第22話 偽りの微笑みで②
* *
正統帝国の海軍は陸軍の一部隊として発足し、当初は沿岸警備と海賊退治を主任務としていた。
……と、士官学校で習った。
やがて艦隊決戦や洋上からの砲撃などもするようになり、数十年前に海軍として独立した。そのため規模は小さく、組織としても新しい。
帝都には海軍司令部の支部があり、陸軍や外交通商部との連絡調整を担当している。
その支部に変な軍医がやってきた。
まあ俺なんだが。
「どうも、陸軍軍医のロキソン・ボルターレン中尉相当官と申します。内科をやっております」
俺は『表の顔』で名乗りつつ、往診鞄をごそごそ漁る。
「はあ……」
支部の下士官たちが怪訝そうな顔をしているが、俺は気にしない。
「地中の瘴気をご存じですかな? 縦穴には有毒な瘴気が溜まっていることがありまして、入った者を絶命させるのです」
「いえ……」
事務方の下士官たちは困惑しきっているが、なんせこっちが中尉相当官だから追い返すこともできずにいる。事前に調べておいたが、今日は将校が会議と出張で全員不在だ。
俺はなおも往診鞄をごそごそやりつつ、一方的にしゃべりまくる。
「その瘴気にやられた工兵中尉を治療したのですが、薬石効無く亡くなりましてな。まあ人の生死というものはままならぬものなので仕方ないのですが、この御仁が地図を託されまして」
「あの、それが海軍とどういう関係が?」
「おお、それなのです!」
俺は借り物の眼鏡をクイクイやりつつ、下士官の一人に詰め寄る。
「この工兵中尉、海軍測量局から精密地図の複製を借りたそうでして。ご存じの通り、精密地図といえば軍事機密。必ず返却せねばなりません。……確かそうでしたな?」
「あ、はい。そうです。ですが海軍が陸軍に……」
下士官の発言をさえぎって、俺はまくしたてる。
「本来ならば測量局まで出向いて返却せねばならんのですが、どの支局で借りたのかわからんのです。私も原隊を長々と留守にしておけません。今回はたまたま帝都に所用がありましたので、返却に参上した次第です」
ちなみにこのしゃべり方は、前世の俺の担当教官を真似している。博識で凄い教授だったが、話はメチャクチャ長かった。
案の定、下士官は弱り切っている。他の下士官たちは関わり合いになるのを嫌がって、書類とにらめっこを始めた。
「な、なるほど、用向きは承知しました。しかし困りましたね、ここは海軍測量局とはあまり関係がなくて」
「勝手を申し上げて恐縮ですが、この後も往診がありましてな。私が持ち歩いていても良いことは何もありませんので、とにかくお返ししたい」
「それはわかるんですが」
余計な仕事を増やされたくない下士官は嫌そうにしているが、地図となれば軽く扱う訳にもいかない。渋々うなずいた。
「と、とりあえず地図を見せてもらえますか?」
「こちらです」
俺は折りたたまれてしわくちゃになった地図を取り出す。これは陸軍測量局の精密地図で、カヴァラフ地方の山奥にある湖畔が精密に記されている。
当然、下士官は困惑した。
「これ、どこの地図ですか……」
「私もよくわからんのです。地図の見方などさっぱりでして」
実際には歩兵科将校として士官学校でしごかれたので、ざっと見るだけで地形を頭に思い浮かべるぐらいはできる。
でも帝国軍の軍医は軍人ではなく軍属の内科医や外科医なので、そういった訓練は受けていない。
だから「内科医のロキソン・ボルターレン」はとぼけておく。
下士官は困った様子で、地図に記された地名を指でなぞっている。
「うーん、どこの港だ?」
港じゃないよ。
「ちょっと待ってください。地図の台帳で確認します」
下士官が書類棚のひとつに歩み寄り、「四号機密」と記された段から分厚い帳簿を引っ張り出す。なるほど、あそこか。
警備もユルユルだし、夜中にこっそり閲覧するぐらいなら簡単そうだな。
「あー……めんどくさいな」
この下士官にとっては、俺が持ってきた地図など面倒の種でしかないだろう。
だが民生用の地図と違い、精密な測量地図は軍事機密だ。取り扱いを間違えると降格どころでは済まない可能性がある。
「なんだこりゃ、本当に見つからんぞ……」
内陸部の地図は海軍のデータにはない。陸軍が優越性を維持するために独占しているからだ。
だからどれだけ照会しても一致する地図はない。
そうとは知らない下士官は、難しい顔をして分厚い台帳とにらめっこしている。
「この地図、どれもこれも聞いたことがない地名だし、どの地図とも海岸線が一致しないぞ……」
海岸じゃないからなあ。
俺は知らん顔をしつつ、往診鞄を閉める。
「では私はこれで」
「いや待って、待ってください。これがウチの地図かどうか確認しないことには預かれません」
「そう言われましても、私も患者から預かっただけなのでこれ以上は」
「すぐに調べますから」
ここで俺は手助けを申し出る。
「一致する地名を探すだけなら私にもできそうです。手伝いましょうか?」
「ああ、じゃあお願いします」
ここまでのやり取りで警戒心を解いたのか、下士官は台帳の分冊を差し出した。
俺は分冊の中からゼラーン湾が記載されているものを選び、パラパラめくる。あった。
下士官たちがこちらを見ていないことを確かめてから、懐から紙片を取り出す。こちらも陸軍の測量地図だが、ゼラーン湾周辺だけを切り抜いたものだ。
陸軍の知るゼラーン湾と、海軍の知るゼラーン湾。
二つの地図が俺の前にある。
「うーむ、どれどれ……」
「地図、汚さないでくださいよ?」
「瀕死の患者だと思って丁重に扱いますとも」
この国、もう瀕死だからな。
さてと……。
俺は二つの地図を見比べる。職場の近くにあったファミレスの間違い探しゲームを思い出すな。結局、最後まで見つけられなかったっけ。
こっちは簡単そうだ。
お、あったぞ。
俺の予想通り、両者にはほんのわずかに差異があった。わずかだが決定的な差異だ。持ってきた地図の方に印を入れておく。
さて、用は済んだから帰ろう。
俺は下士官にのんびりと声をかける。
「ところでこの地図台帳、海辺のものばかりですな」
「そりゃ海軍ですから……」
すかさず俺は首を傾げてみせた。
「そうなると、これは海軍の地図ではないのかもしれませんな。件の工兵中尉は内陸での任務中だったと聞いておりますので、湖の地図かもしれません」
「ああ、もしそうなら陸軍の管轄ですね。湖には海軍がいませんから」
下士官はホッとしたような顔をしてこちらを振り向く。
「とりあえず陸軍測量局に照会してみては?」
「そうですな、患者も今際の際に陸軍と海軍を間違えたのかもしれません。先に陸軍をあたってみましょう」
「そうですね、それがいい」
面倒事を回避できそうな流れになってきたので、下士官はそそくさと台帳を片付けはじめた。
俺は持ってきた地図を再び折りたたむと、往診鞄に突っ込む。
「お忙しいところすみませんな。お手数をおかけしました」
「いえいえ」
めんどくさい軍医が帰ってくれるので下士官はやたらと愛想がいい。
俺もにこやかに笑いながら廊下に出て、海軍司令部支部のドアをそっと閉じた。
調べておいて正解だったな。危険を冒した価値はあった。
急いで戻ろう。これは追加の調査が必要だ。
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