第4章 神様にも理不尽はあるみたいです -5-


* * *


 神代かみよの昔のこと。

 日向ひゅうがの国(現在の宮崎県あたり)に、海や川での漁が得意なホデリと、山での猟が得意なホオリという兄弟がいた。

 海の幸を獲って生活していたホデリは海幸彦と呼ばれ、山の幸を狩って生活していたホオリは山幸彦と呼ばれていた。


 ある日のこと。山幸彦は兄の海幸彦に、お互いの仕事を交換しようと言い出した。当然、山幸彦は首を縦に振らない。仕事を交換するということは、それぞれの仕事道具――釣り道具と弓矢――を交換するということ。海幸彦にとって釣り竿は、自身の命と同じくらい大切なものだからだ。


 それでも山幸彦は引き下がらず、執拗にせがむので、とうとう海幸彦は根負けし、一日だけという条件で渋々承諾することにした。


 釣り道具を手に入れた山幸彦は、喜び勇んで海へと出かけて、早速釣り糸を垂らしてみた。いつ魚が釣れるかとわくわくしながら待ったものの、なにせ釣りなど初めてのこと。結局一匹も釣ることができなかった。それどころか、あれだけ兄が大切なものだと言っていた釣り針を、海の中へ落として失くしてしまったのだった。


 山幸彦が途方に暮れていると、そこへ海幸彦が現れた。弓矢など使ったことがなかった海幸彦も、やはり獲物を仕留めることはできなかった。


「海の幸も山の幸も、自分の道具でなければ得ることができないのだ。やはり元に戻そう」


 海幸彦にそう言われても、山幸彦は釣り針を失くしてしまったのだから、返したくても返せない。山幸彦は道具を落としてしまったことを正直に伝え、謝った。しかし、海幸彦はたいそう怒ってしまって、山幸彦がいくら謝っても許してはもらえなかった。海に戻って探してこいとまで言われてしまった。


 そうはいっても、この広大な海の中から、ひとつの釣り針を見つけ出すなどできるはずもない。そのため、山幸彦は自身が持っていた剣を潰して、何百個もの釣り針を作った。それを兄に渡して許してもらおうとしたが、所詮は素人が付け焼き刃でこしらえた程度の代物。そんなものがいくらあっても使い物にならず、


「元の釣り針でなくてはだめだ、貸したものを返せ。そうでなければ、許すことはできない」


と言われてしまって、山幸彦の申し出は受け入れてはもらえなかった。


 どうあっても許してもらえなかった山幸彦が、浜辺で涙を落として立ち尽くしていると、そこにおじいさんが現れて、何があったのかとわけを尋ねた。山幸彦が事情を話すと、おじいさんは言った。


「そういうことならば、海の中にある綿津見わたつみの宮殿へ行かれよ。そうすれば、海の神がそなたを助けてくれるはずだ」


 このおじいさんは、実は塩椎しおつちという名の、潮の流れを司る神であった。塩椎しおつち无間勝間まなしかつまの小舟を作って山幸彦を乗せると、海へと送り出した。しばらく潮の流れに運ばれると、塩椎しおつちが言っていた綿津見わたつみの宮殿に到着した。


 そこで、宮殿の主たる大綿津見おおわたつみの娘である豊玉毘売とよたまひめと出会い、恋に落ち、結婚し、宮殿で三年の間幸せに暮らした。


* * *


「ごめん、ちょっと待ってくれる? ツッコみたいことが多すぎてパンクしそう」


 物語が盛り上がっている途中で現実に引き戻してしまって、大変申し訳ないと思う。昔話の語りをぶった切るなんていう行為が失礼だというのも理解している。その上で、優月は口を挟ませてもらった。上機嫌で海幸山幸ものがたりを語っていたカっちゃんは不服そうだが、とりあえず言わせてほしい。


「あんたお兄さんの釣り針失くして怒られてるのに、海の宮殿で何してんのさ」


 人から借りたものを紛失したくせに、ちゃっかり結婚してちゃっかり幸せに暮らしました、めでたしめでたし――で納得できるかいな。


 山幸彦はばつが悪そうに苦笑いする。


「いやあ……釣り針探しに行ったの、すっかり忘れちゃってさ。トヨちゃんがあまりに可愛すぎて」


「惚気やめてくれる?」


優月の中での山幸彦に対する好感度がぐんぐん下がっていっていることなど気にも留めず、自分の奥さんがいかに美人かを熱弁している。そこだけ見ればよき夫なのかもしれないが、惚気れば惚気るほど「お前は何をしとるんや」という気持ちになってくる。元祖リア充め。


 それはともかく、優月は海幸彦に同情せずにはいられなかった。借りたものを返してもらえないという状況は、優月も海幸彦も同じだと感じたからだ。


「そもそも、なんでお兄さんが嫌がってるのに、お兄さんの大切な釣り道具を借りたの? 自分で釣り針作る技術があるなら、わざわざ道具を借りずに自分で作って、勝手に海釣りしたらよかったじゃない」


「それじゃ嫌なんだよ。ボクは兄さんがいつも使っている道具で釣りをしたかった。兄さんがあの道具を使って、海で魚を釣っている姿に憧れてたんだ。かっこよくて、たくましくて、ボクに無いものをたくさん持ってる。すぐに釣れなくてもじっと我慢しているところなんか、ボクには真似できないよ」


 そりゃあ、このじっとしていられなさそうな性格ではそうだよね――と口をついて出そうになったのを、優月は何とか堪えた。


「そう言ってもらえるのは嬉しくないこともないが……。あの時のお前は、ただの駄々っ子だったぞ」


 お兄さんの証言いただきました。その当時、その場にいなかった優月にも、山幸彦の我儘おねだりが目に見えるようだ。根底にあるのが兄への憧れや尊敬だったとしても、やったことはただの借りパクだ(しかもパクった上に失くしてる)。


「でも、あの後、釣り針はちゃんと返したよ?」


「え、そうなの? ずっと宮殿で暮らしたんじゃなくて?」


「カア。三年の間と言ったロウ。だカラ、途中で遮らずに最後まで聞けというんダア」


 溜息交じりに非難されてしまった。これについてはぐうの音も出ないので、優月は黙って、物語の続きを話してもらうことにした。


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