第7章 さよなら~前編~ -7-

 宇良は後悔に打ち震えていた。なぜ手を離してしまったのか。あの時、離さなければ。暗闇の中に落ちていく優月の顔がフラッシュバックする。


「宇良……。これ、無理しても飲んどけ。優月が起きた時、お前が倒れたら意味ないんだ」


 隼人がホットココアの缶を差し出してきた。それを受け取れば、冷え切った手を缶の熱が温める。温かいはずなのに、手が震える。


 二人は、病院で優月の治療を待っていた。


 優月が川へ落ちた後、動けずにいる宇良に代わって、隼人が救急車を呼んでくれた。動転しているところを隼人に頬を張られ、落ち着きを取り戻すと、ポチたちを連れて廃ビルを後にした。


 その間に、優月を攫ったあの男は、自ら屋上から飛び降りた。


 ポチのおかげで、早々に優月を発見し、引き上げることができた。しかし、その時にはすでに、優月の呼吸は止まっていた。必死に蘇生を試みるも、息を吹き返す様子はなく、やがて到着した救急隊に優月を託し、宇良たちは優月が運ばれた病院にやって来たのだった。


「俺のせいだ。俺のせいで、優月が……」


 勝手な大人が起こした事件だが、その大人に見つかる原因になったのは、文化祭での乱闘騒ぎ。優月があの場に居合わせなければ、こんな目に遭うことはなかった。元を辿れば、自分なんかと一緒にいたせいだと、宇良は自責の念に駆られていた。


「宇良……」


 隼人は悔しさに唇を噛んだ。優月を守れなかっただけではなく、苦しむ宇良を前にどう声をかければ良いのかも分からない。何もしてやれないもどかしさに、今ほど自分の出来の悪さを呪ったことは無かった。


「宇良!」


 名を呼ばれて宇良が顔を上げれば、翔太がこちらに走って来ていた。カっちゃんが一緒に飛んできている。


「事情はこいつに聞いた。優月は……」


「まだ……分からない」


 宇良は翔太に顔向けできず、俯いた。


「俺が残るから、お前らはいったん帰った方がいい。ひどい顔してるぞ」


 日中から飲まず食わずで優月を探して走り回り、優月を助けるために極寒の川に入ったのだ。体力はとうに限界を迎えていた。宇良も隼人も、友を助けたい一心で、精神力だけでもっている状態だった。


「嫌だ……」


「宇良……! このままじゃお前がぶっ倒れちまう。優月なら……そんなこと望まない」


 先刻、隼人に言われたことを、翔太からも言われてしまった。こんな時なのに、優月の周りはいい奴ばかりだと思った。それを壊した自分が、憎い。

 右手を見る。一度は優月を掴んだはずなのに、優月を離してしまった手を。


 脳裏に温羅の顔が浮かんだ。


 ――俺は、また失うのか。


 そこへ、三つの姿が現れた。優月の両親、そして坂本さんだ。宇良と隼人は面識がないが、翔太に紹介してもらい、頭を下げた。翔太経由で坂本さんや香織に連絡が行き、駆け付けたのだった。


「翔太君、連絡ありがとう。あとは、あたしたちが残るから……」


 坂本さんが、高校生三人に目配せをする。気遣っているようで、ここから立ち去るように求める目だった。翔太はたった今来たばかりだが、従うことにした。坂本さんの奥にいる両親の顔を見れば、ここにいるべきは自分ではないと思ったから。


「俺たちも……いたらだめですか」


 宇良は首を縦に振らなかった。ここにいても何もできないことも、何の責任も取れないことも分かっている。それでも、優月の側にいたかった。意識を取り戻したら、いの一番に謝りたかった。


「帰ってちょうだい」


 しかし、その訴えは香織によって拒否された。ここに来るまでに涙を堪えられなかったのだろう、目は赤く腫れていた。優月に似たその顔で、その目で、宇良を睨む。


「優月を……危険な目に遭わせないで。あの子は、優しくて……普通の子なの」


 涙が香織の頬を伝った。優月には宇良のような友人はふさわしくない。香織の言葉が、確かにそう伝えていた。宇良は立ち上がってお辞儀をすると、ゆっくりとその場を去った。


「う、宇良!」


 その背中を、翔太と隼人が追った。

 外は、雪だった。羽のように舞い落ちてくる雪が、視界を幻想的に染めていく。宇良たちの心境とは真反対の、ホワイトクリスマスだった。

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