第4章 神様にも理不尽はあるみたいです -8-

「……って、ちょっと待った。真面目に生きてた海幸彦さんが非道ひどい目に遭ってるんだけど!? これをどう説明してくれるつもり!?」


「カア。気づいたカア」


 いい話をして、ごまかして丸め込むつもりだったんかい。嘘も方便とはいうが、それを神様自ら実践してほしくなかった。


「ボクらは人間じゃないから?」


「なおさら! 神様ならなおさら! 今のところ、ワガママ言った者勝ち物語になってるから!」


「優月殿、落ち着くのだ」


 海幸彦が屈んで優月と目線を合わせてくる。散々な目に遭ったはずなのに、とても穏やかな瞳をしている。


「先ほどの優月殿の話の件だが――結論から言えば、仕返しなど考えるのは止めてほしいと思う」


「え……どうしてですか」


 優月は少なからずショックを受けた。優月と同じ、いや、それ以上の理不尽を経験した海幸彦であれば、きっと理解してくれるだろうと、心のどこかで思っていた。それなのに、彼は復讐を止めようとしている。


「負の感情のままに動けば、災いとなって己に返ってくる。ワタシは確かに山幸彦から非道い仕打ちを受けた。元を辿れば山幸彦の駄々から始まったことを考えれば、優月殿の言う通り理不尽な仕打ちなのだと思う」


「それなら、なぜ」


「ワタシに全く非がないわけではないからだ。山幸彦が駄々をこねたときに、その行為に意味がないことをきちんと説明しなかった。弟の弓さばきを褒めてやらなかった。広大な海から、小さな釣り針を見つけてこいなどと無理難題を押し付けた。自分が貧乏になったのを弟のせいにして、弟を攻めた」


「そんな……。それを言い出したら、周りが好き放題やっても、海幸彦さんの責任になっちゃうじゃないか」


 どんな事情があっても、屈したら自己責任。本当に周りが悪くても、他責にするのは悪。いじめられている人に、いじめられているお前が悪いと言っているようなものだ。それこそ、理不尽の極みじゃないか。


「そうではない。僅かでも、他人を傷つけたいと思ってしまったその心が悪なのだ。悪なる行いが、我が身に返ってきたというだけなのだよ」


「じゃあ、海幸彦さんを呪ったり、溺れさせようとしたりしたのは? それが悪じゃないなら、何が悪なんだよ!」


「あれはただ、海の神の仰った通りにしただけだ。弟は素直ゆえ、言いつけを守った。ただ、それだけなのだよ」


「そんな……。言われた通りにしたらお兄さんがどうなるか分かっていたのに、少しも悪意がなかったと言うの?」


「そうだ。どこにも悪はなかった。強いて言えば、怒りや恨みを弟にぶつけようと考えた、あの日のワタシの心が悪だった」


 嘘を言っているわけではないのは、海幸彦の目が証明していた。海原のように広い心を映した瞳だった。


「どうか、考え直してはもらえまいか」


「そうそう。話せばわかるって……痛い!」


「カア。お前はちょっと黙るんダア」


 割って入ろうとしてきた山幸彦に、カっちゃんが天地人キックをお見舞いして、優月の視界から遠ざけた。理不尽の化身がのこのこ出て行ったら、ようやく優月が落ち着きそうになっているのに、火に油どころかガソリンを注ぐようなものだ。


「ワタシはひとつ後悔しているのだ。山幸彦がなぜあのような行為をしたのか、理解しようともしなかった。話し合いで解決したかもしれぬのだ」


「話し合えばよかったと……?」


「ああ、そうすればよかったと思っておる。しかし全ては後の祭り。今さらどうしようもないことだ。だが、優月殿はまだ間に合う」


 優月の肩に優しく手を添え、海幸彦は顔を綻ばせる。海のように広い心で抱擁されているようで、優月の復讐心がちっぽけなものに感じられた。それなのに、そのちっぽけな悪意はちくちくと自身の内側を刺してきた。


「誰でも大なり小なり負の感情はある。問題は、負の感情とどう付き合うかだ。優月殿ならば、その内にある感情とうまく付き合っていけると、ワタシは思っている。神の助けなど無くともな」


「カア。この小僧は甘ったれだガア、芯はあると思っているゾ」


 カっちゃんが優月の頭に戻って、似合わない誉め言葉を述べた。と、そこへ知った顔が現れた。


「……ったく。困ってんなら相談しろってんだ」


 宇良だ。後ろに隼人も連れている。


「え! どうして宇良くんがここに?」


「お前が他人を呼び出すなんて何かあると思うだろ。しかも、隼人みたいなやつを」


「ちょ、俺みたいなやつってどういう意味っすか!」


 空き地に影が増えた。宇良の姿を見たポチが、嬉しそうに走ってきた。宇良も破顔して、ポチを迎えに行く。


「……宇良サンて、あんな顔もすんだな」


 ポチと戯れる宇良の姿を見ながら、隼人がぽつりとつぶやく。その横顔がなんだか寂しそうに見えて、優月の中の小さな悪意は萎んでいった。

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