なに?」
テルゼン提督が片眉をピクリとさせたとき、チャイナドレスのユギ大尉が入ってきた。
「ファーユン、チャオニィ」
シャオ語で愛想良く挨拶して、ユギ大尉は片足を高々と上げる。そしてそのまま上体をのけぞらせ、倒立から一回転してみせた。新体操でああいうの見たことがある。
チャイナドレスのスリットは大変なことになっているため、そんなアクションをすればいろいろと大変なことになってしまうのだが、見えそうで見えないのがユギ大尉の体術の凄さだ。
もっとも事前の練習中に、クリミネ少尉が「見えてます! 中隊長殿、見えちゃってます!」と叫んでいるのは何回か聞いた。俺は同席してないから知らん。さすがにそこまで付き合う義理はない。
くるりと一回転したユギ大尉は、実に思わせぶりな表情でニコリと微笑む。
「アー、ファイフェイ、ユーチー?」
時間がなかったので俺は挨拶ぐらいしか習得できなかったが、どうも「もっとのけぞらせて」と言っているらしい。ユギ大尉って下ネタ好きなのかな……。
「おおお……」
「こいつはすげえ」
荒くれ水兵たちの視線がユギ大尉に釘付けだ。視線が全部太ももの辺りに集中しているのがちょっと面白い。
どいつもこいつも隙だらけだが、俺だって初見は隙だらけになったので仕方がない。気づいたら額をつつかれて「死にましたよ?」と笑われたからな。
テルゼン提督はというと、ユギ大尉ではなく俺をじっと見ていた。こいつ、隙がないな。
俺が本職の暗殺者ならこの状況でもテルゼン提督を始末できるかもしれないが、残念ながら丸腰でこのおっさんに勝つ自信がない。
クリミネ少尉の方がチャイナドレスを着て注目を集めてたらユギ大尉が始末してくれたんだが、クリミネ少尉の太ももにそれほどの吸引力があるかどうかは不明だ。世間一般の男性は俺と違って、どちらかといえばユギ大尉のようなタイプが好みだからな。
「『旦那様』?」
……なんか今、背後のクリミネ少尉が物凄い眼で俺を睨んでいるような気がする。振り返って確認するのが怖い。
さ、仕事仕事。
俺は営業スマイルで提督に向き直った。
「いかがでしょう? こちらはさる高貴な血筋を引く姫君……」
テルゼン提督の眉がぴくりと動いた瞬間、すかさず笑う。
「だったら良かったのですが、片田舎で買い取った村娘です。提督に差し上げますよ」
「うん?」
テルゼン提督が一瞬、不快かつ怪訝そうな顔をした。危険かもしれない。
だがここがチャンスだ。一瞬の心の隙を狙い、俺は微笑みを武器に踏み込む。
「泥にまみれた村娘に歌舞音曲や礼儀作法を仕込み、これほどの妓女に仕上げました。素材となる娘は身売りで合法的に仕入れられますので、一人ぐらい差し上げても痛くも痒くもありませんよ」
背後で水兵たちがざわめいている。
「どういうこった?」
「こいつは何が言いたいんだ?」
鈍い連中だな。
しかしテルゼン提督だけは口をへの字に曲げてうなずいた。
「ふん、『出荷先』の開拓に来たという訳か」
「はい。提督の御慧眼、誠に恐れ入りましてございます」
恭しく頭を下げる。
テルゼン提督は髭を撫でつつ、不機嫌そうな顔をしている。
だがあれは彼の感情を表しているものではなく、おそらくは彼のスタイルだ。不機嫌そうな態度で周囲を威圧するための仮面だろう。
だから気にしない。
さて、営業トークしなきゃ。
「シャオユンターサには貧しい農民たちが大勢おり、娘を身売りする者が跡を絶ちません。一家まとめて飢え死にするよりは全員が生き残れる道を……ということなのでしょう」
俺は胸を痛めている風を装って、わざとらしく首を振ってみせる。
「愚かな奴隷商人たちは買った娘をそのまま売り飛ばしてしまいますが、私どもは違います。芸事や知識を学ばせて奴隷としての価値を高め、買われた先でも良い待遇を受けられるようにします。十タオズの奴隷を百人売るより、千タオズの奴隷を一人売る方が楽ですから」
長口上を述べてから、テルゼン提督の顔をチラリと見る。
提督は髭を撫でつつ、小さくうなずく。
「ふむ……。確かに奴隷を逃がさないように百人も運ぶのは難儀だが、一人ならたやすい。教育された奴隷ならそうそう逃げんだろうしな」
お、興味持った? 弊社の人身売買ビジネスをぜひとも御検討ください。
前世では複雑怪奇な業界の慣習と自社規則と法律と世間の目に愛想笑いをしながら心を磨り減らして仕事をしていたが、まさかその経験が役に立つとは思わなかったよ。
「はい。ですが価値ある奴隷となりますと、売り先もよく吟味せねばなりません。テルゼン提督閣下なら安心だと思い、下見もかねて……」
そのとき、テルゼン提督が腰の拳銃を抜いた。
「あっ!?」
ユギ大尉が身構えるが、俺は片手で制する。
「落ち着きなさい。商談中です」
テルゼン提督は俺の胸元に銃口を突きつけつつ、淡々と告げてくる。
「商談は終わりだ。その取引に興味はない。お前にもな」
俺、ここで死ぬのかな……。
死ぬとしてもボロを出すのはまずい。身元が割れると最悪の結果になる。
だったら最後の最後まで「シャオ商人のウォン」として死のう。
俺はやれやれといった態度で溜息をつき、口調を変える。
「まだ『二つめ』の話が残っておりますよ。それとも、閣下が皇帝になる話などに興味はございませんか?」
「なに?」
テルゼン提督が驚いた顔をする。予想通りだ。
この勝負、俺がもらったぞ。
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