第23話 偽りの微笑みで③
こうして俺たち三人は、帝国海軍南方艦隊司令テルゼン提督の暗殺計画を着々と進めていった。
といっても専従なのは俺とクリミネ少尉の二人だけなので、準備にはずいぶん手間がかかった。ユギ大尉には中隊長としての仕事がある。
あまり多くの人員を動かすと外部に察知される恐れがあるし、大隊内部に内通者がいる可能性もある。秘密を知る者は少ない方がいい。
たった二人で準備を整えているうちに、季節は早春から初夏へと移ろいつつあった。
「おい、そろそろ実行しないと上が納得せんぞ」
大隊長がぼやきに来たので、俺はぼやき返す。
「仕方ないでしょう。軍の指揮系統を通さずに外部を迂回して工作しているので、情報ひとつ集めるのに何倍も時間がかかるんです」
「すまん、それは私の力不足だ」
大隊長は素直に認める。こういうところがこの人のいいところだ。
「皇帝とテルゼン提督の不和が海軍の知るところとなり、海軍全体に妙な空気が流れている。他の提督たちはテルゼン提督を公然と非難しているものの、他艦隊の艦長クラスの中には、テルゼン提督に共感する者もいるようだ」
俺は苦笑する。
「他の提督はテルゼン提督を失脚させたいんでしょう。海軍の総意はテルゼン提督寄りかもしれませんね」
「お前もそう思うか?」
「海軍は長年にわたって冷遇されてきましたし、陸軍や帝室に対する対抗心もありますから」
初期の海軍将校は海賊上がりの胡散臭い連中が多かったと聞く。今は海軍士官学校を卒業したエリートばかりだが、陸軍とは空気が違うらしい。皇帝もしょせんは「陸(おか)の人」なのだ。
大隊長は俺の机に手をついた。尻を載せると俺が文句を言うからだ。
そして俺に顔を近づけてくる。
「さて、この状況でお前はどうする?」
「ユギ大尉を無料でテルゼン提督に差し出します」
「んん?」
眼鏡がずり落ちるところを初めて見た。
「フォンクト中尉、ちゃんと順を追って説明しろ」
めんどくさいな……。
* *
「めんどくさくなってきたな」
俺が思わずつぶやくと、隣にいた女性が首を傾げる。
「なんか言った?」
「いや、なんでもありませんよ」
俺は微笑みながら、ワインのボトルを手に取った。
「さあ、お飲みなさい」
「わぁ、ありがとーございまーす!」
艶やかなドレスをまとった若い女性は、嬉しそうにグラスを傾ける。
ボトル一本が庶民の年収を超えるという、そこそこお高いワインだ。確かに味はいいけど、値段を考えると素直に楽しめない。
だが俺はそんな気持ちは表に出さず、丸いサングラスをキュッと押さえる。
「せっかくですから、あと二~三人ほど女の子を呼べませんかね? 座っているだけでいいですよ」
「うわー、お客さん羽振りがいいですね!」
いやほんと、儀礼大隊の予算がなかったらこんなこと絶対できないよ。今夜の分だけで俺の月収ぐらいは使ってる。
もちろん俺は平然としている。
「遊ぶときには、きちんと遊びませんと。こんな良いお店と素敵なお嬢さんには、もっとお支払いしたい」
「えへへ、照れる……。じゃあちょっと聞いてきますね」
女性が立ち上がる。
俺はふうっと溜息をついた。
キツい。
周囲を見回すと、薄暗い店内のあちこちに酔客と美女たちの姿が見える。
前世にもこういうお店があったと聞くが、行ったことは一度もない。死ぬまで行くことはないだろうと思っていたし、実際そうだった。
だというのに、死んでから行く羽目になるとは。異世界転生は驚くことばかりだ。
それにしても居心地悪い。
なにもかもユギ大尉のせいだ。
『まずはテルゼン提督の縄張りで金の匂いを振りまき、向こうが接触してくるのを待ちましょう。フォンクト中尉は遊び方が綺麗ですから、すぐに噂になりますよ』
『えっ!? 中尉殿、そういうお店に行ったことあるんですか!?』
『ある訳ないだろ!? 俺たちの安月給でどうやって行くんだ!?』
『ですが、マイネン中尉はときどき行ってたみたいですよ?』
マジかよあの野郎。だが俺を一度も誘わなかったのは慧眼だ。あいつはやっぱり、俺のことをよくわかっていたんだな。
ユギ大尉が苦笑する。
『ええと、説明を続けてもいいですか?』
『はい、申し訳ありません』
『後は海軍の下士官や将校たちにお酒を奢ったりして、親しくなってください。相手の懐に潜り込むのは得意ですよね?』
どっちかというと人見知りする方なんですけど……。
『得意ですよね?』
有無を言わせない笑みだった。
怖い。
以上、回想終わり。もう思い出したくもない。
確かに俺は他の客と違い、お店の女の子には指一本触れていない。酒場を変えながら毎晩現れ、大金を払って淡々と酒を飲むだけだ。
ちなみに俺の背後には、クリミネ少尉が立っている。俺たちは「シャオ大朝国から来た変な金持ちと、その付き人」という設定で夜の港町に繰り出しているのだ。
ユギ大尉は「商品」なので、ここにはいない。腕っ節が頼りになるからいて欲しかったんだが、まあ仕方ない。
