第1章 ガチャガチャを押し付けられました -2-

 翌朝。いつもなら持っていく必要のない荷物を背負い、いつもなら家でまったりしている時間帯に登校している。香織には文化祭の準備があるからと言って出てきたが、本当はガチャガチャを運びたいからだ。家に置いておけないなら、学校に持ち込むしかないじゃないか。


 学校に到着して、自分の席に荷物を下ろすと、肩や背中がすっと軽くなった。


「疲れた……」


 椅子に座って大きく息を吐く。夏の暑さが落ち着いたとはいえ、ブレザーを着ていると汗が噴き出る。優月以外誰もいない教室はしんとしていて、早くなった自分の鼓動がいやに気になった。


 シャツ姿になって下敷きを団扇うちわ代わりに扇いでいると、教室の扉が開いた。


「優月、おはよ! 今日は早いじゃん」


 そう声をかけてきた彼はクラスメイトの翔太しょうた、スポーツが得意な爽やかボーイだ。


「おはよう」


「なんだ、その荷物?」


 優月の隣、自席に座った翔太がボストンバッグを指さす。


「まあ……ちょっとね」


「もしかして、捨てられそうになったグッズを学校に避難させてるとか?」


 違うけど、惜しい。グッズを捨てられないための防衛策だ。


 ちなみに、翔太は優月のアイドル好きを知っている。アイドルの何が好きなのか、と聞かれて、昼休み中ずっと彼ら彼女らの素晴らしさを説明したことがあるくらいだ。優月は昔から群青プリンセスというアイドルグループのファンで、彼女らがいかにダンスや歌に青春を捧げ、ファンを大切にしているかを熱量高く語った。


 話のいい所で昼休みが終わってしまって、不完全燃焼な優月に対して、翔太は少し顔色が悪くなっていた。授業中にトイレに行っていたから、わざわざ尿意か便意かを我慢してまで聞いてくれていたようだ。


 良い友を持って嬉しい限りだ。中断された話の続きを始めようとすると、なぜか避けられてしまったけれど。


「置き勉はしてるけど、置きアイドルグッズするやつはお前くらいだよ」


 無言を肯定と捉えたのか、バッグの中身がグッズの前提で話が進んでいく。グッズどころか、グッズを詰め込んだガチャガチャだと言ったら、どんな反応をするだろう――と、ちらっと思ったけれど、言えるわけがない。


 カプセルの中身ならいざ知らず、ガチャガチャそのものなんて普通持っているわけないのだから、そんなものがバッグから出てきたら、どこかから盗んできたと思われるのがオチだ。アイドルグッズの置き勉よりもあり得ない。


 優月は渇いた笑いで誤魔化して、ボストンバッグをロッカーに押し込んだ。


 その日の放課後。授業中も休み時間もトイレ中も、ロッカーが気になって仕方なかったけれど、なんとか一日が終わった。これから毎日こんなヒヤヒヤしないといけないのか……、と思うと気が滅入る。優月にやましい所は一切ないのに、犯罪の片棒を担がされた気分だ。


 このカプセルトイを渡してきたおじいさんはどこでこんなものを買ったのだろう。まさか、本当に盗んだんじゃ……。いやいや、そんなわけない。わざわざ盗んだものを、お礼にそっくり渡すわけない。


 あれこれ自問自答しながら、昇降口へと歩いていくと。


 下駄箱の前に、見覚えのあるボストンバッグ。近づいて、ちょっとだけチャックを開けて覗いてみると、そこには見たことのあるカプセルトイ。ほんの少しだけ、他人の物であることを期待したけれど、そんなことはなかった。


「なぜだ……」


 これは教室のロッカーに置いてきたはず。それなのに、どうしてこんな場所にあるのか。ご丁寧に優月の靴入れの前に置かれているのに、偶然で片づけられるわけがない。そこへ、右肩にスクールバッグを掛けた翔太がやってきた。


「よお、優月。帰りも大荷物持って、大変だなあ」


 自分の靴を出しながら苦笑している。まさか。


「翔太さ、このバッグを僕のロッカーからここに運んだ?」


「はあ? そんなことするかよ。お前のグッズを勝手に運んで傷でもつけてみろ。手が付けられなくなるだろ」


 優月は以前、アイドルがプリントされた下敷きを学校に持ってきたことがあった。クラスメイトに自慢したいわけではなく、単に学校にいるときもアイドルと一緒にいたかったからなのだが、なんとなく周りからの視線は感じていた。休憩時間に下敷きを眺めていると、とある男子がからかって下敷きを奪って走り去っていった。当然、優月が黙っているはずもなく、オリンピック選手も顔負けのスピードであっという間に敵を捕獲したのだった。


 翔太いわく、その時の優月は、般若の面を付けて短距離走のフォームで追いかける鬼に見えたそうだ。捕獲された哀れな男子は、恐怖のあまり精神的ショックを受け、保健室で一日過ごす羽目になった。


 そんな優月の一面を知っている翔太が、安易に優月の荷物に手を出すはずはなかった。翔太はボストンバッグの中身はアイドルグッズだと思い込んでいるのだから、なおさらだ。


 しかし、それなら、誰がこれを運んできたというのだろう。


「どうした? 帰んないの?」


 靴を履き終えた翔太が首をかしげている。


「ああ、うん。ちょっと忘れ物を思い出した」


「そうか、じゃあ先帰るな」


 そう言うと、片手をあげて出て行った。その背中が見えなくなると、優月はボストンバッグを背負って教室へと引き返した。誰もいなくなった教室の、空っぽになっている自分のロッカーに、再びボストンバッグを押し込む。指さし確認で間違いなくロッカーに荷物が収まったのを確認すると、教室を後にして昇降口へと舞い戻った。

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