第2章 神様はさまざまです

第2章 神様はさまざまです -1-

「ありがとうございましたー!」


 最寄駅のひとつ隣の駅から徒歩十分ほどの場所に温泉施設がある。その中に入っているレストランで、優月はホールのアルバイトをしている。今しがた、お食事を終えたお客様を、丁寧にお辞儀をしながらお見送りしたところだ。


 学費は両親が出してくれているが、遊ぶための小遣いは自分で働いて稼いでいる。推し活のためには先立つものが必要になる。アイドルのためなら、これくらいの労働はつらくもなんともないのだ。


 一緒に働いているスタッフは大学生や、母親の香織と同年代のおばちゃんたちだ。レストランの高校生スタッフは優月ひとりで、みんなから可愛がってもらっている。高校生だからということもあるが、年齢に甘えることなく、一生懸命に働いている優月の努力があってこその評価だ。


 以前、祖父母くらいの年齢の老夫婦を接客したときに、チップを渡されたことがあった。慌てて断ったけれど、優月の手に握らせて出て行ってしまった。お金を持って店長に報告したら、「優月くんの接客に対する評価だから、ありがたく受け取っておきなさい」と言われ、さらにはその日一緒のシフトだったお兄さんお姉さんたちも、「優月くん、早くポッケにしまっちゃいな! じゃないと貰っちゃうぞ」と言って笑ってくれた。


 人間関係に恵まれてるなあ、と心が温まったのを今でもはっきり覚えている。ちなみに、その時にいただいた五千円は、もったいなくて使えなくて、大事に仕舞っておいてある。


 そんな感じで、温かい職場で、温かい人たちに囲まれながら、楽しく働けている。でも、優月がこの職場を気に入っているのは、人間関係の良さだけが理由ではない。


 美味しいまかないを割安で食べられるのも魅力だ。香織が食事を用意してくれるので、優月は滅多に利用しないのだけれど、香織が風邪をひいて寝込んでしまった日のバイト終わりにまかないをいただいたら、思わず「んー! 美味しい!」と言ってしまうくらいの味だった。お店の味を知ってから、お客様からの料理に関する質問に対してより具体的に回答できるようになった。まかないをもらうことは、接客にもプラスになるのだ。


 そして、なにより……!


「はあ~。気持ちいい……」


 白い湯気がもくもくと星空に向かう。じょぼじょぼと流れる水の音。「上は洪水、下は大火事、なーんだ?」のなぞなぞでお馴染み、お風呂だ。しかも、天然温泉の露天風呂。


 温泉施設の中で働く従業員は、無料で入浴施設を利用できるのだ。優月が風呂好きなこともあって、この福利厚生が最高に素晴らしい。仕事で疲れた身体が温まって、固まった筋肉がほぐれていく。


「お! お疲れ。優月も今日シフト入ってたのか」


 そこへ、クラスメイトの翔太がやってきた。実は翔太もここでバイトをしている。業務内容は優月と違って、風呂場まわりの清掃やマット交換、アメニティの補充などだ。翔太の方が先にここで働いていて、優月が軍資金稼ぎのためにバイト先を探しているのを知って、施設内のレストランが求人募集を出していることを教えてくれたのだった。


「翔太、お疲れ。仕事終わりの風呂は最高だなあ」


「家まで汗だくのまま帰るのは気持ち悪いもんな。さっぱりして帰れるのはありがたい。家だと脚も伸ばせないからなあ」


「こんなに広い風呂にタダで入れるんだから、それだけでも働いててよかったと思うよ」


「風呂好きの優月にバイト紹介してよかったよ」


「マジ感謝」


 じんわり滲む顔の汗を、両手で掬ったお湯でばしゃばしゃ流す。身体の芯まで温まり、疲労が溶けていく。また次も頑張ろうと思える、そんなひと時。


「カア。なかなか良い湯加減だナア」


「ぶふぉっ!?」


 湯の上に、カラスが浮いていた。体毛が黄色で、もう少しサイズが小さかったら、おもちゃのアヒルだと思ったかもしれない。けれど、そいつは黒い体毛の、紛う方なきカラスだ。顔見知りのカラスがお湯に浸かって小さい目を細めている。


「なんでここにいるのっ!?」


「カア。神亀じんきの時代、山代やましろの温泉で羽の傷を癒したのが懐かしいナア」


「いや、そんな当時を知る人が誰もいないような昔話はいいから! 今の話をして!?」


「……優月。それ、なに?」


 優月がギクリとする。普通にカラスと会話していたが、ここには翔太もいたのだった。ゆっくり振り返ると、翔太がカラスを指さして怪訝な顔をしている。


「あー、いや。えっと……」


「カア。吾輩は八咫烏だゾ。敬え小童ヨ」


 どう説明したものかと頭を悩ませていた優月をよそに、八咫烏が勝手に自己紹介してくれた。


「……」


 数秒の沈黙の後。


「カ、カラスが喋った!?」


 ざばん、と風呂に津波を起こして翔太が立ち上がった。お湯をもろに顔に受けた優月はむせ返り、八咫烏はひっくり返った。逆さになったカラスが三本足をばたばたさせている。


「わわわ!」


「カア! 何をするんダア! この無礼者ガア!」


 慌ててお湯から引き上げると、八咫烏はばさばさと両翼を激しく羽ばたかせて猛抗議した。


「お、オレは夢でも見てるのか」


「痛い痛い! 僕のほっぺた引っ張って確認しないで!」


 いつぞや優月が八咫烏の羽をむしった時のように、翔太が優月の頬をつねって夢と現実の判別をした。あの時のお前はこういう気持ちだったのか、ごめんよ。心の中で、八咫烏に対して時間差の謝罪をして、翔太の手を振り払った。


「夢じゃないなら、オレもうすぐ死ぬのかな……」


「妄想が飛躍しすぎだよ! 翔太、気をしっかり!」


「オレはもうだめだ……。優月、今のうちに懺悔させてくれ……。去年お前が買った群青プリンセス(※優月が大好きなアイドルグループの名前)の初回限定版CDに付いてた非売品のミサンガに、間違って醤油を溢したのオレなんだ」


「八咫烏さん、アレよろしく」


「カア! 天地人キック!」

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