ふと振り返ると、クリミネ少尉が俺をジト目で睨んでいた。
「お上手ですね、『旦那様』」
無数の銃剣を突きつけられているような威圧感がある。俺が何をしたっていうんだ。
クリミネ少尉はわざとらしく溜息をつく。
「本当にこういうお店、来たことなかったんですか?」
「初めてだよ。興味もない」
俺はワイングラスを傾け、極上の美酒をちびりと舐める。
「高い酒を楽しむときには一人がいい。安い酒なら男友達と飲むのがいい。どちらにしても美女は不要だ」
「じゃあ私、『旦那様』とは一生飲めないじゃないですか」
自分が美女だという自覚はあるんだな。確かに美人だけど。
俺は苦笑してみせる。
「『お前』と飲むなら茶がいいな」
クリミネ少尉の顔がパッと明るくなる。
「それってもしかして、生涯添い遂……」
「物凄い絡み酒だと聞いているぞ」
その瞬間、また物凄い仏頂面に戻った。
「あーへいへい。そうですよ、絡みますよ」
やっぱりそうなんだ……。大隊長が「クリミネ少尉と酒を飲むなら覚悟しておけ」と言っていたのは事実らしい。
絡み酒の人とはあんまり飲みたくないな。前世の職場にも酒癖の悪い先輩が複数いて、俺はとうとう酒の匂いを受け付けなくなってしまった。
トラウマを克服し、酒好きに戻れたのは転生してからだ。
俺はもう一口、ワインをちびりと飲む。甘くて香り高くて、スッと喉を滑り落ちていく。
「確かに美味いな」
保存技術や流通の未発達なこの世界で、こんなに美味いワインが飲めるなんて思わなかった。とんでもなく高いのも納得がいく。
のんびりとワインを味わいたいところだが、そこにさっきの女性が戻ってきた。
「空いてる子みんな連れてきちゃったけどいい?」
四……いや五人いる。年齢も容姿もいろいろだから、本当に根こそぎ動員をかけてきたらしい。
俺は薄く笑いながら、彼女たちをソファに招く。
「構いませんよ。適当に座って好きな酒を飲んでください」
「ありがとうございまーす!」
ああ、職場の飲み会を思い出す……。
あとクリミネ少尉は俺を睨むのをやめなさい。
これも考えがあってのことだから勘弁してくれ。
しばらくすると、酒場の入り口で酔っ払いの声が聞こえてきた。
「ネエちゃんが一人もいないってのは、どういうことなんだ!?」
「すみません、もうみんなお客さんについてまして」
振り返ると、黒服の店員が船乗りっぽい連中をなだめていた。ナイフやマスケット拳銃をベルトに差していて、ちょっと物騒な雰囲気だ。
海軍では民間の船乗りを私服のままで水兵として雇うから、あれが水兵かどうかはわからない。ただ酒場に来るときでも武装しているのは、軍人でなければ海賊だろう。
そのうちに船乗りの一人が俺に気づく。
「おい、あそこで五……六……七人も侍らせてる外国人がいるぞ」
クリミネ少尉もカウントされてる気がする。
「なんだクソ、ふざけやがって」
「ありゃシャオ人か?」
すかさず俺は彼らに声をかける。
「あんたたちは船乗りのようだが、今はどこの船に?」
「ああん? ここの海軍だよ、海軍!」
本当かな? まあいい、海軍だっていうのなら声をかけてみよう。
「こっちに来て一緒に飲まないか? 美女もこんなにいるぞ?」
演技とはいえ、こういうのなんか嫌だな……。仕事だから仕方ないけど。
彼らは顔を見合わせていたが、やがてぞろぞろこっちに歩いてきた。
「あんた変な格好だな! もしかしてシャオ人か!?」
声がデカい。職業柄かな。
「いかにも、あんたらがシャオ大朝国と呼んでる国さ。俺たちシャオ人はシャオユンターサと呼んでるがね。俺のことは『正直者のウォンさん』と呼んでくれ」
ユギ大尉の話だと、シャオ人は帝国風の呼び方をあまり好まないらしいので、わざわざ訂正しておく。
偽名は普段の偽名である「フォンクト」と響きを似せておいた。仕事柄、偽名がどんどん増える。
「ま、それはいい。こっちに来て好きな子と話せよ。酒代は俺の奢りでいい」
「おう、えらく気前がいいな!」
だから声デカいって。
俺はサングラスをちょっとずらし、苦笑してみせた。
「シャオユンターサ風に女の子たちを呼べるだけ呼んでみたんだが、考えてみたら俺の船には『大砲』は一門しか積んでないんだ」
どっと笑う船乗りたち。
「おいおい、そんな船じゃ海賊に襲われちまうぞ!」
「じゃあお前、二門積んでるのかよ?」
「バカ言え、だが俺のは攻城砲だぜ!」
下ネタが受けるんだよな……。
クリミネ少尉がドン引きして俺を見ているが、ここでボロを出す訳にはいかないので軽く手を振っておく。ああ嫌だ、後でまたネチネチいびられるぞ。胃が痛くなってきた。
俺は船乗りが愛飲する糖蜜酒のボトルを手にして、ニコリと笑う。
「では俺たちの『大砲』が今宵轟くことを願って、乾杯といこう」
俺はやらないけどな。
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