第20話 戻れない道へ②

 ユギ大尉は大隊長室の会議机に地図を広げる。

「テルゼン提督は南方艦隊司令という立場上、南方艦隊の母港があるゼラーン湾周辺の海域を拠点にしています。この一帯は交易の要衝でもあります」



 交易の要衝に艦隊を持っている人物が密輸を始めたら、そりゃ儲かるだろうな。

「ただ、船というのはあっちこっちに移動しますから、湾内のどこにいるかは誰にもわかりません。旗艦に座乗しているかもしれませんし、母港の艦隊司令部にいるかもしれませんし、別の船で出かけているかもしれません」



 人工衛星どころか航空機すら存在しない時代なので、船の機動力は空を飛んでるのに等しい。沖合に出られたら捕捉できない。厄介な相手だ。

 ユギ大尉は困ったような顔をしている。



「目の前に連れてきてくれたら、一瞬で息の根を止めてみせる自信はあるのですが……」

 この人怖いよ。いや、処刑部隊の中隊長としてはこれでいいのか。

 俺にはそんな芸当はできないが、上官の悩みを解決することはできるかもしれない。



「テルゼン提督は密輸の元締めでもあります。そちらから攻めてみては?」

「ああ、では私たちも何か密輸してみましょうか。どんな武器がいいですか?」

「いえ、武器はやめておきましょう。かさばりますし、数が必要ですから」



 暗器ならひとつあれば十分だが、兵器はひとつあっても意味がない。

 俺はどう説明するか悩んだが、めんどくさいので軍人らしくストレートに言うことにした。



「中隊長殿を密輸します」

「はい?」

 きょとんと目を丸くするユギ大尉。

 後ろで大隊長がクックックと楽しそうに笑っている。あっちは俺の意図をお見通しのようだ。



「いいぞ、さすがはフォンクト中尉だ。続けてくれ」

「はい、大隊長殿」

 俺は説明を続けることにする。



「禁薬の密輸が帝室によって潰された以上、テルゼン提督は新たな収入源を確保せねばなりません。帝室と和解するにしても、逆に反乱を起こすにしても、莫大な資金が必要です。ですが禁薬以上に儲かる商品はそうそうありません」



 宝石や香辛料もそれなりに儲かるだろうが、合法な商品は旨みが少ない。競争相手が多数いると市場原理が機能する。暴利を貪るには物足りない。

 艦隊を動かせるテルゼン提督にとっては、やはり違法な商品の密輸が一番「おいしい」はずだ。



「正統帝国では取引が違法で、しかも航路での密輸に旨みがある商品といえば、やはり人間でしょう」



 大隊長がうなずく。

「確かにな。陸路では時間がかかり過ぎるし、逃亡の恐れもある」



「幸い、中隊長殿は美人ですし、外見からは武人だとわかりません。もっと別の人材として売り込めば、テルゼン提督に接近できるかもしれません」



 すると中隊長がニコッと笑った。

「ああ、つまり夜伽用の愛玩奴隷として寝所に潜り込む訳ですね」

 まあそうなんだけど、俺がいろいろ配慮したのが完全に無駄になったな。言葉選ぶのに苦労したのに。

 ていうか、なんであんなに嬉しそうなの。



 そこにクリミネ少尉が口を挟む。

「南部では闇市場での人身売買が盛んですから、テルゼン提督は既に手を出しているかもしれませんね。ゼラーン湾には遠方のカルダハルやシャオ大朝国からも『商品』が運ばれてくるそうです」

