第40話 亡霊街道⑤
騎馬伝令の言葉に俺は驚く。
「ペンデルタイン要塞? ここからさらに先だな。貴官はペンデルタイン要塞の騎兵か?」
「はい! そこで大隊長殿がお待ちです」
「わかった、御苦労」
伝令は帰って報告するのも仕事のうちなので、あれこれ質問せずにさっさと命令書を読む。
読んだらだいたい事情がわかった。
「なるほど、ここの検問所はビュホー軍医で十分だな」
要するに「ここで検問をしている」という状態が大事なようだ。それだけでユオ・ネヴィルネルはこの街道を通ることを躊躇する。
逆に言えばそれだけでいいようなので、ここで特に張り切る必要はなかったらしい。
俺が危惧していた通り、完全に余計な真似をしてしまったようだ。
「命令を受領した。クリミネ少尉を伴い、ただちにペンデルタイン要塞に向かう」
「はっ! そのようにお伝えします! では!」
シュッと敬礼すると、伝令は慣れた動作で軍馬にまたがる。
伝令に軽い答礼を返して見送り、俺はすぐにクリミネ少尉を呼んだ。
「クリミネ少尉! ここの検問はビュホー軍医殿にお任せする! 行くぞ!」
「あっ、旅行の続きですか?」
身体検査用の天幕から顔を覗かせたクリミネ少尉が嬉しそうにしているので、俺は申し訳ない気持ちで首を横に振る。
「すまない、大隊長命令でペンデルタイン要塞に行くことになった」
「え~……」
ものすごく渋い顔をしているクリミネ少尉。ジト目で睨まれているが、これは完全に俺が悪い。
「すまん。本当にすまない」
「そんなに謝られると、文句が言いづらいじゃないですか」
「いや、俺が全面的に悪いから」
するとさっき一緒だった中高年の戦列歩兵たちがニヤニヤしている。
「若いってのはいいですなあ、中尉殿」
「そういうのは見ないふりをするのが年の功というものだろ?」
「ははは、確かに! 失礼いたしました!」
前世分も入れたら俺も同じぐらいの歳だと思うが、そんなことは誰も知らないのでいつもこうなる。
溜め息をつきつつ、俺はここからの最善手を考える。
「俺は大隊長命令でここを離れるが、検問は行列の長さを意識するように。長くなりそうなら軽く済ませていいが、行列が完全になくならないように調整してくれ」
下士官たちが敬礼する。
「了解いたしました。では検問していることを見せるようにすればよろしいのですな?」
「そういうことだ。理解が早くて助かる」
やはり兵卒も下士官もベテランは使いやすい。
彼らに任せておけば大丈夫そうだが、念のためにビュホー軍医にも伝えておく。
「軍医殿」
「なんだい?」
緊張感の全くない、ユルユルのビュホー軍医が別の天幕から顔を出す。本当に書類書いてた?
「小官とクリミネ少尉は、大隊長命令でペンデルタイン要塞に向かいます」
「えーっ、行っちゃうのかい?」
「下士官たちには必要なことを伝えておきましたので、後は彼らの指示に従ってください」
「それじゃあべこべだよ。ま、その方がうまく回るだろうけどね」
ビュホー軍医も自分の得意不得意はわかっているので、すんなりうなずいてくれた。変人ではあるが、扱いにくい人物ではない。
彼女はどことなく誇らしげな顔をして、俺の顔をまじまじと見つめている。
「結局この検問所は大して重要な場所じゃないんだろうね。だから僕に任せたし、君みたいな精鋭は大隊長に呼ばれる訳だ」
「大袈裟ですよ。人手が足りないだけです」
「いやいや、ぼかぁ嬉しいよ。僕は君の熱烈な信奉者だからね」
どうだか。
どこまで本気かわからないビュホー軍医に、俺は苦笑してみせる。
「では軍医殿の期待を裏切らないよう、しっかり働いてきますよ」
それから俺はビュホー軍医の耳元で、そっとささやく。
「かなり危険な事態が進行しているようです。下士官たちが撤収を進言したら、必ず採用してください」
「ひゃっ!? えっ? あ、うん! 下士官たちの言う通りにするよ!」
急にオドオドしてどうしたんだ。この変わり者の軍医殿でも、やっぱりこういう任務は不安なのか。
「大丈夫ですよ、この戦友を信じてください」
「ああ、うん! 信じるとも!」
なんかいつもより声がでかいな。元気になってくれたのならよかった。
そこにクリミネ少尉がやってきたので、ビュホー軍医は慌てて彼女の後ろに隠れた。
「どうしたんですか、軍医殿?」
「君の上官は本当に悪いヤツだよ。下着が濡れてしまった」
「はい?」
呪いの人形みたいな動作でギギギギとこちらを振り向くクリミネ少尉。笑っているのに目が怖い。
「中尉殿?」
「なにかな……」
俺が何かしたみたいになってるの、どう考えてもおかしいと思う。
ビュホー軍医が慌てて口を挟んできた。
「いや、決して指や舌を入れられたとかじゃないよ? 言葉だけでね?」
「それはさぞかし、素敵な言葉をささやかれたのでしょうね」
なんで修羅場みたいになってるんだ。こんなことしてる場合じゃないだろ。
クリミネ少尉には道中で説明することにして、俺は軽く咳払いをする。
「大隊長命令を先延ばしにはできない。行こう、クリミネ少尉」
「わかりましたけど……」
「『けど』は不要だ」
「わかりました」
ふくれっつらでクリミネ少尉が敬礼し、俺はどうにかこの場を後にすることができた。
おいマイネン、お前が殉職するからだぞ……。
* *
ペンデルタイン要塞は帝都防衛の要衝となっている要塞のひとつで、北部に向かう街道の近くにある。カヴァラフ地方に向かうときも、ここの近くを通った。
「相変わらずでっかい要塞ですね、中尉殿」
「ああ、費用と資材を考えると眩暈がするな」
「私の実家が廃城を買い取ったんですけど、これより小さいのに補修に十年かかったんですよ。購入価格より高くついちゃって」
「そうか……」
なんか異世界の話してるな。いやここ異世界だった。
この時代の戦争は戦列歩兵や騎兵を並べて突撃させるので、堅牢な城壁に守られて大砲を並べた要塞は難攻不落そのものだ。
攻城砲を持ち込まないとまず陥落させられないが、もちろん簡単な話ではない。
「ペンダルタイン要塞は近世初期の要塞で、最大の特徴は火砲に対する防御を想定した城壁になっていることだ。従来の弓矢や投石器と違い、砲弾は威力がある上に低伸する」
「中尉殿、そのお話って長くなりますか?」
クリミネ少尉も軍人だから要塞談義ぐらい付き合ってくれるかと思ったが、やっぱり準貴族のお嬢様だから興味がないらしい。
俺は軽く咳払いする。
「それなら短くまとめよう。あの要塞は純粋に軍事用の拠点だ。俺たちみたいな首切り役人とは毛色が違う」
「私たちって軍人ですけど、戦争しませんもんね」
「そうだ。ちょっと苦手な雰囲気だな」
俺はだんだん近づいてくる黒々とした偉容を見つめながら、嫌な胸騒ぎを感じていた。
あんなところに俺たちを呼び出して、大隊長は何をさせるつもりなんだろう。
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