第7章 さよなら~前編~

第7章 さよなら~前編~ -1-

 短い秋が過ぎ去り、街はクリスマスモード。家の中だというのに白くなる吐息が、より寒さを際立たせる。「寒いから休みます」が通用する世界なら、子供も大人も幸せだろうけれど、そうは問屋が卸さないのが世の常だ。そういうわけで、手をこすり合わせ、たまに息を吐きかけて効果の薄い暖を取りつつ、優月は学校へ行く支度をしていた。


「カア。もうすぐ正月だナア。神棚きちんと掃除するんだゾ」


「まだクリスマスの時期だっていうのに、気が早いなあ」


 日本古来の神様にとっては、クリスマスなんていうイベントは関係ないのかもしれない。ローストチキンなんて出したら、共食いさせる気かと怒られるだろうか。


「じゃあ、行こうか」


「カア。仕方ないナア」


 定位置の優月の頭に、カっちゃんが下りてくる。いつもの光景だ。カっちゃんは、優月の登校時に一緒についてくる。そのおかげで、知り合い以外に出くわすことは無く、スムーズに通学できている。


「カア。こうやって見送るのハア、今年は今日で最後だナア」


 この日は終業式で、明日からは冬休み。つまり、カっちゃんの毎朝の付き添いルーティンは、本日を持って年内の活動を終了する予定だ。


「いつもありがとうね」


「カア。正月は高い酒を出すんダア」


「それは僕じゃなくて、母さんに頼まないと。未成年の僕は、お酒買ってあげられないから。帰ったらお願いしてみるよ」


「カア。絶対だゾ」


 行ってきますを言って、玄関を出た。柔らかくも眩しい朝日を浴びて、背伸びをする。背中にはボストンバッグ。これも、いつもの光景だ。門を出れば、そこには優月を待つ人影があった。


「宇良くん。おはよう」


「ああ。行こうぜ」


 文化祭以降、『いつもの光景』に新たに加わったのが、宇良だ。わざわざ優月の家にまで迎えに来て、一緒に登校するようになったのだ。付き合いたての学生カップルかよ、とツッコまれてしまいそうな光景だが、そんな甘々なアオハルストーリーではない。文化祭の日、他校の不良集団による襲撃事件を受けてから、優月の護衛を兼ねて登下校時は一緒に行動すると宇良が言い出したのだ。


 その前に、宇良は優月から距離を置こうとした。


 自分なんかと一緒にいるから、不良同士の争いに巻き込んでしまった。だから、優月は自分との交友関係を断った方が良い。そして、それまで通り、不良とは縁のない安全な学生生活を送ってほしい。宇良は優月にそう伝えた。


 優月は、生まれて初めて、本気で人をひっ叩いた。


 宇良の出した答えが、優月のことを考えているようで、優月の意志を全く無視したものだったから。二人で話し合って出した結論だったなら、文句はない。けれど、宇良が一人で勝手に考えて、勝手に出した結論で、それが優月に関わることなら、それは内容がどうであれ優月をのけ者にするのは間違いだ。


 一人で出した答えは、間違いに気づけない。だからこそ、信頼できる友人と結論を出さないといけない。それが、海幸彦が優月に残した教えだ。


「僕は、そんな理由で友達を裏切るほど腐った人間じゃない」


 ケンカは強くないけれど。自分ひとりじゃ困難を解決する力もないけれど。それでも、降りかかる災難を他人のせいにして逃げるような、下劣な品性を持った覚えはない。それが例え、宇良が呼びこんだ災難だとしてもだ。仮に、宇良に負けた腹いせに優月に暴力を振るう不良が現れたとしたら、悪いのはその不良であって宇良ではない。


 宇良は「悪かった」と謝罪して、なるべく一緒に行動すると申し出た。そんなわけで、一緒に登下校することになったのだった。といっても、カっちゃんがついていれば、その導きの神の力で、不良と遭遇することはないのだけれど。


「カア。吾輩の力があれバア、ならず者を避けられるんダア。護衛などいらないんダア」


 カっちゃんは自分の力を見くびられたようで不機嫌そうだったけれど。


「急に電柱が倒れて来ても、守ってやれるのか? 俺がいれば優月に当たる前にぶっ壊す」


「カア。こいつは本当に人間カア?」


 なんだかバトルアニメの主人公みたいなことを言う宇良は珍しいと思いつつ、そこまで守護神されるとちょっと居心地悪い。宇良はこんなに過保護な性格だっただろうか。


「隼人くんの方は大丈夫なの?」


「あいつも不良の端くれなら、ケンカくらいできる。自分で何とかするだろ」


 自分で何とかできなかったから、捕まって人質になったのだけれど……。そう言っても無駄な気がしたので、優月は思っただけで終わらせた。


 何事もなく学校に到着し、何事もなく終業式が終わり、何事もなく冬休みに突入することとなった。どれだけ心配して先を読んだところで、終わってみればこんなものだ。だいたいは取り越し苦労で過ぎていく。とっとと帰る人もいれば、クラスメイトとしばしの別れを惜しんで教室に残って談笑する人もいる。

 優月は前者で、翔太と宇良と三人で下校するところだ。


「優月とはバイトで会うけど、宇良とは休み明けだな。良いお年を!」


「ああ、そっちもな」


「さっそく明日バイトだぜ。優月もそうだよな? じゃあ、また明日な!」


 翔太はそう言って自転車を走らせて去っていった。


「宇良くんも、あれくらいでいいと思うよ」


 ずっと気を張っていたら疲れてしまうし、宇良の生活の中心が優月になってしまうのは、優月の望むところではない。心配してくれるのは嬉しいけれど、もう少し気楽に過ごしてほしい。


「迷惑ならやめるが、そうじゃないなら続ける。俺がそうしたいんだから、いいだろ」


 文化祭の日に優月が言った理屈を返されてしまった。そう言われたら、優月はノーとは言えないので、口をつぐむしかない。というわけで、帰りも一緒だ。


「カア。心配したところデエ、死ぬときは死ぬんダア」


「身も蓋もないこと言わないでよ」


 そりゃあそうかもしれないけれど、神も仏もあったもんじゃない。自称神様なのに。


「注意してりゃあ防げるモンだってあるんだ。気を付けるに越したことはないだろ。まあ、家の周りをうろついてたらただの不審者だし、冬休み中は来るのはやめとく。けど、本当に気を付けろよ」


 優月を家まで送り届けて、宇良は帰っていった。


「学校から家に着くまで誰にも会わなかったのに、心配しすぎだよね、宇良くん」


「カア。まるで保護者ダア。若いくせに老婆心カア」


 カっちゃんとそんな話をしながら、家の中に入った。


 このときに宇良の忠告をきちんと聞いていたら。もしかしたら、このあとの結末は違っていたのかもしれない。

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