第42話 戦友の絆①
俺はペンデルタイン要塞の城壁の上を歩きながら、隣を歩くクリミネ少尉に声をかける。
「またユオ・ネヴィルネルを捕まえなきゃいけなくなったな」
「そうですね、次から次へと……」
休暇を取り消されて仕事に駆り出されたクリミネ少尉は、明らかにげんなりした様子だ。
悪いことしちゃったなと思いつつも、俺は彼女に語りかける。
「休暇を潰してしまったのは俺の失敗だが、この件は無視できない。休暇は再申請するから、今はユオ・ネヴィルネル逮捕に全力を尽くそう」
するとクリミネ少尉は軽く額を押さえた。
「いえ、もしかすると大隊長は中尉殿をこの件に深入りさせたくなかったから、この時期にわざわざ休暇を与えたんじゃないかなって……」
「なぜそう思うんだ?」
呆れたような顔をするクリミネ少尉。
「もしかして中尉殿、こないだ尾行されたの忘れたんですか?」
「覚えてるよ」
だからこそ、この件には他人事ではいられない。
しかしクリミネ少尉は違う意見のようで、首を横に振った。
「この件にあんまり深入りしていると、ユオ・ネヴィルネルを利用しようとしている反皇帝派に命を狙われますよ」
「それはあるかもしれないが、もともと恨みを買いやすい仕事だ。慣れてるよ」
「慣れたらダメです。もっと慎重になってください」
なんだかずいぶん心配してくれてるなあ。もしかしてそんなに嫌われてなかったりする?
いやいや、俺は厚意と好意の区別が下手だからな。前世でもそれで勘違いして大恥をかいたことがある。
なんとなく違和感を覚えて、俺はクリミネ少尉に質問した。
「もしかして貴官、大隊長から何か命じられていないか?」
「えっ?」
ギクリとした表情をして、その場に固まるクリミネ少尉。
俺はため息をついた。
「……やっぱりか」
「えっ、なんでわかったんです?」
驚いた顔のクリミネ少尉に、俺は微笑んでみせた。
「それぐらいはわかるさ。俺は貴官の相棒だぞ」
大隊長のことだから、俺の安全に配慮してくれたんだろう。そうでもなければ、クリミネ少尉が俺の身を案じてくれるはずがない。
こんな風に、厚意を好意と解釈してしまうと悲劇が起きる。だから俺はどっちかわからないときは必ず厚意だと思うことにしている。そうすれば悲劇は起きない。
考えてみれば、クリミネ少尉が俺に好意を持つ理由がないからな。異性としても上官としても俺は魅力的じゃない。
「苦労をかけてすまないな。大隊長には俺の心配なんかしなくていいと言っておく」
俺が苦笑しながらそう言うと、クリミネ少尉は固まったままぽつりと言う。
「どうしていつもそうなんですか……」
あれ? なんか怒ってる? これ怒ってるよね?
どこだ、どこで間違えたんだ。
軍隊なんて階級で上下関係が厳格に決まるから面倒がなくていいだろうと思っていたけど、人間の集団なんてそんな単純なものじゃない。今もこうして年下の女性部下の機嫌ひとつで右往左往している。
「それだけ洞察力があるくせに、みんなから心配されてることにはどうして気づかないんです?」
それを貴官に言われたくないんだが? 君もたいがい鈍感だぞ?
とは思うが、なんとなく言い返せない雰囲気なので、俺は黙ってしまう。なんせ根っからの臆病者だ。
「そんなに心配されてるのか?」
「当たり前です。大隊長殿が中尉殿に今回の任務を与えたのも、たぶん休暇をあげても首を突っ込んじゃうからでしょう。だったら任務を与えて行動を把握しておいた方が安全です」
そうかな……そうかも……。すみません。
クリミネ少尉は空気の読めない人間だと思われがちだが、少なくともバカではない。バカだったら士官学校を卒業できないし、大隊長がうちに連れてくることもない。
どっちかというと洞察力が鋭くて余計なことを言うタイプなので、彼女のこの分析は信じた方がよさそうだ。
「ちなみに大隊長は貴官にどんな命令をしたんだ?」
「中尉殿の性欲処理をしろって」
「言ってないよな?」
「言ってました」
真顔で言われた。ええ……これ判断が難しい。信じていいの?
