第3章 鬼退治をする羽目になりました -4-

「生前のワシにはまだ理解者がおったが、こいつは不器用でなあ。見ちゃおれんかったわ」


「余計なお世話だ」


「そう言うな。お主が虚勢を張れば張るほど、孤立する。お主だって、分かっておろう」


「もう諦めてるさ。手を出そうが出すまいが、変わらねえって学んだからな」


 ポチが宇良の頬を舐める。宇良の表情に見られた陰りが、わずかに薄くなった。その様子を見た温羅が、優月に顔を近づけて言う。


「お主、すまないが、時々こやつに会ってやってはもらえまいか」


 とても大変なことを頼まれた気がする。これまでの学生生活では、宇良を刺激しないように、逆鱗に触れないように、肩身を狭くして、できるだけ関わらないようにしていたのだ。そうやって避けてきた対象との絡みを要求されてしまった。


 いいえと断ったら、鬼の形相をされそうで怖い。はいと言ったら、宇良とプライベートで会わないといけなくなる。どっちにしても怖い目に遭うじゃないか。


「そいつの言うことを真に受けなくていい。俺がどう思われてるかくらいは理解してるつもりだ」


 当の本人はこう言っている。さすがにそう真っすぐに言われてしまうと、はっきり頷いてしまうのも失礼で、優月は微妙な表情になるしかなくなる。


「なまじ腕が立つものだから、悪名ばかりが耳に入るだろう。二つ返事で承諾してもらえなくとも構わん。だが、こやつはそう悪い奴ではない。暴力沙汰であっても、こやつから仕掛けたことはない。曲がったことは許さない性格だからな」


 信頼を含んだ優しい口調だった。


「たかだか数年だが、一緒にいて、多少はこやつを理解しているつもりだ。どうか、ワシからの最初で最後の頼みを聞いてほしい」


 温羅が優月に頭を下げる。小山のような大きな影のてっぺんが、低くなった。


「余計なことすんな」


「ワシのこの頼みは、お前に対してでもあるのだ。勝手に居座った身とはいえ、最後の頼みくらい聞いてくれてもよかろうが」


「……最後って、どういう意味だよ」


 すまなそうな顔をして、温羅は目と口を閉じた。


「黙ってたら分からねえだろうが! 何とか言いやがれ!」


 空き地中を震わせるほどの怒声が響いた。近距離で聞いた優月、カっちゃん、キー坊が顔面蒼白で互いを抱きしめあっている。反対に、温羅は微動だにせずうつむいたままだ。


「クゥン」


 宇良をなだめるように、また頬を舐めた。宇良に対して恐れも嫌悪も抱かず、真っすぐな瞳を向けるのは、ポチだけだった。一度深呼吸をした宇良が、ポチを下ろして優しく頭を撫でてやる。


「……でかい声出して悪かったな」


「キャン」


 相変わらず舌を出して笑っているような顔をしている。


「お主は、ワシのような既に生を終えた者ではなく、彼らのような、同じ時代を生きる者と共に生きていくべきだ」


 小山に戻った温羅がぽつりとつぶやいた。彼のシルエットに、デジタルな砂嵐が吹き荒れる。断続的なノイズが、大きな身体を不安定に乱す。


「お……おい」


「残念だが、もう時間が無いようだ」


 温羅の身体が徐々に薄くなり、影は日向に溶け込んでいく。


「別れだ。だが、悲しむことはない。姿が見えなくなるだけのこと。それだけだ」


 無言の宇良の頭に手を置き、愛おしさを手のひらに乗せる。その手も、腕も、大きな身体も、世界に溶け込んでいく。


「弱きことは必ずしも悪ではない。強きことは必ずしも善ではない。お主は、お主の生きたいように生きよ。閉じた世界で生きるような過酷な道を選ばずともよいのだ」


「俺は……」


「できるとも。ワシが信じておるのだからな、胸を張れ。……達者でな」


 大きな小山は、まるで最初からなかったかのように消え失せた。太陽が、赤鬼の色に染まっていた。優しい顔をした赤鬼は、こうして世界とひとつになった。


 宇良は太陽を睨みつけた。悲しみも怒りもその目に込めて、涙の代わりに世界に向けて感情をぶつけているように感じられた。


「ごめん……」


 そんな彼を見ていられず、優月は頭を下げた。


「……? 何がだ」


 惚けているわけではなく、本当に意味が分からないようだった。


「温羅さんのこと……。僕があんなものを投げたりしなければ……」


「ああ……そのことか。お前は、あいつがお前を恨んでいるように見えたか?」


「……見えなかった」


「俺もそう思う。それが答えだ。気に入らねえが、俺もあいつも似た者同士だからな」


 宇良は乱暴に頭を掻いた後、はっとしてその手のひらを見つめた。そして、目を閉じてグッと拳を握った。


「お前は、あの万引き野郎がカツアゲされてると思って助けようとしただけだろ? 誰かのためを思っての行動なら、あいつは文句言ったりしねえ。そういう奴だった」


 ――台詞の最後が過去形なのは、温羅を思い出の中だけの存在にしてしまったせい。いくら赦しを与えられても、罪悪感は簡単には消えてくれない。それに、優月が謝りたいのはそれだけじゃない。


「宇良くんのことをよく知りもしないくせに、勝手に悪者にして、勝手に勘違いして、勝手に出しゃばって……本当にごめん!」


 さっきより深く頭を下げた。謝っているのは、そうしないと自分が居たたまれないから。

 ――そう、自己満足だ。そんなの分かっている。それでも、そうせずにはいられなかった。


 外見や伝聞で彼の人となりを判断し、自分の目で確かめようとも、自分の頭で考えようともせず、あまつさえ関わりたくないなどと思って遠ざけてきたのだ。ひとことの謝罪など薄っぺらくて、行動で示さないと気が済まなかった。


「……変わってるな、お前」


「カア。神をこき使う生意気な小僧だゾ」


 勝手にひとの家に居座っているカラスが何か言っている。人間世界で過ごすなら、空気を読むというスキルを身に着けてほしいと思いつつ、謝罪中の優月は反論せずに耐えるしかなかった。

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