 南部の闇市場に詳しい準貴族の令嬢って何者なんだ。



 俺は考え込む。

「となると、商品に付加価値をつけないといけないな。ただの美人では弱い」

「ただの美人ですって」

 ユギ大尉が嬉しそうにクリミネ少尉の肩を揺さぶっている。クリミネ少尉が脳震盪を起こさないか心配だ。



 そのクリミネ少尉がさらに言う。

「付加価値でしたら、お化粧でお姫様っぽくできますけど……」

「貴官が?」

「はい」



「待て、貴官が化粧してるのを見たことないぞ」

「何言ってるんですか、化粧は普段からしてますよ」

 知らなかった。あまりにも自然なので……いや待て待て。



「『ユオ・ネヴィルネル』に変装したときはメイク落としてただろ?」

「はい、さすがに」

 違いがわからん……。

 俺が困惑していると、女性陣がヒソヒソやりはじめた。



「見たか、クリミネ少尉。男なんてこんなものだ」

「ええ~? フォンクト中尉殿なら気づいてると思ったんですが」

「クリミネ少尉のお化粧が上手だからですよ」

 居心地が悪い。



 仕方ないので素直に謝罪する。

「鈍感ですまない。クリミネ少尉は元々の顔立ちが整っているから、俺では気づけないようだ」

 謝罪ってこんな感じでいいんだろうか。わからん。



 またヒソヒソ話が始まる。

「聞きましたか、大隊長殿」

「取り繕い方としては悪くない方だ。だが油断するな、さりげなく顔を褒めてきたぞ」

「はい、そういうところが中尉殿っぽいんですよね……」

 やっぱり居心地が悪い。



 クリミネ少尉は俺に向き直ると、ニコッと笑う。

「中尉殿」

「なにかな」

「整っているというと、具体的にどのようなところがですか?」

 えー……?



 俺は助けを求めるように大隊長と中隊長の顔を見たが、二人とも難しい顔をして書類を読んでいた。そんな書類いつ出した。

 どうやら孤立無援らしいので、俺はクリミネ少尉の顔をじっと見つめる。



 ……困ったな。



 俺は顔の造形よりも表情に魅力を感じるので、あんまり笑ってくれないクリミネ少尉には少し苦手意識がある。

 顔をまじまじと見ているとなんだか文句を言われそうだし、観察が足りなかったのは事実だろう。



 とはいえ、この場をうまく切り抜けないと任務にまで支障が出かねない。戦友との信頼関係は何よりも重要だ。

 負けるな俺。二回分の人生経験を生かせ。



「こうして改めて見てみると、貴官は眼が綺麗だな」

「そ、そうですか?」

「『ユオ・ネヴィルネル』に変装していたとき、万が一に備えて顔にも泥を塗っていただろう?」



 あのときは頭から袋を被せて偽装していたが、誰かが袋を取った場合も考えて顔にも偽装を施していた。俺が手伝ったので覚えている。

「あのときは間違いなく化粧を落としていたはずだが、それでも貴官の美しいまなざしは隠しようがなかった。あれは間違いなく生来のものだな」



 クリミネ少尉はちょっと落ち着かない様子で、上目遣いに俺をチラリと見る。

「続けてください」

 なんで少尉が中尉に命令してるの。いやまあ同僚だからこれぐらいいいけどさ。



「あと顔立ちとは直接関係ないが、貴官の黒髪は艶やかすぎて困ったな。本当は灰を溶いた水で汚してボサボサにする予定だったんだが、どうしてもできなくて結局そのままにしてしまった。あれじゃ一発でバレてしまう」



 クリミネ少尉が驚いたような顔をする。

「あれ、そうだったんですか?」

「中途半端な仕事をしてしまったと反省しているが、後悔はしていない。あれは無理だ」



 この辺りの甘さが軍人として致命的な気がする。任務よりも重要なものを持っている者は任務を達成できない。かもしれない。



「あと、貴官はうなじが綺麗だな。先日、準貴族の夫婦に偽装したときに驚いたよ。詰襟の軍服もいいが、ドレスが似合う。これも化粧とは関係ないが」

「うなじ……ドレス……」

「そんな目で見るな。続けろと言ったのは貴官だぞ」



 クリミネ少尉は骨格そのものが美しいので、皮膚の薄い部分に美が集約されている。骨格フェチであり筋肉フェチである俺にとっては、ちょっとまぶしい存在だ。

 言うとセクハラになりそうだから言わないけど。



 するとクリミネ少尉は何度か小さくうなずいた後、ニコッと笑った。

「許します」

「ありがとう」

 許された。



 すかさず大隊長がコホンと咳払いをする。

「やっと済んだか。では動け」

「はっ」

 俺たち三人は敬礼した。

 ……いや、任務受領前にこんなやり取りは必要ないよね?

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