第5章 母が誕生日なので楽させようと思います -5-
正気を取り戻した優月は、女神たちにリビングの椅子に座ってもらってから、向かいに腰を下ろした。鼻にティッシュが詰まったみっともない姿なのは、気にしないでいただきたい。
「さっきは取り乱してしまってすびばせん」
「うふふ、お気になさらずに」
「こっちこそごめんね。可愛いから、てっきり女の子かと思ってさ」
女子相手だとしても、いきなりハグするのは優月の知っている常識とは違うのだけれど、神様相手に人間の常識は当てはまらないし良い経験できたし神様ありがとう。隙あらばさっきのハプニングに意識が向きそうになる。優月は頭を振ってなんとか雑念を振り払った。
「えっと。改めまして、僕は優月といいます。
「はい、そうです」
「合ってるけど。いちいち長ったらしい名前で呼ぶの大変でしょ。あだ名でいいよ」
「なんて呼んだらいいですか?」
「私は、トヨちゃんと呼ばれていますね。といっても、そう呼ぶのは主に隣にいる彼女ですけど。私はこの呼び名が気に入っているので、優月さんもぜひ、そう呼んでください」
ちょっと呼ぶのが気恥ずかしいけれど、優月は頷いた。
「アタシのことはゲロちゃんって呼んで」
「きったねえ」
脊髄反射で暴言を吐いてしまった優月を誰が責められようか。トヨちゃんとの落差が激しいなんてものじゃない。
「あら、私はぴったりで良いと思いますけど。ね、ゲロちゃん」
せめてゲの濁点を取ってくれないだろうか。食事中は絶対に呼びたくない名前だ。――食事?
「もしかして、依代箱が反応したのって……」
「カア。それぞれ食に関わる神ダア。こいつらに料理を作ってもらえってことだナア」
「やっぱりそういうこと!?」
優月が苦労に苦労を重ねて、できなかった料理。担当してもらえるなら、こんなにありがたいことはない。ゲロから二柱が登場した理由に辿り着いたのが、ものすごく不本意だけれど。
「カア。隙あらば火事を起こそうとするヤツに任せるよりハア、はるかに安心ダア」
人聞きの悪い。料理で煙は出たけれど、火は出てないぞ。しかし、火が出てからじゃ遅いから、カっちゃんの言い分はごもっともだ。
「お料理ですか……。うーん」
トヨちゃんは気が進まなそうだ。何か気になることがあるのかと尋ねたら、
「私は
とのことで、料理人としてのこだわりがありそうだった。神様が神様(しかも超有名)の料理番をしているという話に驚くと同時に、スーパーしか食材の入手経路を知らない自分が新鮮な食材などどうやって用意したらよいのかと悩んだ優月に助け舟を出したのは、ゲロちゃんだった。
「それはアタシに任せて! いくらでも食材出しちゃうよ。得意分野は五穀だけど、ほかの食材だって用意できるから!」
新鮮からは程遠いあだ名の女神から新鮮な食材が生まれる不思議。神様ってよく分かんねえなあと心で思った優月だった。
「優月さんが一人で召し上がるの? それとも、ご友人と?」
トヨちゃんが質問を投げかけてきた。優月は姿勢を正して答える。
「家族とです。実は、今日は母の誕生日なんです。だから、美味しい料理を作りたいと練習してきたんですけど、僕じゃ全然だめで。ぜひ力を貸してほしいです」
女神たちに頭を下げて懇願した。トヨちゃんは慌てた様子で、顔を上げるように言ってくれた。そして、快く引き受けてくれた。
「そういうことなら、たくさん作らないとですね。早速取り掛かりましょ! ゲロちゃん、一緒に頑張りましょうね」
「りょーかい!」
「そういうことですから、台所は私たちに任せて、優月さんはゆっくりなさっていてください」
柔らかい言葉とは裏腹に、かなり強引に台所から追い出されてしまった。「台所は女の城ですから、男に汚されたくないので」という、きつめのお言葉と一緒に。すでに一度汚したことは黙っておこう。
「あ、洗濯物!」
台所は女神たちに任せて、優月は庭に干してある洗濯物を取り込みに向かった。Tシャツの脇の部分を触って、しっかり乾いていることを確認。葉が色づく季節になったけれど、生乾きにならずに済んでいい感じだ。
――今日一日だけ、料理番をお借りします。
だいぶ傾いた太陽を、目を細めながら見やる。ぐっと瞬きをして、洗濯物で一杯になったカゴをもって室内に戻った。
「あ、ゆづっち、ちょっと味見してみて」
ゲロちゃんが小皿と箸を持ってきた。お肉に人参、じゃがいもにしらたき。薄い茶色に染まっていて、ほのかに甘じょっぱい香りがする。
「肉じゃがですか?」
「そうそう。もっとしょっぱいのがいいとか、甘いのがいいとか、ゆづっちの好みを知りたいから感想聞かせてほしいってさ」
優月に付けられたあだ名についてはスルーして、小皿の肉じゃがを食べてみた。全く煮崩れしていないじゃがいもはほくほくしていて甘みがあり、肉には味が染みている。人参は塩味を感じつつも素材本来の甘さが残っており、しらたきは食べやすい大きさで邪魔にならない。
「文句のつけようがないくらい美味しいです」
お昼抜きでお腹が空いていることを差し引いても、美味しい。お店で出てきたら感動するレベルの味だ。肉じゃが定食八百円とかで売り出したら、家庭の味に飢えている男たちが行列を作る人気店になりそうだ。
「え、料理を始めてから十分くらいしか経ってないのに、こんなに味の染みた煮物を作れるんですか」
「アタシはよくわかんないけど、れんじ、っていう道具を使ったら、早く美味しく作れるらしいよ」
古来の神様が、文明の利器をめっちゃ活用してた。肉じゃがってレンジで作れるんだ……。優月は変なところで感動してしまった。優月もガスコンロで料理なんてしないで、レンジを使っていれば、もう少しマシな料理が……できなかっただろう。おじゃんになるのが鍋になるかレンジになるかの違いだ。
「それなら、味は問題なしって伝えてくるね。あ、あとこれはアタシからね。ゆづっちが用意したってことにしていいから、贈ってあげて」
折りたたまれた服を優月に手渡すと、ゲロちゃんは台所に戻ってしまった。
広げてみれば、余計な装飾が入っていない白のパジャマだった。上品な光沢感があるそれはとても柔らかくて、肌触りがなめらかだった。服飾に詳しくない優月が見ても、高そうな品であることが分かった。これをプレゼントしたら、すごく喜んでもらえそうだ。
「ゲロちゃんありがとう!」
「あいよー」
大声でお礼を伝えたら、台所から返事だけが戻ってきた。
「食材だけじゃなくて、服まで出せちゃうんだ。すごいなあ」
香織が何が欲しいか分からなくて、プレゼントを用意できず、代替案で家事を引き受けた。それでも、何も贈り物ができないことに罪悪感があったのだ。優月が用意したものではないけれど、これで母に喜んでもらえる。優月は再度、女神たちに感謝した。
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