第4章 神様にも理不尽はあるみたいです -6-


* * *


 妻となった豊玉毘売とよたまひめとの夢のような三年間を過ごしたある日、自分がなぜこの宮殿を訪れたのかを思い出した山幸彦は、深い溜息をついた。宮殿での生活は幸せそのものだったが、それでも兄の釣り針のことが悩みの種となり、日に日に溜息が増えていくのだった。


 夫のその様子を心配した豊玉毘売とよたまひめが、いったいどうしたのかと尋ねると、山幸彦は兄の釣り針を海に落としてしまい兄に責められたことを話した。それを聞いた豊玉毘売とよたまひめは、夫の悩みを解決すべく、父の大綿津見おおわたつみに相談することにした。


 娘から相談を受け、さっそく大綿津見おおわたつみは動き出す。海に生きる魚たちを呼び集め、心当たりのある者はおらぬかと尋ねた。すると、ある魚が言うには、


「そういや、知り合いの鯛が、喉に何かが刺さって物が食いにくいって苦しんでやした。それこそ、三年前位から。あいつがその釣り針を飲み込んじまってんじゃねえかな」


とのことだった。


 話を聞いた大綿津見おおわたつみがその鯛を呼びつけて調べてみれば、なんと喉から海幸彦の釣り針が出てきた。洗い清められたそれを受け取ると、山幸彦は今すぐにでも兄の元へ向かうと言い出した。大綿津見おおわたつみは彼を引き止め、


「まあ待て。その釣り針を渡すときには、これからワシが言うとおりにするのだ」


と言って、あるおまじないを伝えた。


「この針は、おぼ、すす貧針まぢち、うる


 その意味は――この釣り針は、憂鬱になる針、心が落ち着かなくなる針、貧乏になる針、愚かになる針。


 この言葉とともに、後ろ手で釣り針を渡せということだった。

 さらに、大綿津見おおわたつみは二つの珠を山幸彦に渡した。それらは、塩盈珠しおみつたま塩乾珠しおひるたまといった。


「おまえの兄が高い土地に田を作ったならば、おまえは低い土地に田を作れ。おまえの兄が低い土地に田を作ったならば、おまえは高い土地に田を作れ。やがておまえの兄は貧しくなり、心が乱れ、おまえを攻めてこよう。その時は、塩盈珠しおみつたまを使って溺れさせてやるのだ。苦しんで苦しんで助けを求めたら、塩乾珠しおひるたまを使って助けてやるのだ」


 釣り針を返すときは、呪文を唱えながら後ろ手で渡すこと。

 山幸彦の身に危険がおよびそうになったら、二つの珠を使って海幸彦を懲らしめること。


 これらの助言を受け、山幸彦は宮殿を発ち、地上へと戻っていった。


 地上に戻った山幸彦は、さっそく兄のもとへ行き、義父に言われた通りに釣り針を返した。海幸彦は弟の行動を不審に思ったが、「こうやって渡すのが今の流行りなんだって」と言われ、理解はできないものの納得することにした。理解できないのはいつものことだから――という何とも言えない理由からだったそうだ。


 海幸彦はこれでようやくまともに漁ができると安心し、海に出た。しかし、せっかく愛用の釣り針が戻ったのに、漁は三年前のように上手くいかなかった。田を作っても水が思うように行き渡らず、こちらも上手くいかなかった。頑張っても頑張っても一向に生活が豊かにならない海幸彦は、次第に心が荒んでいった。


 思い起こせば、山幸彦が道具の交換を無理強いしたことが事の発端。あんな我儘を言わなければ、こんな苦労はしなかったはずだ。加えて、釣り針を返した時の呪術めいた渡し方。自分の生活が貧しくなったのは、何もかも弟のせいだ――。


 生活苦から弟への恨みを募らせた海幸彦は、腸が煮えくり返り、大綿津見の予言通り山幸彦を攻めた。


 兄の来襲を知った山幸彦は、義父の助言通り、まず塩盈珠しおみつたまを海に浸して洪水をおこし、満ちた潮で海幸彦を溺れさせた。


「うぼっ……げほっ……た、たす……」


 山幸彦はまだ動かない。助けるにはまだ早い。それに、ちゃんと助けてくれと言われていない。潮に飲み込まれそうになりながら、必死にもがく兄を観察する。


「たすけ……たすけて……」


 そろそろ頃合いかな――。山幸彦が塩乾珠しおひるたまを使うと、今度は潮がさあっと引いて、海幸彦はなんとか助かったのだった。


 そんな目に遭った海幸彦は、弟に降伏。それからは、山幸彦に仕えることを約束した。


 山幸彦を従えることに成功した海幸彦は、その後、妻の豊玉毘売とよたまひめとの間に子を授かるなど、兄の分まで幸せになったのだった。めでたしめでたし。


* * *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る