するとクリミネ少尉は悩んだ様子を見せつつ、まっすぐに俺を見上げた。
「私は中尉殿に死んでほしくないんです。もし中尉殿が死なないといけないようなことがあれば、代わりに私が死にます」
完全に本気の目だった。
死の恐怖すら乗り越えた人間の目には、有無を言わせない力がある。
俺は処刑執行人として、そんな眼差しを何度も見てきた。
今のクリミネ少尉は、散っていった彼らと同じ目をしている。つまり本気だ。
俺は自分が死ぬ分には別に初めてじゃないしまあいいかと思っているが、クリミネ少尉が死ぬのは嫌だ。彼女が死んだら俺の心に消えない傷が残る。もしまた転生しても、その傷は消えないだろう。
だから俺はクリミネ少尉をなだめるため、こう言うしかなかった。
「落ち着け、少尉。見えない危険が迫っていることは俺も理解しているが、それで貴官が死ぬのは困る。これ以上、大事な仲間を失いたくない」
「本当ですか?」
猜疑心に満ちた視線を向けられて、俺は内心でドキドキする。覚悟を決めた人間の視線は銃口よりも威圧感があるから怖い。
「本当だ。だから死ぬな。もちろん俺も死ぬつもりはない」
これだけだと説得力に欠けると思った俺は、苦し紛れに同じ言葉を重ねる。
「だから一緒に生きよう、クリミネ少尉」
「えっ……」
驚いたような顔のクリミネ少尉。
その顔がみるみるうちに赤くなっていくのを見て、俺は自分の言葉を反芻した。
……うん、これだと告白の言葉みたいだな。またやらかした。
「いっしょに、ですか……?」
さっきまで苛立ちとも焦りともつかない感情を見せていたクリミネ少尉が、すっかりおとなしくなっている。
なあマイネン、こういうときの「正解」って何なんだ?
人当たりの良さが売りだった元相棒に問いかけてみるが、あいつはもうこの世にいない。
ただ、あいつが言いそうなことはわかった。
――そりゃお前、仲良くなりたいのならそう言えばいいだろ。回りくどいことすんなよ、フォンクト。
そうなのか。じゃあ信じるからな? 間違ってたらお前許さないぞ。
俺は呼吸を整え、クリミネ少尉に自分の気持ちを正直に伝える……のは怖いので、やや遠回しな表現をする。
「俺は正直、貴官に嫌われているんだと思っていたよ。なんせ俺は口うるさいし、危険なことばかりさせるし、歳もだいぶ離れているからな」
クリミネ少尉は顔を真っ赤にして、ちょっとうつむき加減に言う。
「そんなことはありません。私はフォンクト中尉殿のことが好きですよ」
この好きってどういうタイプの好きなのかな? マイネンの亡霊が確認しろ確認しろとうるさいが、慣れないことをしているから心の燃料がもうないんだ。
「それを聞いて安心したよ。そんな相棒の進言を無下にはできないな。今後は貴官の言葉を素直に聞くとしよう」
うつむいているクリミネ少尉の制帽がなんだか可愛らしかったので、俺は彼女の制帽にちょっとだけ触れてみた。
「ひゃっ!?」
「制帽が少しズレているな。お互い、身だしなみは整えておこう」
クリミネ少尉はすっかりおとなしくなり、微かに目を潤ませていた。なんか……なんかいい雰囲気になってないか? もしかして異性として好かれていたりするのか?
確信は持てないし、俺は前世でやらかしてしまったことが二度ほどあるので、三度目は慎重になる。
けどまあ、クリミネ少尉のことはしばらく気に掛けておこうかな。前世分も含めるとだいぶ歳が離れているから、どうしても遠慮しちゃうけど……。
「リーシャ・クリミネ少尉」
「は、はい」
緊張気味に顔を上げた年下の相棒に、俺はニコッと笑いかけた。
「もし俺の『制帽』がズレていたら、そのときは教えてくれ。必ず直すから」
「……はい。ありがとうございます、中尉殿」
滅多に見られないクリミネ少尉の微笑みは、ドキッとするほど美しかった。
結局何をどうしても、この子は俺の心に痕を残していくらしい。
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