第21話 偽りの微笑みで①
海軍南方艦隊司令、テルゼン提督の暗殺。
ただの首切り役人には少々荷の重い仕事だ。
とはいえ、やらなければならない。
「さすがに資料は綺麗に揃っているな」
クリミネ少尉がユギ中隊長にメイクをしてくれるらしいので、俺は自分の執務室で資料をチェックしていた。
大隊長が用意してくれた資料は、大きく分けて三種類。
ひとつめは、テルゼン提督の個人情報。
ふたつめが、南方艦隊の規模や能力について。
最後が、艦隊拠点のゼラーン湾の地理だ。
テルゼン提督は貴族将校だが、実家は南部の小領主で家格も低い。要するに成り上がり者だ。
海賊退治や密輸の摘発で着実に実績を積み上げ、海軍内部での派閥闘争にも勝利して提督の座を獲得した。
……ということになっている。
「『テルゼン提督が派閥闘争に勝てた最大の要因は、豊富な資金力と推定される』……か。密輸で得た資金力だろうな」
密輸の摘発をしつつ、自分が密輸をして稼いでいた訳だ。商売敵を潰せるし、軍人としての実績にもなる。狡猾な男だ。
麾下の南方艦隊は現在、航路の警備と南方諸島の反乱鎮圧を主任務としている。そのため艦隊はいくつかの小艦隊に分けられ、輪番で各地に派遣されている状態らしい。平時の運用だな。
「後はゼラーン湾の地理か……細かい数字まで載ってるな」
俺は資料を読み、それから出典の欄をチェックする。前世の癖だ。
「陸軍測量局港湾管理課の内部資料?」
儀礼大隊は陸軍だから当然か。下手に海軍測量局に問い合わせると、テルゼン提督の耳に入る可能性が高い。
それにしても、よく部外秘の資料を引っ張ってこれたな。大隊長怖い。
「うーん……」
俺は微妙に不安を感じて腕組みする。
陸軍と海軍。
測量。
「これはちょっと引っかかるな」
そうつぶやいたとき、ドアがノックされていきなり開いた。
「入りますよ、フォンクト中尉」
「もう入ってるじゃないです……うわぁ」
俺はユギ中隊長の姿を見て思わず声をあげてしまった。
だってそりゃそうだろう。普段は黒い軍服の連中がうろうろしている殺風景な場所に、チャイナドレス風の美しい踊り子が降臨したんだから。
「本当にユギ中隊長殿ですか?」
「声でわかりませんか?」
「わかりますが、あまりにも印象が違いすぎて……」
ユギ中隊長の目尻や唇は化粧で強調され、普段以上に艶めかしい。
さらに長い黒髪を結い上げて、肌も露わなチャイナドレスを着ている。どこの世界にもこういうのが好きな人はいるから、最終的に同じものが出てくるらしい。俺も大好きだ。
不自然なぐらいに胸元を強調する構造になっていて、視線が吸い寄せられる。そこから腰のラインに視線が導かれ、えげつない切れ込みのスリットから太ももへと視線が引っ張られる。
……これ、かなり意図的な視線誘導だな。
「中尉殿、鼻の下が伸びまくってますよ」
ユギ中隊長の背後から顔を覗かせたクリミネ少尉が、誇らしげかつ不満そうな顔をしている。なんだあの表情。
「クリミネ少尉、これ本当に貴官がやったのか?」
「ええまあ。実家を出ると自分で化粧しないといけなかったので、自然と覚えました」
貴族は化粧どころか着替えや入浴すら侍女任せだと聞いたことがあるが、軍人のクリミネ少尉はそうもいかないのだろう。
「あ、でも髪を結うのは普段やってないので見よう見まねです。もう少し練習しておきます。それと衣装ですけど、中隊長殿の私物なんで私のせいじゃありません」
「いや素晴らしいよ。本当に……」
眼福だと言いかけたが、俺は隙のない男なので素早く口を閉ざす。
しかしユギ中隊長はその……豊満だなあ。目のやり場に困るけど、任務と割り切ってちゃんと見ておく。
ユギ中隊長は微笑みながら腰をくねらせる。
「フォンクト中尉は気づいたようですが、この衣装は視線を胸から脚へと導くように作られています。視線が下に下がりきったところで攻撃すれば、真正面からでも奇襲が可能なんですよ。それに丸腰に見えますが、この状態でも暗器を複数隠し持っています」
「なるほど」
説明が頭に入ってこないが、確かに俺の視線は下がりきっていた。
俺は意思の力で視線を上に持ち上げると、何事もなかったような顔をして口を開く。
「これなら標的も警戒を解くでしょう。変装としては完璧だと思います」
「それなら安心しました」
艶然と微笑むユギ大尉。クリミネ少尉も微笑み、二人はうなずき合う。
「じゃあ、ここからはお楽しみタイムですね」
どういう……意味だろう? なんだか今日は仕事が非現実的すぎて思考が追いつかない。
するとクリミネ少尉が俺の左腕を取った。
「今度は奴隷商人の変装をしましょう」
「俺のことか? しかし……」
別にそっちはどうでも良くないか?
