第12話 大隊長の溜息②
* *
帝室儀礼大隊の大隊長フィリア・ゲーエンバッハ少佐は、第三中隊所属のリーシャ・クリミネ少尉からの報告を受けていた。
「そこで小官は中尉殿のため、軍服を脱いで肌着を汚しました。無論、逃亡中の農民を装うためです。さらに縄で強めに縛っていただきました。これが大変良くて」
「私は何を聞かされているんだ」
フィリアは溜息をつき、前髪を掻き上げる。
「リーシャ。よく聞きなさい。私はお前の変態趣味の詳細が知りたい訳ではない。カヴァラフ地方での任務について、報告を求めているんだ」
リーシャは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「その報告ですが。どうせフォンクト中尉殿のことですから、この辺りは省略したのでしょう?」
「お前と違って彼には良識があるからな」
机に肘を突くと、フィリアはペンを置いた。
「それにしても偽装とはいえ首を吊るとは、お前もずいぶんやるようになったじゃないか」
「グリーエン卿との決闘のときに、だいぶ見苦しい姿を晒してしまったので……」
リーシャは深々と溜息をつく。
「フォンクト中尉殿に呆れられてないか心配だったので、今回は気合を入れてみました」
「気合を入れてくれたところ悪いんだけどな、あいつそういうの全く気にしてないぞ」
「気にしてくださいよ! なんなら本当に死ぬ覚悟してたんですよ!」
机をバンバン叩く小娘を眺めながら、フィリアは苦笑する。
「だがまあ少なくとも、フォンクト中尉はお前を見直しただろう。もう足手まとい扱いはされないはずだ。お前の覚悟は無駄じゃないさ」
「ですよね?」
期待の眼差しを向けられて、フィリアはスッと視線をそらした。必要のない嘘はつかない主義だ。
「さてと、お前たちの報告内容に食い違いはなかったから安心して良さそうだ。いつものことだが、お前たちの報告は信頼できるな。やってることはメチャクチャだが」
「そのメチャクチャを期待されてるんだと思ってましたけど」
「そうだよ。こういうことは第三中隊の中でも一部の者にしかできない。マイネン中尉を失ったのは痛恨だった」
フィリアは失った部下の笑顔を思い浮かべながら、心の中で冥福を祈る。
「お前は当面、フォンクト中尉の補佐を務めろ。お前単独では何をするにも危なすぎるし、フォンクト中尉が本領を発揮するには良き理解者が必要だ」
「はい、大隊長殿」
ぴしっと敬礼したリーシャは、そのまま真顔で言う。
「ではフォンクト中尉殿の補佐役として申し上げますが、あの方は独身のままの方が任務に適していると思われます」
「おいお前、また大隊長室前で盗み聞きしていたな」
溜息をつくフィリア。
「心配するな。『私がフォンクトさんと結婚するんだから、ママは絶対に結婚しちゃダメ』と厳命されている」
「ああ、お嬢さんが……」
リーシャが苦笑する。
「でも抜け駆けする気まんまんでしょう?」
「誰がするか。だいたいお前ら、あんな男のどこがいいんだ」
「仕事ができて頼りになって、温厚で真面目で顔が良くて、女子供に優しくて清潔感があって、それでいてどことなく放っておけないところです」
「どいつもこいつも」
不機嫌そうにそっぽを向くフィリア。
「私個人としては、あいつにはお前が一番合っていると思っている」
「大隊長殿、愛してます。結婚しましょう」
「私としてどうするんだ。あいつとしろ」
フィリアは机に突っ伏して、流れるような金髪をそこらじゅうに広げる。
「あーあ、私もお前ぐらいのときにああいう出会いがあればなー」
「嘆いても仕方ありませんよ。後のことは若い者に任せてください」
「私を年寄り扱いするな。こんなもん世間じゃまだ小娘の範疇だぞ」
リーシャが無言なので、フィリアはますます不機嫌になる。
「お前ムカつくな。お前も転属なんかするなよ。まともな部隊だと間違いなく虐待される」
「なんとなくそれは理解してます。なんででしょうね」
「言わなくていいことを言うし、言うべきことを言わないからだ。まあいい、お前に極秘任務を与えておく」
体を起こしたフィリアは真顔になった。
「今後はフォンクト中尉の身辺警護をしろ。私生活でもだ。必要なら恋人にでも妻にでもなれ」
「はっ」
即座に敬礼するリーシャに、フィリアは苦笑する。
「前回と今回の任務だけでも、彼はかなりの危険を冒している。今後はさらに危険を冒すことになるだろう。この大隊にもおそらく外部との内通者がいる。任務の内容が漏れれば、彼が暗殺や失脚工作を仕掛けられる可能性がある」
リーシャは納得した表情を浮かべる。
「それで私生活でも、ということですか」
「そうだ。あいつの全てに目を配れ。あいつが娼館に行くとも思えんが、もしそうなりそうならお前が『何とか』しろ」
「はっ」
やはり即座に敬礼するリーシャ。表情がニヤついていた。
「大隊長殿は話せますね」
「部下を守らん上官に何の価値があるんだ」
そう言ってから、フィリアはふと微笑む。
「もちろんお前はフォンクト中尉に守ってもらうといい。いや、既に守られているだろうな。あいつは女性士官のエスコートが得意だ」
「それは感じています。中尉殿と組むようになってから、他の将校から変なことをされなくなりました」
「だろ? あいつを近衛連隊本部に同行させると、私の尻や肩を撫で回すクソどもが寄りつかないんだ」
男尊女卑の風潮が根強い正統帝国において、女性士官は常に危険に晒されている。それは友軍しかいない後方部署でも変わらなかった。
「まったく、この正統帝国にはまともな男が少なすぎる。まるで近衛連隊本部の士官食堂みたいだ。数は多いのに選ぶ余地がない」
自身の暗い過去を吐息に乗せて吹き飛ばすと、フィリアは苦笑してみせた。
「そういう点では、死んだマイネンもなかなかの男ぶりだった。酒にしか興味がないせいで、上戸の私は不快な扱いを受けたことがなかったからな」
「そういえばそうですね。マイネン中尉殿の価値基準は『飲めるか飲めないか』でしたから。それはそれで人としてどうかと思いますけど」
一緒に苦笑いするリーシャ。彼女も上戸の部類だが、かなりの絡み酒なので第三中隊では恐れられている。
「何にせよ、女性将校に敬意を払える男性将校はそれだけで貴重だ。しっかり守り、そして守ってもらえ」
「はい、大隊長殿」
階級が絶対の軍隊ですら、女性の立場は低い。二人とも外では決して単独行動はしない。兵卒に襲われる可能性があるからだ。
「ところでお前にこんな命令をしたことを知ったら、私は娘に叱られるかな?」
「たぶん」
そのとたん、フィリアはまた机に突っ伏した。
「だってしょうがないだろう、ママはお仕事なんだからさあ……。お前の大事な『フォンクトさん』を守るためなんだから、わかってよぅ……」
「大丈夫ですよ、大隊長殿は何も間違ってませんよ」
リーシャはフィリアの金髪を優しく撫でた。
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