第5章 母が誕生日なので楽させようと思います -4-

 そして、全く料理スキルが上達しないまま、香織の誕生日当日を迎えた。日曜日ということで、バイト先の店は混雑が予想されるが、この日は事情を伝えてお休みをもらった。店長も坂本さんも真紀さんも、店のことは気にしなくていいから親孝行するようにと、優月の背中を押してくれた。


「家事は僕がやっておくから、今日くらいはゆっくりしてきてよ」


「ありがとう。夕飯までには帰るね」


 優月はそう言って、香織を送り出した。誕生日くらいは好きなようにゆっくり過ごしてほしいから、父の真司しんじと一緒に外出してもらったのだ。香織の性格上、家にいたら何かしら仕事を見つけて働いてしまうから。


 映画を見るもよし、カフェに行くもよし、家のことは忘れて夫婦水入らずの時間を楽しんでもらいたい。


「よし」


 気合を入れて、掃除と洗濯に取り掛かった。洗濯機を回している間に、皿洗いをして、掃除機をかける。洗濯が完了したら、秋晴れの日光を浴びながら、シワを伸ばして丁寧に干していく。太陽の光を浴びると、身体の中まで洗われた気がする。


 さらに風呂とトイレの掃除を済ませれば、昼はとうに過ぎて、良い時間になっている。


「ふう。休憩しよっと」


 バイトで立ち仕事には慣れているというのに、普段使わない筋肉を使ったような疲労を感じた。これを日々こなしてくれていると思うと、頭が上がらない。さらに朝晩の食事まで用意してくれているのだから、感謝しかない。料理といえば。


「どうしようかなあ」


 一度もまともな料理を作れなかったというのに、ぶっつけ本番でできる気がしない。いちおう、食材は買ってあるのだけれど、まともなものにならなければ意味はない。


「やるだけやってみよう」


 自分が食べる分には、誰にも迷惑をかけない。遅い昼食を作ってみようと、立ち上がった。


* * *


「カア……。お前は家で燻製くんせいでも作っているのカア」


 優月がキッチンを煙で充満させた後の、カっちゃんの呆れきった反応だ。二度ある事は三度ある。帰納的に考えれば、結果は見えていたはずなのに、なんでやってみようと思ってしまったのだろう。「今日は行けるかも!」と一瞬でも思った二時間前の自分を殴ってやりたい。


「やっぱりだめかあ……」


 せっかく綺麗にした台所を汚しただけだった。ポチは開けたガラス戸の近くに避難して、なるべく新鮮かつ安全な空気を吸おうとしている。キー坊にいたっては、二階に逃げていった。


「カア。身の程を知るんダア。お前は海幸彦と山幸彦の件で何も学ばなかったのカア」


 兄の海幸彦と弟の山幸彦の兄弟神。


 海幸彦は釣り道具を使って漁をして暮らし、山幸彦は弓矢を使って猟をして暮らしていた。ある日、山幸彦の提案(というかワガママ)によって、一日限定でそれぞれの仕事道具を取り換えていつもと逆のことをしてみたけれど、全くうまくいかなかった。それがきっかけで、海幸彦はさんざんな目に遭うのだけど、それは割愛。


 この話から得られる教訓は、適材適所があるということ。できもしない料理を無理に頑張るくらいなら、他のことをやって役に立て。と、カっちゃんは言いたかったようだ。ぐうの音も出ない。


「母さんには申し訳ないけど、お惣菜やピザを用意するよ」


 辛うじて不燃ごみにならないで済んだフライパンを洗い終えて、優月は答えた。焦げ臭いにおいを少しでも紛らわすため、消臭スプレーを噴霧しまくる。


「クゥン」


 避難していたポチがようやく戻ってきた。部屋のにおいはなんとか誤魔化せたみたいだ。


「お腹空いたなあ……」


 昼食を作ろうとした結果、とても食べられないものができたので、いまだにすきっ腹だ。何なら、もうすぐ夕飯の準備をしないといけない時間になる。仕方ない、買い出しに行くかと準備を始めた優月のもとへ、キー坊が慌ただしく走り寄ってきた。


「キー! キー!」


 早く来いと言わんばかりに優月の腕を引っ張る。


「え、ちょっと、なに!?」


 キー坊についていった先は、二階の自室。到着すれば、なぜキー坊が優月を連れてこようとしたのか、その意図を理解できた。依代箱よりしろばこが光っているのだ。


「もしかして!」


 優月は大急ぎで駆け寄り、期待をこめてガチャを引く。二つの光が放出され、次第に人型になっていく。やがて光が弾けると、上品な着物を着た優美な女性たちが舞い降りた。 ばさばさとやってきたカっちゃんが優月の頭に止まって、いつもの解説。


「カア。豊受トヨウケ大宜都比売オオゲツヒメじゃないカア」


 優月がわざわざDIYして作った神棚があるというのに、わざわざ頭の上でものを言うのはなぜなのか。いつもなら、そんなことを考えていただろうけれど、今回の優月はそんな気が起きなかった。というか、カっちゃんが頭に止まっていることすら意識が向かないくらいに、彼女たちの放つ神々しさに見惚れていた。


「あら、そういうあなたは八咫烏さんではありませんか。お久しぶりですね。お元気でした?」


 浅緋うすあけ色の着物を、花菖蒲はなしょうぶの柄が入った帯で巻いている女性が近寄って、カっちゃんを撫でた。優月は自分が撫でられているような気分になって、指先ひとつ動かせなかった。


「カア。豊受トヨウケは何年経っても変わらないナア」


「うふふ。若さを保てているという意味で受け取っておきますわね」


 トヨウケと呼ばれた女神は口元に袖をあてて、言葉遣いと同様に上品な笑みをこぼした。美しいという言葉は、彼女のためにあるようなものだと優月は思う。


「次、アタシの番ねー」


 今度は、うぐいす色の正絹しょうけん着物を纏った大宜都比売オオゲツヒメが、豊受トヨウケと交代してカっちゃんを撫でた。


「カア。お前も変わらないままダア」


「お互いにね。ところで、ここって人間の住処じゃない? 何してんの?」


 大宜都比売オオゲツヒメの方は、親しみやすい、やや砕けた口調だ。


「カア。吾輩の下で固まっている小僧に呼び出されたんダア」


 そこでようやく、二柱の女神の視線が優月に向く。美女に見つめられた経験などない少年の顔は、みるみるうちに真っ赤になる。


「まあ、可愛いらしいご主人様。初めまして、私は豊受トヨウケと呼ばれていますの。よろしくお願いしますね」


「あ、え、よ、よろしくお願いします」


 こんなどもりまくった挨拶にも、微笑みを返してくれる。まさに女神。


「アタシは大宜都比売オオゲツヒメっていうんだ。よろしくね、ボウヤ」


「わあ!?」


 女神からの突然のハグ。優月より頭一つ分背が高いため、ちょうど優月の顔の位置に女性の膨らみがくる。その身長差でハグをされれば、ちょっとしたハプニングが起こる。


「カア。あんまりからかうナア」


「アハハ。ただの挨拶なんだけどなあ」


 優月は幸せそうな顔をしている。


「カア。天地人キック」

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