民間人に変装するのはときどきやってるし、外見を取り繕うよりも奴隷商人としての知識を仕入れる方が重要な気がする。
しかしユギ大尉が俺の右腕を取る。
「上官の私が恥を忍んでここまでしたんですから、フォンクト中尉も覚悟を決めてくださいね」
格闘術の達人であるユギ大尉に利き腕を取られてしまうと、もう逃げることはできない。過去に組み手でさんざんしごかれたので無駄な抵抗はしない主義だ。
「ではこれに着替えてくださいね」
机上に置かれた布包みがハラリと解かれた。
* *
「小官がこんな格好をする必要があるんですか?」
俺は姿見の前で困惑していた。
鏡に映っているのは、どこからどう見ても怪しい東洋風の男だ。
丸いサングラスに黒いパオを着ているだけでも怪しさ爆発なのに、このパオときたら竜の刺繍入りだ。どこで売ってるんだ、こんなもん。
そしてユギ大尉がニコニコ笑っている。
「それはシャオ大朝国の民族衣装です」
「なるほど」
でもこれ、堅気の人は着ませんよね?
俺はパオの裾をつまんで溜息をついたが、直属上官の命令では逆らえない。
「私たちの髪色や顔立ちはシャオ人に似ていますから、はるばるシャオ大朝国から来たことにしましょう。この程度の変装でも帝国人には見分けがつきませんよ」
やっぱりこの世界にも東洋風の国があるんだな。和風じゃなくて中華風だが。
「ただフォンクト中尉の顔はどう見ても善人ですから、その黒眼鏡で隠します」
「他に方法はなかったんですかね……」
「大丈夫、ちゃんと悪人に見えますよ」
嬉しくないです。
でもユギ大尉とクリミネ少尉は嬉しそうだ。
「中尉殿ってこういう衣装も似合いますよね!」
「ええ、本当によくお似合いで」
だから嬉しくないんですってば。
「フォンクト中尉、これもどうぞ」
ユギ大尉から扇子を渡されたので、シャッと開いて顔の下半分を隠してみせる。小道具を渡されると何か面白いことをしなきゃと思うのだが、これはたぶん前世の影響だ。
「いかがです?」
「うわぁ……これは効く……」
クリミネ少尉が額を押さえてのけぞる一方、ユギ大尉は不思議そうな顔をした。
「帝国の男性は階層を問わず扇子を使いませんが、ずいぶん手慣れているのですね?」
「これぐらいなら見よう見まねでどうにでもなります」
無難にごまかしておく。そういえば正統帝国では貴婦人しか使ってないから、この仕草は女性特有のものだ。
しかしこれでこの世界にも東洋文化があることがわかったし、ユギ大尉がそれに詳しいこともわかった。もう少しいろいろ聞いてみたいな。
「中隊長殿、偽装するからには徹底的にやりましょう。シャオ大朝国についてもっと教えてください」
「ええ、いいですよ。それにしても意外と乗り気なので驚きました。フォンクト中尉は真面目ですから、嫌がると期待……いえ懸念していたのですが」
今なんて言った?
この人、俺を玩具にしてないか?
クリミネ少尉がクスクス笑う。
「もしかしてその格好、気に入りました?」
そういう訳じゃないんだけど。
俺はいつも意地悪ばかり言う生意気な後輩に、扇子越しにニヤリと笑いかける。
「そうだな、貴官も売り飛ばしてしまおうか?」
「はっ……はぃ……」
軽い冗談のつもりだったが、クリミネ少尉は消え入るような声でうつむいてしまった。
ごめん、悪ふざけが過ぎたようだ。非合法な人身売買が実際に横行している国だと、この冗談は悪質だな。気をつけよう。
ふと振り返ると、ユギ大尉が苦笑している。
「貴官は本当に悪い男ですねえ」
「申し訳ありません、小官が軽率でした。改めます」
「いえ、改めなくていいので私にもしてください」
俺はこの人が何を言っているのかわからないのだが……。
とりあえず俺は扇子で顔の下半分を隠して、ユギ大尉に問う。
「ところで中隊長殿」
「なんですか?」
「今回の任務で気になることがありますので、『表の顔』で軽く調査したいのですが」
「あら、じゃあまた小道具を貸しましょうね」
やけにニコニコしながらユギ大尉がうなずいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます