第26話 番狂わせの夜②

 俺は胸元に突きつけられた銃口を完全に無視すると、テルゼン提督の顔を正面から見据える。



「閣下が禁薬の密輸で財をなしたこと、そしてそれが皇帝に露見したこと。私の主は全てをお見通しでございます。その上でテルゼン提督に力をお貸しすべきか見てくるように私に命じたのですよ。取引に足る器なのかと」



 媚びへつらうような笑みを捨てると、俺は扇子をシャッと開いて冷たい笑みに切り替えた。

「私はただの走狗。ここで私が死んだところで、私の主にはいささかの痛痒にもなりますまい」



「ならば答えろ。お前の主は誰だ?」

 テルゼン提督は俺に銃を向けたままだが、質問したということは撃つ気がないということだ。俺は勝利を確信する。



「正統帝国の皇帝を最も疎ましく思っているシャオ人といえば、もうおわかりでしょう?」

「まさか……シャオ王か!?」

 そうなの? 俺は知らないけど、そういうことならそれでもいいかな……。



 もうどうしたらいいのかわからんので、相手の反応を見ながらアドリブで対応する。

 俺は扇子で口元を隠したまま、余裕たっぷりの態度で攻めていく。もちろん余裕なんか全然ない。必死だ。


「私が何を申し上げたところで提督は信じますまい。ですが、今から申し上げることは正真正銘の真実。近いうちに、ゼラーン湾で提督の艦隊に勝てる者はいなくなります。艦砲の射程が三倍に伸びるからです」



「三倍だと!? 馬鹿な! 適当なことを抜かすと撃ち殺すぞ!」

 常識外れの数字だよな。俺もそう思う。

 だが本当のことなんだよ。



 俺は扇子をくるりと返した。

 扇子の裏面に記されているのは、砲弾の設計図だ。交渉の切り札として用意しておいた。

「これはシャオユンターサが開発中の新型砲弾。細部の数字は消してありますが、正真正銘の最高機密です。閣下以外にはお話しできません」



「お前を拷問して聞き出すこともできるんだぞ?」

 安い脅しに俺はクックックと笑ってみせる。

「それは良いお考えです。私は臆病者ゆえ、拷問されれば何でも話すでしょう。ただ……」



 俺は扇子をパチリと閉じる。

「あいにくと私は鉄と火のことは何も知りません。知らないから遣わされたのです。拷問されても知らないことは話せませんよ。苦し紛れに適当なことは言うでしょうが」



 無言のまま銃を構えているテルゼン提督。

 ここで俺を撃つような男なら、どのみち皇帝を脅かすようなことはないだろう。俺たちは死ぬが、儀礼大隊の他のみんなはとりあえず安泰だ。



 どれぐらいの時間が経ったのかわからないが、やがてテルゼン提督は銃口を下に向けた。

「小生意気な若造だが、そこが気に入った。俺にだけ聞こえるように話せ」

「はい」

 俺は一礼し、それからクリミネ少尉や水兵たちを振り向いた。



「もう少し下がってください。私が妙な真似をしたら遠慮無く撃って構いませんから、とにかく私の声が聞こえない位置に」

 いかにも重大な秘密であるかのように、俺は真顔で重々しくそう言った。



 彼らが少し下がったのを確認してから提督に二歩ほど近づき、扇子を恭しく差し出す。

「砲弾をドングリ型にして、表面に螺旋状の溝を刻むのです。これによって砲弾は回転し、従来よりも直進して飛ぶようになります。飛距離は増しますし、命中精度も格段に高まります」



「たったこれだけでか?」

「お疑いならこの図面を元に、銃弾で実験してみてはいかがです? 拳銃でも大砲でも原理は同じですから、海軍工廠で製造できるでしょう」

「ふん……」



 この時代の銃や大砲の内部はつるんとしていて、ライフル銃のような溝は刻まれていない。そのため弾道が安定しない。

 これは現代の散弾銃も同様で、一粒弾(スラグ)を使ってもライフル銃ほどの飛距離と命中精度は期待できない。同じ銃といっても全くの別物だと聞いた。



 だが一粒弾にライフリングを刻むことで、飛距離と命中精度は向上するそうだ。

 もちろんライフル銃ほどの性能は期待できないだろうが、通常の一粒弾を撃つよりはよっぽどマシらしい。



 俺は銃に詳しい訳ではないので記憶違いがあるかもしれないが、どのみちテルゼン提督がこの知識を活用する機会はないだろう。

 最初の試作品が完成する前に死んでもらうからだ。

 だから問題ない。



 テルゼン提督は扇子を受け取ったが、猜疑心の塊のような顔をして図面を見ている。

「これが本当だとすれば、お前は無償で異国の者に軍事機密を渡したことになる。理屈が合わん」

 腐っても提督だけあって、ちゃんと考えてるな。



「ああ、ちゃんと算盤は合っておりますので御心配なく。砲弾に溝を刻むのは、あくまでも応急的な改修でございます。砲身側に溝を刻んだものが本命でして、射程が三倍になるのはそちらの方ですよ」



 俺はそう答え、さらに続ける。

「砲身内部に溝を刻んだ最新砲は、我が国で既に生産を開始しております。一部をそちらにお売りしますので、不足分はこの砲弾で補ってください」

「これで皇帝と一戦交えろというつもりか?」



「どのようにお使いになるかは提督のお考えひとつ。我々は売った大砲で撃たれなければ、それで良いのです。現皇帝に売れば撃たれるのは我々かもしれませんが、提督なら先に撃つべき相手がおありでしょう?」



 テルゼン提督はしばらく考えていたが、やがて銃をホルスターにしまった。

「なるほど、皇帝ではなく俺に売り込みに来た理由も納得できた。確かに俺にはシャオ人どもと争う理由がない。皇帝にはあるかもしれんがな」

 交渉成立かな?



 俺は元のソファに戻り、ゆったりと腰掛ける。

 それを見てテルゼン提督は水兵たちに声をかけた。

「そいつは今から俺の客人だ。粗相のないようにしろ」

「はっ!」

 水兵たちが銃を下ろす。まあ大丈夫だろうとは思っていたが、正直ホッとした。



 テルゼン提督はグラスにブランデーを注ぐと、それを乱暴に差し出した。

「新型砲の代金は奴隷貿易で稼いでこいということか。どうせそちらでも一儲けするつもりなのだろう。シャオ商人らしい抜け目のなさだ」



「そこまでお見通しとは恐れ入りました」

 俺はシャオ風の所作で恭しく拝礼し、グラスを受け取る。頭はどれだけ下げても減らないから便利だ。



「儲けさせていただくぶん、提督にも良い思いをしていただきますよ。シャオ交易商のことわざにも『遠き友こそ真の友』と申しますから」

 本拠地から遠くにいる協力者は交易商にとって重要だ。ちなみに今考えたことわざだ。



 さて、これでテルゼン提督の懐に潜り込めた。俺の仕事はここまでだ。

 後はユギ大尉が隙をみてテルゼン提督を始末してくれるだろう。彼女は組み技の達人だ。どんな体勢からでも相手を絞め殺すことができる。



「ありがとうございます、提督。ではお近づきの印に、こちらの踊り子を……」

 俺がチャイナドレスのユギ大尉を示すと、テルゼン提督は意外にも首を横に振った。

「いや、この女は結構だ。それよりも」



 彼はごつい指でクリミネ少尉を差した。

「そっちの女をもらおうか」

「えっ、私!?」

 クリミネ少尉が硬直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る