第5章 母が誕生日なので楽させようと思います -3-
「家事かあ……。洗濯とか掃除なら、僕でもできると思うんですけど、料理は全然やったことがなくて」
家庭科の調理実習で昼食を作ったことはあるけれど、料理ができる人の指示に従って野菜を切ったり洗い物をしたりしていただけで、実際の調理や味付けなどの重要な工程は人任せにしてしまっていた。
だから、優月の料理スキルはほぼゼロといってよい。それでも、将来を考えれば、今のうちから調理スキルを身に着けておいた方が良い。坂本さんは、ほんの少し優月の背中を押してみることにした。
「優月君が手作りの料理なんて作ったら、香織はきっと感激しちゃうわよ」
「手作りしてあげたいけど、今から練習しても間に合うかなあ……」
「卵焼きとかサラダとか、できそうなものだけ手作りして、ほかの料理は出来合いのものでも良いと思うわよ。香織のことだから、普段はお惣菜を買うんじゃなくて、全部手作りでしょう? たまに食べると、お惣菜だって美味しいものよ」
坂本さんは、腕を組んで唸ってしまっている優月に助け舟を出した。一気に全部やろうとして、全部台無しにしてしまうくらいなら、ある程度は妥協した方が良い。誰だって、最初はゼロからのスタートだ。いきなりお店みたいなフルコースを作ろうとしたって、無茶というものだ。それにしても、飲食店で働いているのに、調理スキルがないとは、ある意味すごいなあ……と苦笑する坂本さんだった。
「ホールを希望したのは正解だったわね」
「あはは……」
優月もまた苦笑するしかなかった。働いている本人が一番そう思っているのだから。翔太からこの店のバイトを紹介してもらった際に、ホールとキッチンの希望を出せたけれど、優月は迷うことなくホールを希望した。キッチンとはいっても、簡単な調理とのことだったけれど、普通に料理を作れる人の『簡単』と、全くできない人の『簡単』では、そのハードルに雲泥の差がある。現に、キッチンで働いているスタッフは、家で自炊をしている人ばかりだ。
店長曰く、キッチンの方が希望者が多いそうなので、優月がホールに入ってくれて助かるとのことだった。優月と店長の希望が一致しているので、ウィンウィンの関係で働けている。坂本さんは調理でもホールでもよかったそうで、人手が足りないホールを任されたそうだ。坂本さんとしてはこだわりはないけれど、料理は家で毎日やっているから、お客さんと接することができるホールの方が楽しいと言っている。
「なんとか頑張ってみます。貴重なご意見ありがとうございます」
「いえいえ。親孝行してあげてね。そろそろ戻りましょうか。真紀ちゃんも休まないと」
「はい!」
贈り物ではないけれど、香織の誕生祝いにできることは決まった。優月は坂本さんに相談とコーラの礼を述べて、ホールへと戻った。
それからは、香織の目を盗んで料理の練習の日々だった。自宅だとばれるので、学校帰りに翔太の家に寄らせてもらって、キッチンをお借りした。翔太のお母さんが理解のある人で、一番忙しい時間帯だろうに、快く協力してくれた。
「誕生日のお祝いにお料理してくれるなんて、本当に優月君は良い子だわあ! あんたも見習いなさいよ」
翔太がとばっちりを食らっていたのは申し訳なかったけれど、立ち寄らせてもらった日はお菓子とジュースを手土産にしたから、ぐっと堪えているようだった。最初は翔太のお母さんが手ほどきしてくれたけれど、優月がキッチンに立つ度に翔太に小言が飛ぶので、優月がいる間はキッチンから追い出されていた。
人様の家のキッチンで手を動かす優月の姿を、隣で見ていた翔太は思った。
――こいつ、めちゃめちゃ下手だ。
翔太もそこまで料理ができるわけではないが、両親が不在の日に簡単な夕食を
練習の結果、できた品は以下の通り。
レタスをちぎっただけのサラダ。殻入り黒焦げ卵焼き。中がほぼワカメで、そこに粉々になった豆腐が
唯一まともに食べられそうなのがサラダだけという有様だ。毎度同じ材料を使って、同じ料理を作っているというのに、出来上がるのはなぜかこの状態の品々だ。慣れや成長が一切見られず、経験値が全く入っていない。練習とは。
ちなみに、優月の練習のせいで、翔太の家の鍋がふたつ使い物にならなくなった。平謝りする優月に、翔太のお母さんは「こうなるだろうと思って、古い焦げた鍋を使ってもらってたから、平気よ。これで心置きなく新しい鍋を買えるわ」と言って笑っていた。
香織の誕生日前日になってもこの有様で、今まさに煙でキッチンを
「諦めろ」
一週間の努力を、たった一言で切り捨てられた。
「お前に料理は無理だ。お前は料理の神に見放されている」
項垂れているところに、さらなる追い打ち。全力で煙を追い出している換気扇、お世辞にも料理とは呼べない元食材、散らかったシンク。それらを見て、優月はがっくりと肩を落とした。
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