第5章 母が誕生日なので楽させようと思います -6-

 ふと時計を見たら、午後四時を回っていた。


「あ、ケーキ受け取ってこないと」


 優月が小学生の頃から利用しているケーキ屋に、誕生日ケーキを注文していた。香織が好きなチョコレートをふんだんに使ったホールケーキ。受け取りは四時半なので、もう家を出ないといけない。


「すみません! 僕ちょっと出かけてくるので、お料理はお任せしていいですか?」


「大丈夫です」


「任せといて!」


 トヨちゃんゲロちゃんそれぞれから了承をもらえたので、優月は急いで準備をして家を出た。カっちゃんにも留守番してもらって、何かあったら知らせてもらうように頼んでおいた。


 ケーキを受け取り、帰宅すると、リビングのテーブルには所狭しと料理が並んでいた。優月が味見をした肉じゃがに、ワカメとキュウリの酢の物、ほうれん草の胡麻和え、舞茸の良い香りが広がるお吸い物、タイとマグロのお刺身、秋野菜の天ぷら、茶碗蒸しと、まるで会席料理じゃないかと思うような品々だった。


「すごい……」


「カア。ここにはないガア、炊き込み飯もあるそうだゾ。ケーキと被らないよう水菓子は作らなかったらしいナア」


「水菓子?」


「カア。水ようかんと言えばわかるカア」


 水菓子は本来は果物のことだガア、という豆知識を披露したカっちゃんに御神酒を出して、静かにしてくれている間にポチとキー坊にも先にご飯を食べてもらう。このペット三神は、ペットみたいな見た目のわりに、誇り高いところがあるから、優月たちより先に食べさせておけば満足顔で機嫌よくしていてくれる。


 ポチとキー坊はお腹が膨れたおかげで、仲良くヘソ天して寝ている。カっちゃんは日付が変わってからしか寝ないので、ソファーに止まってテレビを見ている。トヨちゃんたちは、優月が帰宅したときには台所からいなくなっていた。神様の世界に帰ってしまったのだろうか。


「せめてお礼くらいは言いたかったなあ」


 シンクには洗い物ひとつなく、料理をした痕跡が全くないくらいに綺麗な状態だった。

 女神の活躍に改めて感動していると、玄関が開く音がした。


「ただいまー」


 香織の声だ。優月は玄関まで迎えにいって、「おかえり」を返した。


「今日はありがとうね。お陰で、一日ゆっくり楽しい時間を過ごせたわ」


「よかった! お腹空いてない? ご飯用意できてるんだ。温かいうちに食べようよ」


「本当? 嬉しいわ。お昼は喫茶店の軽食だったから、お腹空いちゃって」


 買い物袋を持った両親を見て、優月は目を細めた。久しぶりに夫婦水入らずで過ごせたようで、頼りない自分でも両親のために何かできたことが嬉しかった。


 荷物を置いて着替え、リビングに入った両親は、テーブルに並べられた凝った料理の数々を見て口をあんぐり開けた。どこぞの割烹料理店にでも紛れ込んだか、と勘違いしてもおかしくない和食のオンパレードを目にしたのだから、当然の反応だ。


「これ、優月が作ったのか……?」


「そんなわけないでしょ。あなたの子よ?」


 料理を指さして確認した真司の発言を、香織は秒で却下した。なんでも、結婚前に父が母に料理を振舞おうと頑張ったらしいのだが、火を使う料理はとても口に入れられる状態にはならず、まともに食べられそうなのがサラダだけだったという。


 優月は間違いなくこの父の子だ。こんなところまで似るのは、遺伝のせいか。父子は、心の中で涙を流した。


「この数の料理は、あたしでも作るの大変よ。買ったお惣菜を盛り付けただけにも見えないし、どうしたの?」


 そう尋ねる香織は、料理が盛り付けられた皿を手に取って瞠目どうもくしている。

 優月はどう答えたものかと考えあぐねていると。


「そういえば、最近は料理代行サービスなんてものがあるらしいな。もしかして、それを頼んだのか?」


 真司がピンときたといった様子で言う。ある意味、正解だ。優月は真司に乗っかる形で、肯定した。


「そうなの? 結構高かったでしょうに。ありがとうね」


 どうやら代行サービスを使ったということで納得してくれたようだ。色々なサービスがある時代でよかった。サービスを実行してくれたのは、神代の時代の神様だけど。


「母さんも父さんも、座って。せっかくだし、食べようよ」


「そうね。今日は一日休ませてもらっただけじゃなくて、こんなに豪華な料理まで用意してもらって、本当に嬉しいわ」


 両親には着席してもらって、優月は炊き込みご飯をよそって戻った。香織は「炊き込みご飯もあったなんて!」と驚いていた。


「いい香りねえ。おいしそうだわ」


 優月も同感だ。炊飯器を開けたときに広がったキノコと鮭の香りを直に嗅いだ優月は、涎を零さないように必死に口元を引き締めたくらいだ。


 優月が着席するのを待って、全員でいただきますをした。銘々に料理を一口食べれば、三人ともに目を見開いた。


「美味しい!」


「うまいな、これ」


「これヤバ……」


 母、父、優月が感嘆の言葉を漏らす。どれを食べても絶品で、目で楽しみ、香りを楽しみ、味を楽しみ……咀嚼すれば、溢れるうまみに口の中はお祭り状態だ。


「肉じゃがも胡麻和えもお吸い物も、塩梅がちょうどいいわ」


「天ぷらもうまいぞ。サツマイモもカボチャも、衣はサクサクで、中はほくほくだ。酒が欲しくなるな」


「分かるわ。このお料理なら、ビールじゃなくて日本酒が合いそうね。持ってくるわ」


「母さんは座ってて。僕が持ってくるから」


 大人の飲み物が欲しくなった様子の大人たちを制して、優月は席を立った。誕生日くらいは何も仕事をしないでゆっくりしてほしいし、与える側じゃなくて受け取る側でいてほしい。


 優月が台所へ行くと、さっきはなかったはずのものが調理台に置かれていた。徳利と、お猪口二つだ。


「もしかして、トヨちゃんが……?」


 両親がお酒を欲しがるタイミングで、それを予知していたかのような準備の良さ。女神の姿は見えないが、おもてなしをしてくれている気がした。


「ありがとう」


 優月は小さくお礼を言って、熱燗を両親に届けた。お酌をしてあげると、二人はたいそう喜んでくれた。


「優月が成人したら、一緒に呑みたいね」


 今はまだ叶えてあげられない、母のささやかな希望。二十歳になった優月が、両親贈るプレゼントが決まった瞬間だった。

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