第48話 亡霊狩り②

   *   *


「ずいぶん危ないことをなさいましたな」

 陸軍第三師団が守るペンデルタイン要塞の被服倉庫で、中年の男性将校が溜め息をついていた。

 ランタンの弱々しい光が一瞬、彼の階級章を照らす。主計科の大尉だ。



「すみません。私もそう思います」

 そう答えたのは儀礼大隊の制服を着た「ユオ・ネヴィルネル」だ。

 二人は積み上げられた木箱の陰に隠れるようにして、ひっそりと密談していた。



 主計科の大尉は腕組みをした。

「ここで貴女をお匿いするのにも限度があります。私が被服担当の主任とはいえ、あまり不自然なものを発注をすれば監査でバレてしまう」

「はい、この制服の入手にも苦労されたと聞いております」



 素直に頭を下げるユオ。親子ほども年齢が離れているので、まるで父親に説教される娘のようだ。

 だが主計科の大尉の態度はあくまでも畏まっており、ユオに敬意を示しているようだった。



「『上』からの指示で行動の自由度が最も高い儀礼大隊の制服を調達しましたが、儀礼大隊は全員が顔見知りのはずです。それを着て儀礼大隊の将校と会うのは危険すぎます」



 帝国軍では女性将校が部隊を預けられることはない。彼女たちの多くは皇后や皇女の護衛官を務めており、独立した行動はしない。

 ほぼ唯一の例外が儀礼大隊所属の女性将校だ。貴族女性の処刑執行などの任務があり、彼女たちが帝国各地を飛び回っていることが確認されている。



「それは承知しています。彼らがこの要塞に入るタイミングを狙い、うまく要塞に入ることはできましたが……」

「鉢合わせなさらぬようにと念を押したはずですぞ。要塞内の同志たちにも貴女がここにいることは教えていません。今は孤立無援とお考えください」



 決して非難する口調ではないが、大尉の声には疲労感があった。

「もし捕縛されれば貴女は死罪を免れません。そして……」

「私が死ねば、次の『ユオ・ネヴィルネル』が選ばれることになります。年齢と容姿が近く、弁が立つ者の中から」



「そうです。また新たな者に過酷な使命を背負わせることになる。結局誰かがやらねばならないのなら、苦難を味わう者は少ない方がマシでしょう」

 大尉が静かに言うと、ユオは微笑む。



「私が三人目でしたか?」

「四人目だと聞いております。一人目は処刑、二人目は失踪、三人目は粛清だと」

「怖いですね。私も粛清されるのでしょうか」



 言葉とは裏腹に、ユオは楽しげだった。

「それを危惧なさるのであれば、上の命令には従順に従うことです。彼らが何を考え、どこまで手を伸ばしているのか私にはわかりませんからな。それに……」

「それに?」



 大尉は一瞬言いよどんだが、照れながら答えた。

「貴女にも生き延びて幸せをつかんでもらいたいのです。うちの娘たちと同年代ですからな」

「ありがとうございます」



 ユオは丁寧に礼を言い、それから大尉をまっすぐ見つめる。

「危ない橋を渡りましたが、噂のフォンクト中尉とも接触できました」

「ああ、三代目の『ユオ・ネヴィルネル』を処刑した男ですな。といっても三代目のユオはあのとき既に粛清されていましたから、死んだ者をまた処刑したことになりますが」



 大尉は胸の前で手を組み、軽く祈りを捧げる。

「名も知らぬかの者に冥福あれ。それでフォンクト中尉はどのような人物でしたかな?」

 するとユオは頬に手を当て、困ったような顔をした。



「それが……どうにも不思議な方でした。間違いなく軍人なのですが、軍人らしくありません。物腰の穏やかなところは神官のようでもあり、計算高いところは商人のようでもあり、理路整然としているところは学者のようでもありました」



