第58話 小夜啼鳥の声⑤

 俺はクリミネ少尉の実兄にして大富豪ディネス家の嫡男でもあるポルハルトイ氏と、気まずいお茶会をしていた。

 周囲に従僕たちが大勢いて給仕をしてくれるが、それすら威圧感がある。

 だがクリミネ少尉に似た顔立ちのポルハルトイは、さっきからずっと柔らかい笑顔だ。



「ロキソンさんのお勤めはどちらですか?」

「陸軍第五師団第二歩兵大隊本部です。内科なので兵たちからは『お前は来るな』と不評でして」



「外科の方が人気なんですか」

 ほほうという顔をしているポルハルトイに、俺はしかめっ面を作ってうなずいてみせる。



「まあ内科では負傷兵の治療はできませんからな。とはいえ兵舎というのは病気が流行りやすい環境でして、熱が出ればすぐに薬を貰いに来ます。余れば売ってやろうという魂胆らしい。そのせいか仮病も多いのですよ」



 仕事のことになると多弁だが、他の話題には乏しい人物。それが「ロキソン・ボルターレン」という内科医だ。

 だから茶菓子や茶器の話題など出されても会話を広げるような発言はせず、仕事一筋の退屈な男を演じる。そうしろとビュホー軍医から厳命されている。



『君は軍医らしくないねえ。そんなに人当たりが良くて笑顔が素敵なのは、貴族のお抱え医者ぐらいだよ。彼らはパトロンの御機嫌取りも仕事のうちだからね』

『普通にしてるだけなんですが……』

『自覚がないんだから改めようもないねえ。とにかく慎みたまえよ』



 などといったやり取りがあり、俺は気をつけて演技を続ける。

 外科のビュホー軍医によると、この世界の内科医は「退屈で窮屈で鬱屈した連中」らしい。

 我が帝国では医師といえば内科医のことで、外科医は助手みたいな扱いなのだが、外科と内科の対立に俺を巻き込まないでほしい。



 ポルハルトイはふむふむとうなずく。

「当家にもお抱えの内科医たちがおりますが、ロキソンさんはカコル学派ですか、それともニネット学派ですか?」

 あー、なんか医者の派閥があるらしいんだよな……。



「私の恩師はニネット学派でしたが、実際はもっと古いコシュペランザ学派の生き残りでして。教わった医術もコシュペランザ学派のものが混ざっております」

 完全に本職になりすますのはどのみち無理なので、廃れた古い学派も混ざっていることにする。これで言い逃れの余地ができるという訳だ。



「まあ、医学は日進月歩ですからな。学派が異なっていても有効な治療法が発見されれば飛びつきますので、学派間の差異は次第に埋まっていくでしょう。学派の手法にこだわって患者を死なせては意味がありません」



 なお、どこの学派もまだまだ手探りの段階で、「細菌」や「免疫」に相当する言葉がまだ存在しない。当然、「滅菌」も「消毒」も存在しないから、そういう手順もない。異世界怖すぎる。

 俺がビュホー軍医から借りた医学書も記述が間違いだらけだったが、間違っているのを覚えないといけないのがだいぶ苦痛だった。

 


