第4章 神様にも理不尽はあるみたいです -4-

「カア。ホデリとホオリの兄弟神ダア」


「その名で呼ばれるのは、実に久しい」


「いつもは俗称で呼ばれてるからねえ」


「カア。海幸彦うみさちひこ山幸彦やまさちひこの方がしっくりくるカア?」


「うむ。ワタシはそちらの方が馴染む」


「ボクも」


 釣り針を持ったダンディが兄のホデリ――別名、海幸彦。

 弓矢を持った青年が弟のホオリ――通称、山幸彦。


「海幸彦さんに、山幸彦さん。さっそく僕のお願いを聞いてください!」


 それぞれの何も持っていない方の手を握り、二柱に迫る。


「うん? そなたがワタシを呼び出したのか。よければ名を伺っても構わぬか」


「あ……ごめんなさい。僕は優月といいます」


 復讐心が前に出すぎて、失礼な態度を取っていたことに気づく。海幸彦は別段気にした様子もなく、頷いて「よろしく頼む」と応えた。優月の無遠慮な行動に対しても、このような大人の対応で軽く流すあたり、彼の懐の深さを思わせる。


「それなら、ユヅ君って呼ばせてもらおうかなあ。いいよね? いいよね!」


 対照的に、山幸彦は落ち着きがない。よく言えば人懐っこいのだが、悪く言えば馴れ馴れしいというか、距離の詰め方がえぐいというか。誰しも、初対面でグイグイ来られて、顔を引きつらせて一歩下がった経験は一度くらいあると思う。優月にとって今回がそれだ。人の振り見て我が振り直そうと思った優月だった。


「ボクたちにお願いって、なに?」


 小首を傾げて、いちいち仕草があざとい。それなのに、しゃくに障るということはないのは、彼がまとう柔らかな空気のなせる業か。弟属性が強すぎる。


「カア。こいつはお前らを使って悪さするつもりダア」


 優月が喋る前にカラスに先に言われてしまった。というか、悪さって。


「人聞きの悪いこと言わないでよ。先に非道ひどいことしたのはあっちでしょ。宝物を借りパクされて、泣き寝入りなんできるもんか。懲らしめてやらなきゃ気が済まないよ」


「む……? 優月殿、詳しく話を聞かせてもらえまいか」


 山幸彦はグイグイ来すぎだけれど、海幸彦のように「殿」呼びされるとさすがに距離を感じる。それぞれの距離感を足して二で割っても、まだ距離がありそうなくらいだ。兄弟なのに随分違うんだなあと呑気なことを思った優月だが、視線を交わしたとたんに緊張が走る。海幸彦の眼光が鋭くなっていたのだ。


「あ、いや、その……。懲らしめるといっても、危ないことをするつもりじゃなくて……、あのぅ……」


 釈明が尻すぼみになっていく。呼吸が止まる思いだった。


「すまぬ。優月殿を責め立てる気はないのだ。事情を聞かせてもらえぬか?」


 山幸彦の態度が軟化し、優月はようやくまともに息をできるようになった。何度もガチャを回してきたけれど、これまで登場してきた神様はペットと植物で、お世辞にもありがたみを感じるとは言えなかった。ここにきて初めて神の威光というものを目の当たりにした気がする。


 優月は隼人の一件を正直に話した。自白剤でも飲まされたのかと思うくらい、嘘ひとつ混ぜることができなかった。兄弟神は相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。


「なるほどねえ。ボク、いい道具を持ってるんだけど、使う? もちろん弓じゃないよ」


 山幸彦が満面の笑みで耳打ちしてきた。神様が使う道具なんて想像がつかない。おじいさんの神様が長い杖みたいなものを持って雲に乗っているイメージはあるけれど、まさかあの棒を貸すから殴れというわけでもあるまい。


 彼がごそごそと取り出したのは、片手におさまる大きさの珠。透明なガラス玉のような見た目だが、中は白い泡が絶えず流動しており、サンタクロースを入れ忘れたスノードームのようだ。


「これは塩盈珠しおみつたまって言ってね、潮水につければたちまち潮が満ちるんだ。好きなだけ溺れさせるといいよ」


 温和な顔つきに似合わない危ない提案をしてきた。なぜにそんな危険物を持ってるんだ。


「カア。ここは海から離れているカラ、そいつは役に立たないナア」


「そっかあ。それは残念」


 危険物を使えないのが残念って、その思考が大変危険だということに気づいていないのだろうか。顔と雰囲気に騙されて言う通りにしたら、いつの間にか悪事に手を染めることになっていそうで怖い。近くに海がなくて本当によかった。


「……嫌な記憶が蘇るな」


 海幸彦は眉間に皺を寄せて顔をしかめている。


「カア。海幸彦は塩盈珠しおみつたまのせいで溺れかけたことがあったからナア」


 優月のつぶやきに、カっちゃんが答えてくれた。まさかのお兄さんが被害者だった。


「カア。それがきっかけデ、海幸彦は山幸彦の家来になったんダア」


「家来? お兄さんが、弟の?」


「そうなんだよ。ボクはそれまで通り仲良くしてくれれば、それでよかったんだけど」


「海の神たる大綿津見神おおわたつみのかみが味方とあっては、そうもいくまい。お前にそれを授けたのがあの方のお考えとあれば、ワタシはそれに従わざるを得ない」


 いったい昔に何があったんだろう。首を傾げた優月に、カっちゃんが分かりやすく溜息をつく。


「カア……。無知な小僧ダア。仕方ないカラ、話してやるカア」


 相手が事情を知らないときのその言い方が腹立たしいけれど、優月はぐっと堪えて頷いた。カラスは仰々しく咳払いをすると、昔語りを始めた。

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