 ユオの言葉に大尉は首をかしげる。

「なるほど? まあ儀礼大隊は軍人というよりは役人、それも死刑執行専門の刑吏ですからな」

「そのせいなのでしょうか。敵であるはずなのに妙に安らぐ方でした。とても誠実そうに見えましたよ。つい油断して口が滑りそうになってしまいました」



 すると大尉が唸る。

「ふーむ。ユオ候補として集められた者たちの中でも屈指の切れ者と名高い貴女が、そこまで評価するとは珍しい。野暮なことを聞くようですが、決して見た目に惑わされたりはしておられませんな?」



「言われてみれば、見た目も良かったですね。とても清潔感がありましたから、さぞかしモテるのでしょう」

 ユオはクスッと笑う。



「まるで違う世界から現れたような、そんな不思議な印象を受けましたよ。以前に声をかけたときから気にはなっていたのですが、どこか特別な人間という感じがします。本当に平民なのでしょうか」

「私にはわかりかねますが、敵にあまり肩入れなさらぬことです。『上』のお歴々に知られると厄介ですぞ」



 大尉の渋い口調に対して、ユオは苦笑する。

「そうですね、気をつけましょう。ですがやはり、儀礼大隊は興味深い人材が多いですね」

「あそこの大隊長はカヴァラフ地方の反皇帝派に人脈がありますし、部下も曲者ぞろいですからな。近衛師団とは思えません」



 大尉は頭を掻いて眉間に皺を寄せる。

「かといって我々に共鳴することもなく、皇帝の飼い犬に成り下がっています。どうにも肚が読めん。ああいう連中は信用できませんよ」



「はい。ただフォンクト中尉は私がユオだと知った上で見逃してくれましたから、交渉の窓口にはなってくれそうです」

 ユオはそう言ったが、大尉は首を横に振る。



「それも早計かと。この要塞内で逃亡犯を逮捕すれば、この要塞の関係者が問責の対象になります。彼はそれを恐れたのでしょう」

「それはあると思いますが、それを差し引いてもなお興味深い御仁でした」



 大尉は白髪混じりの髪を撫で付けながら苦笑した。

「やれやれ、強情なお方だ。本当にお気に召したようですな。ですが今は逃亡中の身だということをお忘れなきように」

「はい、なんとかしてカヴァラフ地方まで逃げなくては……」



 ユオは真剣な口調で答え、それからこうつぶやく。

「旅楽士や巡礼者の服装は逃亡者の定番すぎて、もはや怪しまれるだけです。神官の服は調達できませんか?」



 大尉は首を横に振る。

「ここは軍隊ですからな。従軍神官たちの服なら神殿お抱えの職人から納入されていますが、女性の従軍神官はおりません。男装していただくしかございますまい」

「男装はすぐにバレてしまいます。その、こんな体形では」



 胸元をそっと押さえつつ、ユオは唇を噛む。

「後は行商人になるか、娼婦に化けるか……。いえ、娼婦だと脱いだときの傷跡でバレてしまいますね」

「行商人も難しいでしょう。女性一人で商品と売上金を持ち歩くことになります。あまりにも不自然ですよ」



 そう答えた大尉は、ふと首を傾げる。

「その軍服をお使いにはならないのですか?」

「フォンクト中尉と約束したのです。これは使わないと」



 大尉は目を細め、それから静かに諭した。

「貴女のその誠実さが人々の心を動かし、この短期間で多くの味方を得られたことは承知しております。ですが今は敵との約束を守る余裕はありません。今回だけはお使いなさい」



 ユオは目を閉じ、少し悩んでからうなずいた。

「そうですね……。次に会うことがあれば詫びるとしましょう。『借り』ひとつですね」

「律儀ですな。うちの娘たちにも見習わせたい」



 大尉は苦笑し、それから表情を引き締めた。

「くれぐれも油断なさらぬよう。衰えたとはいえ相手は帝室、永きにわたって玉座を一度も明け渡さなかった連中であることに変わりはありませんから」

「ええ。過去の栄光にすがる亡霊とはいえ、今はまだ彼らが支配者ですからね」



 ユオは目に闘志の輝きを宿しながら答える。

「私は死にません。生き延びて、帝国に巣食う亡霊を滅ぼします。それが顔も知らぬ両親への手向けになるでしょうから」

 そう言うと、彼女は軍服で隠された傷跡をそっと押さえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る