「なるほど、そういうものですか」

 俺の話を興味深そうに聞く姿勢を完璧に保ったまま、ポルハルトイがうなずく。退屈そうな素振りを微塵も見せないのはさすがだ。



 それから彼は卓上に置かれていた薬瓶を手に取った。

「進歩した医学で、私も健康を保ちたいものです。ちょっと失礼」

「おや、それは?」

 内科医という設定なので無視もできず、とりあえず聞いてみる俺。



 すると彼は瓶の蓋を開けながら、笑顔でこう言った。

「強心剤ですよ。父が心臓を強くしてくれると勧めてくれましたので」

「医師が処方したものですか?」

「いえ、自作しました」



 俺は慌てて彼の手を押さえた。

「待ちなさい。いえ、待ってください」

 ポルハルトイがびっくりした顔をしているので、俺は慌てて問う。



「これはもしかして、ジギタリスか夾竹桃の強心剤ではありませんか?」

「ええ、そうです。ジギタリスですよ。ちょうど裏庭に生えていたので」

 ジギタリスはこの世界でも強心剤の材料として一般的だ。



 ジギタリスや夾竹桃に含まれる……なんとかいうヤツは毒性も高い。なんだったっけ。忘れた。

 実はユギ中隊長がやたらとジギタリス推しで、例のグリーエン卿を毒殺するときにも「ジギタリスと夾竹桃ならいいのがありますよ、使いませんか」と熱心に勧めてきた。

 あれなんだったんだろうな。おかげで詳しくなったけど。



「生薬は生息地や時期によって効き目が大きく変化します。特にジギタリスの生薬は量を間違えると容易に死に至ります。まずは主治医に相談を」



 俺はそう説明しつつ、これが危険であることは理解していた。さっきから会話の流れが不自然だ。彼は俺が本当に医者かどうか試そうとしている。

 ポルハルトイの表情は本当に驚いていて、俺の反応は予想していなかったという顔だ。



 そう。この世界ではまだジギタリスの成分が心臓にどう作用するのか解明されていない。心臓の弱った人に飲ませると効く、ということしかわかっていない。

 おそらく「体にいいものだから飲めば飲むほど健康になる」ぐらいの認識しかないだろう。



 だが俺は知っている。ジギタリスは薬として作用する量と、毒として作用する量が近い。軽い気持ちで一口飲んだら、そのまま死んでしまう可能性があった。

 どんな理由があれ、クリミネ少尉の家族を死なせたくない。



 俺が真剣な目で訴えると、ポルハルトイはうなずいて瓶に蓋をした。

「わかりました。おっしゃるとおりにします」

「それと万人に効く薬というものはありません。体格や症状に応じて匙加減が必要になるのが薬というものです。食材として用いられない薬草を安易に口に入れてはいけません」



 後のことはもう知らないが、俺は人として忠告したからな。絶対に飲むなよ。

 俺が腰を下ろすと、ポルハルトイは俺をじっと見つめた。

「驚きました。本当に医者にしか見えません」

「本当に医者ですからな」



 ああ、これバレてるな……。ちらりとクリミネ少尉を見ると、やはり表情が強張っていた。

「兄様、ロキソンさんに失礼ですよ」

「そうだね、ガバデリ」

「その名で呼ばないで」

「すまん、妹よ」



 コホンと咳払いをしてから、ポルハルトイは俺に言う。

「帝室儀礼大隊のフォンクト中尉、ですね?」



 その瞬間、給仕をしていた従僕たちが一斉に俺に向き直った。そのまま流れるような動作で、懐や袖口から短い警棒を音もなく取り出す。

 丈夫な革袋に砂を詰めた、ブラックジャックと呼ばれる隠し武器だ。外傷を与えずにノックアウトできる。相当できる連中だな。

 こっちは丸腰だ。勝ち目がない。



 ドレスのクリミネ少尉が立ち上がる。

「兄様!?」

「座りなさい。お前が帝室儀礼大隊にいることは父上から聞いた。驚いたよ」

 もう全部バレちゃってる感じか。



「これは何事ですかな。私はロキソン・ボルターレンです」

「申し訳ありません。ですが『小夜啼鳥』といえばおわかりになるかと思います」

 なるほど、ユオの差し金か。



 おそらくユオはあのとき、送迎の馬車からクリミネ少尉の実家を読み取ったのだろう。そして得意の懐柔工作でディネス家を丸め込んだ。

 俺たちは自分から敵の罠に飛び込んでしまったという訳だ。



 ポルハルトイがカマをかけているだけという可能性もあるが、名前まで割れているとなるともう無理だろうな。

 まあでも正直に答えてやる義理はない。

「わかりませんな」

 俺がそう答えると、ポルハルトイは暗い表情になる。



「正直、私にはあなたが本物の内科医にしか見えませんでした。さっきのジギタリスの薬も作り話です。あなたは自分が試されていることに気づいていましたが、それでも医師としての本分を貫きました」

「ふむ、用心深いのは大変良いことです。しかし、人を試すのは良くありませんな」



 尻尾をつかませないように正論だけ言っておく。ポルハルトイはつらそうだ。

「あなたを拘束してネヴィルネルさんの元に連れていくよう命じられています。妹の表情からも、何か隠し事をしているのはわかりました」



 クリミネ少尉の表情はわかりづらいが、さすがに家族だと読み取れてしまうらしい。

「どのみち、私の判断では何も変えられません。ですがあなたは妹の婚約者、義理の弟になるかもしれない人だ。万が一のことがあっては……」



 なんだか気の毒になってきちゃったな。

 クリミネ少尉が俺の腕にひしっとしがみつき、目で訴えかけてくる。君もそう思うか。

 では明かそう。



「ポルハルトイさん、どうかお気になさらずに。あなたは何も間違っていない」

 俺は眼鏡を外し、武装した従僕たちに囲まれたまま脚を組んだ。

「私は帝室儀礼大隊第三中隊副隊長のフォンクト中尉だ。職務上、外部に所属を明かす訳にはいかなかったので表の顔を使わせてもらった。許してほしい」



 俺があっさりと正体を明かしたので、ポルハルトイは唖然としている。いい顔だな。

「だがそれ以外に嘘はついていない。私はガバデリ……痛い、わかったから腕をつねるな。リーシャ・クリミネの婚約者だ」

「ほ、本当に恋人同士なのか? 本当に!?」

 そうなんだよ。なっちゃったんだよ、恋人に。



 俺はにっこり笑い、冷めた紅茶を一口飲んだ。

「妹の表情を見るといい」

 クリミネ少尉は今、戦う乙女の顔をしていた。愛する誰かのために命がけで戦う顔だ。



「そんな……ああ、なんてことだ。すまない、ガバデリ……」

 絶句するポルハルトイを尻目に、俺はクリミネ少尉に笑いかける。

「今回は俺が囚われの身らしい。だが兄上を恨むなよ。良い子にしていろ」

「中尉殿!」



 俺はクリミネ少尉の頬に手を触れ、その耳元にキスするふりをしながら囁いた。

「ふたつめの箱を使え」

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